kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

観客席で世界のねじを巻く 〜舞台「ねじまき鳥クロニクル」〜

 

「いい考えがあるわ。せっかくそこに考えごとをしに入ったんだから、あなたがもっとその考えごとに集中できるようにしてあげましょうか」

「どんな風に?」と僕は質問してみた。

「こんな風に」と彼女は言った。そして半分だけ開けてあった井戸の蓋をピッタリと閉めた。そのようにして完全な、完璧な暗黒がやってきた。

 

ー「ねじまき鳥クロニクル」第2部 予言する鳥編

 

 

 

新型コロナウィルスの世界的なパンデミックについて、誰が事前に予想していただろうか。少なくとも私は一切、まったく、あのようなことが起きるとは想像していなかった。「中国で何かヤバい感染症が流行している」と聞いた時も、それがジワジワと日本にやってきて出勤停止命令が出た時も、「東日本大震災の時もしばらく会社に来るなと言われたけど、二週間ぐらいだったしな」などと高を括っていた。そうしたらひと月、半年、一年…と、いつまで経っても終わりが来ない。コロナ禍は、それなりに大きな影響力で私を変えてしまった。いちばん大きかったところで言うと、会社を辞めた。

リモート勤務が当たり前になり、「おつかれ〜」から始まる同僚との他愛のない話がなくなり、エレベーターの扉が閉まるまで見送るお辞儀がなくなり、オフィス街で立ち寄るDEAN&DELUCAでのコーヒータイムがなくなり…という日々の中で私は、自分が「仕事」だと思っていたことの大半が、ビジネス本来の部分ではなく、その周辺の「ごっこ」みたいな部分だった、ということに気付かされてしまった。私の仕事に関していうと「ビジネス本来の部分」は、リモート勤務でも問題なく進めることができたのだが、そこだけ残すと案外、味気なかった。一緒に働いていたのが、効率を重んじる優秀な人たちだったからだろうか、だんだんと誰もオンライン会議のカメラをオンにしなくなり、雑談のない声だけのコミュニケーションは些細な行き違いを度々生み、疑心暗鬼になるようなこともしょっちゅう、起きた。むしろ、そんな中でも問題なく仕事が進むことを、不思議に感じるようにさえなった。

 

「会うな」「近づくな」「話すな」「叫ぶな」「歌うな」

 

コロナが私たち人間に禁じた行為は限定的なものだったけれど、絶対に欠かすことができないものだったと今でも思う。東日本大震災の頃、各種のエンターテイメントは随分と長いこと「自粛すべきもの」という扱いだった。そして当時、私はそのことに納得していた。仮設住宅で暮らし、衣食住すら思うようにならない人たちがいる中では当然だろうと。

でも、コロナ禍で半年、一年、とライブや観劇ができない日々を送る中で、私は「エンターテイメントは不要不急」に、全く納得できなくなった。全てのイベントというイベントが中止になっていく、あのモヤがかかったような日々。自分はそんなに大してライブやステージ通いをする方ではないと思っていたが、実は「生(Live)」のエンターテイメントがもたらす様々な種類の刺激や感動に、大いに支えられていたんだと思い知らされた。

 

 

「アタッチメント」を演じ、歌い、踊る

「ねじまき鳥クロニクル」は、2020年2月に初演を迎えており、途中コロナ禍の影響で公演を中断した舞台だ。私が観に行くことにしたきっかけはダンサーの友人に誘われたことだが、「一度中断を余儀なくされ、あらためて再演することになった」という舞台だからこそ、余計に観てみたいと感じた。ただの観客である私ですら、「再演できることになって本当によかった…」と思えるのに、作り手の人たちの想いたるや。そしてこの3年半の間には、ウクライナやガザでの戦争があり、いまこの作品(途中に「間宮中尉の長い話」というとても有名なパートがある)を観たいという気持ちもあった。

まだ公演が続いており、できれば多くの人に「観たい」と思ってもらいたいので、あまりネタバレをせずに感想を書こうと思う。途中に15分休憩を挟む3時間で、内容はとても良かった。ラストシーンは決して派手ではないのだがジーンとしてしまい、「ああ、ひとつの冒険を見届けたなあ」という気持ちになった。イスラエル人の演出家インバル・ピントさんは、演出だけでなくダンスの振り付けと、美術も合わせて行なっており、全体に統一感がある。舞台装置や衣装は、多くの要素が削ぎ落とされていて美しく、そして時折、チャーミングにも見える。そのため非常にシビアな場面が続いても、重苦しくなりすぎないという印象が残る。原作は小説であるし、基本的には登場人物の台詞が物語を前に進めていくのだが、ダンスがあり、歌があり、音楽の生演奏があるため、多くの台詞があっても間延びしない、退屈をしない舞台になっていると思った。

 

私は村上春樹については、熱心なファンではないが、まあまあ読んできた方ではないかと思う。ただ長編小説については途中で挫折したものが多い。ねじまき鳥クロニクルについても、一巻くらいで挫折したのではなかったか。ただ、間宮中尉の独白については、すごいインパクトで当時も話題になっていたので、覚えていた。

劇場で販売されているパンフレットによると、この「ねじまき鳥」は、村上春樹が「デタッチメント」から「アタッチメント」に向かうターニングポイントのような作品らしい(スラブ文学者の沼野充義さんによる解説、パンフレットP.36)とても分厚い原作3冊を、3時間の舞台で見せることができる理由は、「アタッチメント」=主人公が、他者に対して積極的に関与しにいくこの物語が「冒険譚としてよくできていて、面白い」からだと思う。観終わって振り返ると「活劇」という意味で新海誠の映画を想起したりもするのだが、それは新海誠が村上春樹のファンだから、というのも関係するのだろう。

 

劇場で、この舞台の宣伝をするPOP を書いてSNSに投稿すると、インバル氏のデザイン画ポストカードがもらえるという催しをやっており、休憩時間に5分で書いてみた

 

これもまた沼野さんの解説に書いてあったことだが、この作品が世界中で翻訳され、愛されている理由は「現代の日本、オカルト的と言ってもいいようなファンタスティックな世界、歴史の深い闇という三層が織り重なった総合小説」であり、この三層が重なり合うダイナミックな物語構造は「演劇的な仕掛けによって新たな表現を生むはず」らしい。今回舞台を観て、舞台表現というのは、固有名詞で名前を持つ場所と、現世かどうかもわからない謎の場所、あるいは心象風景でも、とにかく非常に行き来しやすいのだなと感じた。「世田谷の井戸」「どこだかわからないホテル」「満州とモンゴルの国境付近」など、今ここがそうです、と言われれば、そうとしか見えない。

同時に、原作小説には「わざと抽象的に表現されている事象」がたくさんあることもわかる。それが村上春樹作品の持つ魅力だし、力なのだとあらためて気付かされた。たとえば綿谷ノボルについても、どこかの誰かに限定されるものではなくて、「綿谷ノボル的な下品さ」とか「綿谷ノボル的な悪意」とか、誰にでも湧き上がる可能性のある感情などにも入れ替えられるように作られているのだと思う。

 

色々書いてきたが、「自分のことをそこそこまともだと思っている、『だがあまり物事を深くは考えてこなかった』男が、ある日突然に大切なもの(妻)を奪われてしまい、取り戻すために井戸に潜って冒険をする」というこの話は、あまり予備知識なく観てもシンプルに面白い。なので「毎年ノーベル文学賞を取りそうで取らない村上春樹が原作だ」とか、あまり深く考えずに観にいくと良いのではという気がする。近年「やれやれ」が出てこなくなってきた村上作品だが、舞台では「やれやれ」が出るのか出ないのか、そこも一つ楽しみにしてほしい。印象に残るシーンはたくさんあるが、あえて挙げるとしたらやはり間宮中尉の長い話のくだり(吹越満さんご本人が提案した演出が多く含まれている*1とのこと。非常に細やかなお芝居にずっと息を飲みっぱなしだった)と、笠原メイから素敵な手紙が届くシーン(門脇麦さんが、ある種の100パーセントの女の子像を具現化している)だ。

 

笠原メイからの手紙   by kobeni × nijijourney

 

 

観る方もがんばるのが楽しい「観劇」

私が舞台を観るようになったのは2017年ごろからで、それまで舞台は「ちょっと難しそう」「金額が高い」というイメージがあり、近寄り難かった。テレビドラマで役者さんのファンになった*2のをきっかけに観劇に興味を持ったのだが、最初は「あの役者さんが生で観られる」というミーハーな動機だった。

今でも、「あの役者さんを生で」の喜びは動機のひとつだ(今回の舞台で間宮中尉を演じている吹越満さんのことは、実はずっと前からファンだった。「あまちゃん」よりもっと前だ)けれど、いま舞台を観る喜びはそれだけではない。

観劇を始めて気づいたのは、「観る方もかなり緊張する」ということだ。映画やテレビは当然のこと、コンサートなどよりさらに緊張する。おそらく「長い時間、退席することなく静かにじっとしていなくてはならない」という、観る側のルール、そして「今からここで演じることが全てであり、編集はできない」という、出る側のルール。その両方が緊張の原因になっていると思う。別にちょっとぐらいセリフが飛んだって、モノが倒れたって全然構わないのだけど、それでも出る方は成功したいと思っているに決まっているだろう。だから観客としても、祈るような気持ちで観てしまう。

見方として間違っているかもしれないが、私はどんな舞台も、「サーカスを見る時」のような気持ちで観ているような気がする。「劇」というものが、綱渡りや、空中ブランコぐらい繊細なものに、私には見えるのだ。台詞の応酬だけでもすごいのに、そこに何度も舞台装置の転換があったり、歌やダンスまであったりもするなんて。でも、ここまで観てきたいろんな舞台で、大きな失敗や破綻は体験したことがない。裏方の方々も全員含む、この道のプロの仕事には本当に惚れ惚れする。観客席で、勝手に不必要なまでに緊張しているのだが、私はこの緊張感が好きなのだ。

 

舞台が好きなもうひとつの理由に、「映画などに比べるとスカスカしている」ところがある。スカスカ、というのは貶しているのではなく、観客である自分も頑張る余地がある、という意味だ。「舞台は固有名詞のある場所から心象風景まで常に行き来しやすい」と前述したが、本当に小さい劇場だと、舞台の上に椅子しかない場合もある。その椅子が、公園のベンチになったり、ファミレスの四人がけソファになったりするのだ。周囲が真っ暗で何にもないから逆に台詞の応酬に集中できる、という場合すらある。

観る方も色々と心を動かすのに忙しい、それも舞台の楽しさである。

 

そして当然のことながら、「今まさに目の前でお芝居をしている、踊っている、歌っている」という人が発するパワーはものすごい。間合いとか、息遣いとか、スムーズで美しい手の動きとか、あるいは荒くけたたましい足音とか、それらによってメッセージがより強く伝わってくる。「ねじまき鳥クロニクル」の場合は、歌やダンスに加えて大友良英さんらによる生演奏(ほぼ即興らしい!)がついていたので、歓喜はより歓喜に、絶望はより絶望になって届いてくる、と感じた。

 

最後に舞台はなんと言っても、カーテンコールが素晴らしい。私はむしろカーテンコールを見るために舞台を観に行っているのではないだろうか。それは流石に言い過ぎか。さっきまで舞台上にいたのと、なんだか全然違う人のように出てくる演者が好きだ。先程までここで起きていたことは、現実世界と切り離されたひとつの「作品」であるということを、カーテンコールの存在がよりくっきり見せてくれる。

すごくホッとした顔の人、役の顔よりムスッとしている人、走ってくる人、恭しく頭を下げる人、おどける人、とにかく色々だ。ただ、彼らは一様に「どうでしたか?」という顔をしている気がする。それに対して「すごく良かったです!」という気持ちで拍手を送る、それができることが嬉しい。スタンディングオベーションとか、体験としてはもう最高である。ステージ上も観客席も、劇場にいる赤の他人同士が全員、ほんのひと時だけれど間違いなく一体となっている、この世界においてとっても稀有な、幸福感に満ちた瞬間だろう。

 

「話す」「叫ぶ」「密着する」「踊る」「歌う」「演奏する」「拍手する」……そういうことが当たり前にできるようになって本当によかったなと思う。ブラボーだと思ったら「ブラボー!」と叫んでいい日々が戻ってきて良かった。

コロナ禍をきっかけに、「エンターテイメントがもたらす刺激や感動に支えられていたと気づいた」と前述したが、結局、芸術のようなものが世界のどこかでねじを巻いていないと、人間はだんだんと堕落してしまい、例えばリモート会議のカメラも「もういいや」とオフにしてしまう、想像力をどんどん駆使しなくなってしまうのではないか……と、今の私は半ば本気で思っている。「ねじまき鳥クロニクル」の舞台を観た3時間は、「普段考えないようにしていることを、井戸に入って集中して考える」ような時間だった。

 

今日もどこかで誰かが「どうでしたか…?」という顔をして、カーテンコールに立っている。世界のねじを巻くお手伝いができるなら、これからも何度でも、舞台を観に行きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

ねじまき鳥クロニクルは絶賛上演中です。大阪、名古屋公演もあるようです。ぜひ観に行ってみてください。

horipro-stage.jp

 

 


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これまでの観劇日記はこちら

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*1:11/10のねじまき談話室にてご本人が仰っていました

*2:ひとつ前の記事を見てください^^

VIVANTロスのあなたに、次に観てほしい堺雅人作品を紹介するよ

7月期のTBS日曜劇場「VIVANT」はご覧になりましたか?簡単に説明すると、たたらの家に生まれた幼少期記憶喪失で二重人格の自衛隊秘密組織エリートが42歳にして初めての愛を探す物語(ロケ地モンゴル)なのですが、まっったく簡単に説明できてない感がすごいですね。キャラ設定もキャストも予算も限界突破の冒険アドベンチャードラマだったのですが、「敵か味方か、味方か敵か」というキャッチフレーズどおり、毎週誰かが裏切る&謎が謎を呼ぶ展開で、「どうして公安のエリートが尾行の途中でタヌキの置き物を触っているのかな」とか、「テロ組織潜入中に主人公が手でご飯の重さを測り始めたぞ」とか、本筋と関係ないところまで多くの謎に満ちており、作り手の目論見通り私も「毎日がVIVANT(=フランス語で「イキイキと」)」という数週間を送ることとなりました。

 

…いや、視聴率が高かったとか、そういうのはいいんです。日曜劇場でいうと「半沢直樹2」(2020)の方が、化け物的な数字を叩き出していますので。そうではなくて、今回すごく「堺さんが…アレなんですけど…次に何を観たらいいですか?!」って言われる、というのが、私が今回久しぶりにブログを書いている理由なのです。

私は2016年の「真田丸」から堺雅人さんのファンなのですが、私のサカイスト(堺雅人ファンの呼び名です。大泉洋の「子猫ちゃん」みたいなやつ)歴においてもここまでの盛り上がりは初めてだと感じています。2017年以降、Twitter(X)にもファンアカウントを持っているのですが、VIVANT放映中のたった2ヶ月で400フォロワーくらい増えて、なんと過去6年分のフォロワー数の倍くらいになってしまいました。いや、おかしいおかしい。一体何が起きたというのか。

堺さんのドラマや映画でのキャリアが、大体2000年ごろからと考えると、私なんか超超〜新参ファンなのですが、これだけオンライン・オフライン問わず「どうしたらいいですか!?」って聞かれてしまうと、(もしかして私が狂ったように観てきた過去作を紹介することで、私は今、社会平和に貢献できるのかもしれない…)という気持ちにもなってきました。

しかし俳優歴20年以上となる堺さんの作品を一体、どうやって紹介したらいいのか。私が観てない作品や、今はもう観られない作品も、もちろんあります。そこでちょっと考えてみたのですが、今回、ファンが増えた理由には、VIVANTの主人公「乃木憂助」というキャラクターの特異性があるのではと思ったのですね。ドラマep4(4話)くらいから、SNSではサカイストたちによる「これは…堺雅人の過去作品ぜんぶ盛りでは…?!」という声がバズるようになりました。そう、乃木憂助はあまりにもいろんな顔がありすぎて(だいたい一人の中に二人いる時点でチートすぎる)、そのギャップと多種多様なお芝居にハートを射抜かれた人が多かったようなのです。さらに付け加えると、積極的なVIVANT番宣の出演で、50歳とは思えない可愛い挙動をしてしまった堺さん本人も、ギャップ萌えに一役買ってしまったみたいですね。今回は阿部寛先輩が一緒だったせいで、ちょっとはしゃぎすぎたのでしょうか、小動物感に磨きがかかってしまったようです。*1

 

ということで、「乃木憂助みたいな堺雅人をもっと観たーい!」という切り口で、いくつか過去作を紹介してみてはどうか!と考えました。ほんの一部ですが、参考になれば嬉しいです。ちなみに「半沢直樹」「リーガルハイ」も、乃木憂助には欠かせないエッセンスだと思いますが、既に観ている方が多いので殿堂入りとして省いています。そして「真田丸」は、堺さんと1年間暮らす(?)という意味でとても重要な作品で、さすが三谷さんというべきか、観終わる頃には確実にファンになること間違いなしなので、まあ「観てね」とだけ申し上げてこちらも殿堂入り的に省きます。

 

 

 

 

 

はわわ乃木

 

青柳雅春/ゴールデンスランバー


VIVANTが始まった時、憂助の最初の印象は「落ちこぼれ商社マン」で、そのままep1〜3くらいまでそんな感じかと思います。「大きな事件に巻き込まれてしまった、気弱で優しい、いい人」な憂助は、いつの間にかSNSで「はわわ乃木」と呼ばれるようになっていました…笑 

はわわ期の乃木さんが好きな方は、映画「ゴールデンスランバー」を観てみてください。仙台が舞台/原作は伊坂幸太郎/音楽は斉藤和義、首相暗殺犯の濡れ衣を着せられてしまったはわわな青年が、旧友や仲間の力を借りて地下や地上を逃げまくる…という話です。注目ポイントは、何か爆発音がした時の青柳くんのビビりっぷりと、彼女にチョコレートを割ってあげるシーンで、キッチリと半分に割ってしまい、「そういうとこだよ…」と幻滅されてしまう秀逸なキャラ設定。私はそんなヘタレ雅春くんが大好きです。



バカなふりをしているが賢い/賢いふりをしているがバカ

徳川家定/篤姫

 

桜井武史/鍵泥棒のメソッド

今回、乃木憂助について「落ちこぼれ商社マンは仮の姿、実は自衛隊のエリート組織『別班』の一員だった」ということがep4で明らかになり、物語の一つめの山場になっていたかと思います。となるとep1〜3の憂助は、公安の野崎さんや薫さんの前で、ずっと「バカなふり」をしていたってことになりますよね。

バカなふり、というお芝居ならまだ良いのですが、今回、堺さんは「『別班』について知らないふりをしているが、実は知っている。でも知らないふりをしているが実は知っているということは視聴者には伝えたい」みたいな、ものすごく複雑なお芝居をしていたようなのです!!確かに、そう言われてみれば「BEPPAN」の文字を前に、野崎さん中心にでみんなで考えている時の憂助、小声で「べっ…」「ぱん…」とか言ってて、なんかわざとらしい!笑

「芝居をしている芝居」がそもそも難しいのでは、と思うのですが、既に過去に経験していたら、さらに上を行けるのかも知れないとも思いました。

大河ドラマ「篤姫」の家定は、ずっと「うつけのふり」をしています。でも時々、(本当は賢いのでは)と視聴者に思わせるような視線なり、言動が垣間見えます。そして、満を辞して「本当は何もかも見通している聡い人間」としてあらたに視聴者の前に姿を現した家定は、ほんとうに魅力的…!と私は感じました。

一方、映画「鍵泥棒のメソッド」では、監督・脚本の内田けんじさん曰く「偏差値が30」笑…の売れない役者が、一流の殺し屋のふりをします。つまり「賢いふりをしているが実はバカ」なのですが、堺さんの実偏差値を考えると、かなり頑張らないと30まで下げるのは難しそうで、そういう意味ではとても貴重な作品ではないでしょうか。
武史は、一流の殺し屋だけでなく刑事とかピザ配達員とか、いろんな人を演じるのですが、そのお芝居の内容はあまりにヘタなせいか印象に残らず(失礼)、むしろ本当に偏差値が低そうな寝方、泣き方、「うるせえ」の言い方などが際立っています。「バカだな…でも優しくて勇敢なやつじゃん!」と、だんだん武史に愛着が湧いてきた頃、ご褒美のように胸がキューンとなるエンディングが待っている、という作品です。だから最後まで観てね。

 

二面性

 

伊達一義/JOKER-許されざる捜査官

 

脚本家の三谷幸喜さんは、2008年に映画雑誌で堺さんのことを下記のように評したそうです。

明るいのに暗い。笑っているのに笑っていない。賢いのにどこか抜けている。熱いのにクール。クールなのに熱い。相反する二つの要素を同時に抱えた人物を演じる時、堺雅人という俳優は、驚くほどの輝きを見せます。

 

もう08年の時点で「堺雅人にやらせるなら二面性のある役」と述べているわけで、実は堺さんは早稲田で演劇をやっていた時代から、何かしらそういった役を当てられてきたのでは?とも想像してしまいます。ファンになった直後に、堺さんの作品をいっぱい観た上でマトリクスを作ったことがあったのですが(すいません、キモヲタで…作りたくなりませんか?マトリクス)「太陽と月」で言えば「月」の方というか、「何かしらの複雑さが影を落としている男性」という役がすごく多いように感じました。その「影」の原因は、親を亡くしたとか、性的マイノリティだとか、病気を患っている*2とか、いろんな種類があります。なので例えば日曜劇場「南極大陸」で、木村拓哉演じる倉持はすごく「太陽」ぽいのですが、堺さんの演じる氷室晴彦は「月」という感じ。そういう役がすごく多いし、とても似合うなという印象があります。

VIVANTの憂助もご多分に漏れず、堺雅人の役史上最も重そうな(?)トラウマを背負っており、日中は昼行灯、真の姿は法を超えて制裁を与える別班員なのですが、連続ドラマ「JOKER〜許されざる捜査官〜」の伊達一義も、昼はアヒル口でイチゴミルクを愛する刑事で、夜は法で裁けない者をひっそり島流しにしている、というドラマでした。

JOKERは今も根強いファンが多いですし、堺さんの真骨頂と言える「二面性のある役」を最もわかりやすくドラマで表現してくれた、先駆けのような作品だと思います。ただ伊達さんはひとりの人間で、「乃木とF」のように別人格が二人いる…わけではないこともあり、昼夜で服装などの雰囲気は変わるけれど性格や佇まいは実はあんまり変わらない。それは非常に正しいお芝居であるような気がします。

私も後追いながらJOKERはとても楽しく観ました。いっつもどこか寂しそうで、アンニュイで、「僕はこの世に生きていてもいいのかなあ」と思っていそうな伊達さんの方が、「憂」の入った名前が似合うのではないか…と思ってしまいます。JOKER撮影中の堺さんは別の映画のために髪を短髪にしており、伊達さんのサラサラヘアは実はウィッグ、というところも密かな見どころです。

 

 

Fくん

結局、最後まで何なのか説明されなかった「F」の存在。監督の福澤さんが堺さんに「ありませんか?ラグビーの試合中なんかに、『しっかりしろよ』とか、もう一人の自分の声がすること」と説明したらしいですが、堺さんは「ないですけど…」って答えたそうですね笑 私もないですね、ある日とつぜん、自分にそっくりなもう一人の自分が、「カンカンカンカン!!」って木琴叩きながら現れるってことは…ないよ!!でも憂助とFのかけあいはかなり面白く、それを堺さんが一人二役で演じたシーンは、リーガルハイの長台詞や半沢直樹の土下座などにも負けない面目躍如だったのではと思います。


Fくんは、福澤監督曰く「半沢直樹のようなまっすぐな人物」とのことですが、彼の魅力はその雄々しさとか強さ、また「自分のミッションに真剣」「なんかいつも不機嫌」という点ではないでしょうか。

 

速水晃一/ジェネラルルージュの凱旋

うちの夫がよく言っているのですが、「半沢直樹は、堺雅人のような中肉中背の人がやるから良かったんだ」と。もしこれが鈴木亮平とか小栗旬だったらどうなっていたのでしょうか。とりあえず逆らったらその場で投げ飛ばされるか警棒で殴られそう。というのは冗談ですが、色白で、なで肩で、華奢な体型の堺さんが、一生懸命肩を開いて、ドスのある声を絞り出し、時にはヤンキーのような言い回しで相手を脅し、やられたら100倍返していくから、日本人男性は自分を重ねやすくスカッとするのではないでしょうか。


映画「ジェネラルルージュの凱旋」の速水は、救命救急医でどんな患者もICUに受け入れているためとても忙しく、チュッパチャプスぐらいしか食べていません。堺さんも実際にチュッパチャプスしか食べないような生活を送っていたそうで、とても痩せています。大病院の腐敗した体質に絶望しながらも、目の前にいる患者のことは見捨てられない、そういう速水のことを堺さんは

「(原作の速水は)頭の中でずっとサイレンが鳴っているような感じ」

「今すぐ怒鳴り散らしたいような感情と、今すぐその場にしゃがみ込んでしまいそうな疲労の、拮抗しているところにいる」

と評していました。それをお芝居では俯いて腕を組んでいたり、「ずっと小刻みに体が揺れている」という方法で表現している、と思います。ドラマによくあるような派手な命令が飛ぶ手術シーンはなく、「救命救急医の日常」という感じで淡々と心臓マッサージなどをこなしていく様子も素晴らしい。ガチの仕事人として自分の任務を全うする(したいのだが邪魔ばかりされるので、結果的にずっと怒っている)速水晃一は本当にカッコいいんですよね〜…。

制裁シーンになると憂助と交代して出てくるFくんに惹かれるとか、「バナナ投げた時の乃木は良かった」と思ったあなたは、ぜひジェネラルを観てみてください。

 

 

どうぶつにやさしい

 

神崎彰司/ひまわりと子犬の7日間


長い砂漠の旅の終わり、ラクダをとびっきりの笑顔で慈しむ憂助がとても印象的でしたね。あれは堺さんの次の写真集のためのカットか何かでしょうか?我々ファンにとってはただのサービスショットでした。憂助は愛を知らないらしいですが、ラクダへの愛は確実に知ってるじゃん…愛しかなかっただろ…とツッコミたくなりましたね。

動物だけでなくぬいぐるみにも優しいと評判の堺さんですが*3堺さんと動物といえば「ひまわりと子犬の7日間」ではないかと思います。保護期間を過ぎると殺処分になってしまう犬たちが可哀想で、自分の家で引き取ったりもしているので、家にはイッヌがいっぱいの優しい保健所職員さんと、「ひまわり」という名前の賢いお母さん犬の話です。この映画はなんといっても、堺さんのネイティブ宮崎弁を聴き放題というところが最大の魅力です。*4

宮崎弁って聞いててすごく心地よいと思いませんか。推しの宮崎弁、寝る前の環境音楽とかにぴったりである気がします。学生時代はこの方言で喋ってたのか…うふふ…だんだん気持ち悪い感じになってきましたのでこのあたりで。堺さんにぜひ言われてみたい、「気にせんでいっちゃが!」

 

 

人外

今回、ファンが増えた最大の理由は、「乃木憂助の人外感」にあったのでは、と私は思っています。一般的に「二重人格」がドラマで描かれる場合、「主人格が弱く第二人格が強い、第二人格は主人格を保護するように存在している、主人格が成長して強くなると第二人格は消える、人格は意識や記憶を共有できず一方が出ているときもう一方は不在の状態になる」という描写がとても多いですよね。ですが憂助とFの場合、意識の主導権はどちらかにあれど、もう片方の意識は消えないし記憶も共有している。二重人格というよりは「外からFという妖精(?)がやってきて、憂助の中で一緒に暮らしている」みたいな、アニメ的な設定になっていると思うのです。それによって普段はあまりドラマを観ない層、アニメを中心に観ている人たちもハマったのではないか?と思っています。

「チェーンソーマン」の登場人物たちは悪魔と契約をして、悪魔が同じ体の中にいたりしますが、あれに近い印象があります。しかもその切り替えを、堺さんが本当にアニメさながらに上手く演じていたため、憂助⇔Fが切り替わるシーンも、ドラマの大きな見どころになっていたと思います。

堺さんって本当に、村の一つや二つ焼いてそうですよね。そもそもすごく二次元っぽいと思うのですが。でもあんまり焼いてないんだよな。だからこそ中島かずきさん脚本の作品は本当に貴重だと思います。

 

サジと呼ばれた男/蛮幽鬼

ファンになってすぐの頃に、「堺雅人が長髪で髪の毛を結って、笑顔で人を殺しまくる舞台がある」と聞いて、まずそれを観たいわ!と思ったのが「蛮幽鬼」でした。あんまりアクションシーンもやってない堺さんですが、蛮幽鬼では早乙女太一くんとの殺陣も観られます。殺陣がすごくカッコいいのはもちろんなのですが、サジは「他の人を差し置いて超絶に強い」という設定なので、それを体育の成績が2だったこともある堺さんがどうやって表現するのか…というところがすごく注目ポイントだと思います。

何度か観ているうちに、「『片手でじゅうぶんだ』っていうセリフがあるけど、サジ、特に前半は本当に片手しか使ってない…?」と気が付きました。アクションを派手にした方が強そうに見えると思いこんでいたけど、本当に強ければむしろ「ほぼ動かなくても人は殺せる」ということなんでしょうか。堺さんの、そういう解釈&表現力みたいなものにも常に感嘆させられてしまうのでした。ファンタジー&復讐劇ですので、そういうの好物です、という方にはぜひ観てもらいたいです。「ゲキ×シネ」という形で映像にもなっています。

 

 

 

クレイ・フォーサイト/プロメア

大河ドラマに出た後って、主演俳優はしばらく仕事しなくなりますよね。私は「真田丸」でファンになってしまったので、その後の堺さんがあんまりドラマに出てくれず、NHKの山とか城とかのナレーションしかない時期もあり、結構辛かったです。そんな中、アニメ映画の「プロメア」で、とても重要な役の声をやる、しかも脚本は中島かずきさんで、共演が松山ケンイチ・早乙女太一、というニュースは本当に嬉しかったです。

クレイ・フォーサイトは、主人公のガロ(松山)準主役のリオ(早乙女)の宿敵となるキャラクターです。きっとリーガルハイや、半沢直樹1の時もすごかったんだろうと思いますが、「プロメア」の公開時もすごかったんですよ。トレンドに「堺雅人」が何度も入っていました。映画を観て感想のひと言目に「堺雅人の声が…」ってツイートした人がすごく多かったんだと思います笑 主演じゃないのに…。

VIVANTでもep4の「よぉ山本」のシーンはみんな大好きで、つまり糸目がカッって開いて怖いキャラに豹変するシーンということですが、クレイ・フォーサイトにもそういう場面があります。アニメなので本当にわかりやすく、ずっと細かった目があるタイミングでカッって開くのですが、目が開いてからのクレイの声は本当に…怖いです笑 

まずクレイの体型、すごく太いじゃないですか。その太さに合わせた声を出しているんですよね。なので、あんまり聞いたことがなかった堺さんの声がたくさん聴けます。やっぱり嬉しかったですね〜、それなりにエヴァンゲリオンとかのアニメも好きなので、推しの声で「全弾発射!!!」とか「完成していたのか…!!!??」とか聞けるのは。「紙、同然!!!」とかも良かったな。

 

クレイ・フォーサイトについては、堺さんが「彼が抱えているのは巨大な自殺願望」「あの巨体はそれを隠すための悲しき鎧かもしれない」みたいな、全オタクを狂わせそうな解釈を披露してしまったことで、クレイにもたくさんファンができたしプロメアの息の長い人気に一役買ったと思っています。あと、応援上映がすごく楽しかったです、最後の字幕で大きく「堺雅人」って出るのを、会場のみんなが「さかいまさとーー!!!!」って叫んでくれて、とても嬉しかったなあ……。何回も映画館へ観にいきました。

 


*

 

こんなにダラダラ書いているのに、たった8作品しか紹介できていない!ビックリですが、楽しく読んでいただけましたでしょうか?
私が堺さんのどこに魅力を感じているかというと、「フェミニン&文学青年み」これに尽きます。これは完全に私個人の好みの問題であって、堺さんの全容を表すものではありません。役以外で聞こえてくるエピソードはぜんぶ「かなり知的」か「かなり変」のどっちかで、ファンになったばかりの頃は、なんでこんな人が国民的ドラマの主演をやっているんだろう…ホント不思議な人だなあ…と思ったものでした。そんな美しい顔で、そんな独特の語彙で、世界について繊細に描写しないでくれ。

 


まるで今がキャリアの頂点かのように評される堺さんですが、私はまだまだこれからだと思ってるんですよね。だってまだ日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞取ってないし。カンヌ行ってないし。金田一耕助やってないし。図書館の司書さんみたいな役もやってほしいし、村の一つや二つも焼いてほしいし、東京03とコントもやってほしいし……

でも、すごく家事や子育てもするし、妻の菅野美穂さんと交代でお仕事しているところも大好きなんですよね。なので……待ちまーす!フリーランスになった堺さんのこれからの活躍も、長い時間をかけて拝見していきたいです。VIVANTでファンになった皆さん、一緒に応援していきましょう!

 


PS
このブログの中では実は全然堺さんについて書いてないのですが(気持ちを拗らせすぎていて、ブログのような場所で書くのが無理だった)一回だけ、今は視聴が難しくなってしまった、堺さん主演の「婚外恋愛」というドラマが良すぎて記事を書いたことがあります。
よろしければこちらもどうぞ!

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*1:バナナマンの「せっかくグルメ」 7/16)

*2:今回、ここでは紹介していませんが私は「ココニイルコト」の前野くんが大好きです!かなり何回も観ています。とてもハマり役だと思うし、ああいうエッセイの延長のような映画がもっとたくさんあればいいのにと思います

*3:このナタリーの記事、キャプション全部おかしいです、ほっこりしたい時にどうぞ

*4:クランクイン前は「5段階の宮崎弁を披露した」って書いてあるけど、一体どんなグラデーションなんだ。

【test&V4】midjourneyお気に入りの呪文(シームレスな背景画像、編みぐるみ、お菓子の家)コツを紹介します

※23.3月、v5が実装されましたのでこの記事はだいぶ古いです!v5は、サイズ展開も多様でtileコマンドも復活しています。考え方としてはv4と同じ指示の仕方で大丈夫です。

 

※11/12追記 version 4が実装されましたので、V4の画像も追加しました。ヘッダ画像もV4のものです。サイズは現時点でコントロールできないため、すべて正方形になります。

※11/26もうひとつ追記 ITメディアさんに2つの記事を掲載していただきました!

お絵かきAI、育児で活躍 “無限塗り絵”に4歳も夢中 - ITmedia NEWS

「10秒でイメージ通りに」 お絵かきAIが変える“デザイン” あるネットショップでの使い方 - ITmedia NEWS



さいきんmidjourneyにめちゃくちゃハマっています。私はいつもハマったらアホほどそればっかりやる傾向があるのですが(このブログでも、スプラトゥーン、堺雅人、Etsyなど様々に沼にハマるたび過度に興奮する様子が記録されています…) ここ3ヶ月はmidjourney ばかりいじっていて、私が生成した画像は1万枚を超えたらしいです。※そもそもaiお絵かきサービスのmidjourney が使えるようになったのが3ヶ月ほど前です

 

1万枚生成済みのおバカさん(※私)が何を世の中に共有すればいいかな?と考えているのですが、ひとまずお気に入りの呪文を記してみようと思いました。まだ始めていない人には「こんなものも描けるんだ」、既に始めている人には「コピペして描いてみよう」そう思ってもらえるような記事から始めようと思います。

 

【目次】

 

 

midjourney の基本的なこと、「お絵かきAIとは何か」「どのように始めるか」「基本の呪文(prompt)」「課金・サブスクの形態」などは、他の方のブログ記事などにまとまっていますのでそちらをご覧ください。ちなみに私は10ドルか30ドルのサブスクプランのうち使い放題の30USD/月に課金しています。

- そもそもmidjourney ホームはここ

https://www.midjourney.com/home/

- 使い始めにやることとか

Midjourneyとは?話題の画像生成AIの使い方・初心者向けのコツも徹底解説! - 起業ログ

私が日々、興奮している事実に対して世の中の反応が異様に薄いのですが、それはたぶんAIお絵かきの楽しさや凄さがうまく伝わっていないせいだろうな、とも思います。そもそもmidjourney は日本語にまだ対応しておらず、指示(prompt。呪文と呼ばれている)を全て英語で入れなければならず、無料体験の期間にこのクセのある呪文の基本をマスターするのはかなり難しいです。楽しみ方があまりわからないうちに無料期間が終わってしまった……という方も多いと思います。

また22年夏のローンチ時は、描けるものに偏りがあったり、人体が正確に描けなかったり、暴れ馬の度合いがものすごかったため、ユーザーが悪いわけではないのに上手く描けないといったことも多かったと思います。今でも「ちゃんと飛びなさい!燃やしちゃうわよ!!」と叫ぶことはありますが、discord内では中の人とユーザー、またユーザー同士でかなりの密度のディスカッションが行われており、ユーザーの要望が繰り返し反映され続けているため、初期に比べれば格段に指示通り飛ぶ子に成長しています。

 

私としては、様々な意味ですごく可能性やクリエイティビティのある新しいおもちゃだと感じており、進化のスピードがものすごく早い(AI競合同士がデータやノウハウを共有し合うことで、日進月歩の進化が起こっている)ため、問題点はどんどんクリアになり、誰でも乗りこなしやすい馬、よく飛ぶホウキになる日もすぐそこ、と思っています。実際、アニメ版βは既に日本語をはじめとした多言語での指示が可能です。

 

たくさん使いながら情報を共有していけたらと思いました。進化が早すぎてすぐに情報が古くなると思うので、ひとつひとつの記事はあんまり深く掘らないようにやっていきます。

 

 

ということで、具体的な呪文をご紹介しますね。

本記事執筆時点では、#midjourney の最も高いバージョンは--test, --testpです。

--ar 2:3 --test --creative というような、文末にバージョンを記すpromptは省略していることもありますが、基本的にこれらを使用している画像になります。

 

【バージョン「test」のprompt】

--test…一貫性のある、promptでの指示通りのデザイン

--testp…一貫性のある、promptでの指示通りの写真

--test --creative 芸術性を加えたい時、多少は指示通りでない画像を出したい時

 

シームレスな背景画像

絵やデザインで継ぎ目ない画像を作りたい場合

seamless multiple colored wrapping peaper (物) are in line in the style of (色合い) in the style of (作者), (色味、タッチ)

 

布や場所に物を並べるイメージに近い場合

(物)are laid out side by side on the (背景・背景色) background like wallpaper, front camera angle, photorealistic, seamless design, highly detailed

 

※22年9月ごろに「--tile」というコマンドが実装されましたので、こちらを文末につけると、デザインを繰り返しにしやすくなります。「繰り返したいものの複数形」と合わせて「--tile」を入れてください。イラストにしたいのに写真が出てしまう等の時は、冒頭に「illustration: 」など、「全体が何であるか」の指示をすると上手く行きやすいです

 

Christmas glass ornaments are laid out side by side on the black background like wallpaper, front camera angle, photorealistic, seamless design, highly detailed --testp --ar 16:9

 

seamless design illustration: christmas glass ornaments are in line in a line, in the style of vintage paper, --test --tile --ar 16:9

 

これは私が最初に「作ろう、作りたい」と試行錯誤したものでした。というのは自分のwebショップを運営している私は、バナー画像やインスタの投稿画像を常に自作しており、その時に自分の好みに合った画像をパッと出せるととても利便性が高いのです。ちなみにmidjourney を使い始める前は「Canva」というアプリや、「フリー画像」で検索して取得できる写真・イラストなどを組み合わせて作成していました。しかしこれらは、「いいな」と思った素材ほど課金しないと使えない・単体の素材ではデザインにならず使いづらい・そもそもニーズを満たすものがないなど、不便さを感じていました。Canvaはまだ使っていますが、iphoneのOSバージョンアップにより写真からの切り抜きがめちゃ簡単になったことで、背景+モノで作りやすくなったため、正直あんまり不要になりました。

 

花模様やジュエリーのようなモノだけでなく、猫やうさぎのような動物でも、単体のイラストを繰り返したり敷き詰めたりができます。「同じ柄を繰り返したい」時は、seamless designやrepeating designと合わせて--tileを使うと実現しやすいです。

一方それぞれを異なるデザインにしたい場合も、そのような指示(every  ○○s are different color みたいな)を入れると可能になることが多いです。

画像

 

コラージュ

上記のシームレス画像の派生系で、いろんな紙やレースなどがコラージュされているような背景も作れます。

 

collage: (コラージュしたいものを「,」で並列に並べる)(物),(物),(物)repeating designs, seamless designs 

 

Multiple color Collage : Autumun flower and leaf, Vintage Lace Printable Digital Paper, Antique Lace Junk Journal Pages, Old photo, text Scrapbook Collage sheets, Victorian Lace Ephemera Pages, repeating designs, seamless designs(※ここに写真の解像度などを上げるpromptを入れる) --ar 3:2 --testp

※ 例: 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm

※multiple colorは、色の出方が偏っていたり物足りない時に、カラフルになります

Multiple color Collage : Autumun flower and leaf, Vintage Lace Printable Digital Paper, Antique Lace Junk Journal Pages, Old photo, text Scrapbook Collage sheets, Victorian Lace Ephemera Pages ,repeating designs, seamless designs, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm

 

collage: Vintage Lace, stamps and bookmarks, gemstones, beautiful Antique photo, perl ,in the style of Junk Journal Pages, Scrapbook, Collage sheets, Ephemera Pages, digital paper, repeating designs, seamless designs, 8k, very highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --ar 3:2 --test --creative

 

collage: Vintage Lace, stamps and bookmarks, beautiful Antique photo, perl ,in the style of Junk Journal Pages, Scrapbook, Collage sheets, Ephemera Pages, digital paper, repeating designs, seamless designs, 8k, very highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --ar 3:2 --test --creative

 

 

「コラージュ」は使い方によっていろんな画像が出せます!

flower color, Vintage Lace Printable Digital Paper, Antique Lace Junk Journal Pages, Old Lace Scrapbook Collage sheets, Victorian Lace Ephemera Pages ,repeating designs, seamless designs, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm

 

Jean-Luc Godard in the style of photo collage, typography collage,abstract, pale color design, French Nouvelle Vague style

↑in the style of photo collage

 

Dreaming girl Anne, attractive girl with red pigtails in the forest, cheeks a little pink with a little sparrow spot, owl flying around, big deer behind, feathers and fallen leaves dancing in the sky, flowers on the trees, Pen-drawing and cutout collage ,very detailed, beautiful atmosphere. Dynamic lighting, morning light,

↑Pen-drawing and cutout collage

 

 

バナーの背景にはよくコラージュやtileで作った画像を使っています

midjourney で生成した背景に、iOSの切り抜きで切り取った商品画像を乗せてます

 

【V4】シームレスな背景画像・コラージュ

 

【V4】生成画像に、「素材」感が増しました。見たことあるな〜というようなデジタル素材からスタートして、色味やタッチ、形などの指示を具体的に入れ、好みのデザインに仕上げていくと良いと思います。

Christmas glass ornaments are laid out side by side on the black background like wallpaper, front camera angle, photorealistic, seamless design, highly detailed --v 4

promptはtestと同じです

 

vintage USSR various shape Christmas glass ornaments are laid out side by side on the white background like wallpaper, front camera angle, photorealistic, seamless design, highly detailed , by polaloid photo

 

入れたいものを組み合わせるコラージュの方です。

V4の特徴として、最初に「これはコラージュです」「これはキャラクターの絵です」と全体を指示するとか、特有の順番で指示をするなどの過去の工夫が不要になりました。というか、自然言語を学習しているAIなので、「より実際の言葉に近い」指示をした方が、イメージに近いものができるようです。コラージュしたいものひとつひとつも、より正確に捉えて配置してくれます。

 

promptは以前よりシンプルに、下記で良いと思います。

Collage of(コラージュしたいものを並列に並べる)(物),(物),(物) --V4

 

Collage of vintage lace paper, old photos, beautiful jewellery and old letters

画像

画像

コラージュして、円形など、形を指定して敷き詰めることもできるようです。

秋の花、葉っぱ、実のコラージュ。

A collage of autumn flowers, autumn leaves and autumn berries, arranged in a circle. --v 4

 

背景とか敷き詰める形は指示でコントロールしてください

これまでコラージュ画像を作ろうと思ったら、素材を撮影して、スキャンして、Photoshopなどで切り抜きして、配置デザインして…とやる必要があったものを、何をコラージュしたいか選択できて、配置の方法も細かく指定できるのは私は画期的だと思います。

V4も今後サイズ変更と--tileも実装されると思いますので、そうなるとより使いやすくなりますね。



 

kawaii candy randomly laid out, with space preserved in between, multi-coloured wrapping paper , repeating designs --v 4

 

モチーフを決めて並べたい時、下記のようなpromptだとみっしり集合しすぎてしまう傾向があります。

Cute pastel color rabbit illustration, The rabbits are randamly laid out like a repeat design --v 4

V4では、単純に字義どおり指示しても成功しやすいので、下記のような指示の仕方も良いかもしれません。でもまあ、--tileが出るまで待った方が得策かも。

Simple rabbit seamless design, wrapping paper

 





(おまけ)ラッピングペーパーであってシームレスとかリピートはそんなに気にしない、という場合も可能だと思うので、トライしてみてください。

「古いラッピングペーパー」Hallmark wrapping paper from 60s America, with cat design --v 4

 

 

編みぐるみ

midjourney のいいところとして、絵ではないものも自由に生成できる、ということがあります。まるで立体物を自力で作ったかのような表現も可能です。

 

編みぐるみは英語でcrochetを使ってください。

 

(編みぐるみにしたい物)made by crochet

 

a kawaii white cat doll with red pointy hat and red cape made by crochet --testp

 

 

お散歩させてみても楽しいかもしれません。また作家名にクセのある人を入れることで、へんてこなキャラやとても可愛いキャラ、耽美な編みぐるみなんかもできると思います。

an anthropomorphic creature made by crochet with a human boy, they are walking, in the style of Maurice Sendak --testp

(「an anthropomorphic/ an anthro: 物や動物」で擬人化、「in the style of 作者」 でその作家の画風)

↑人間の子供じゃなく両方とも編みぐるみくんになっちゃってますが…

 

そんなもん編みぐるみで作ってどうすんだ、というものもどんどん作っちゃいましょう。実在しないし15秒くらいで作れますし。

フグ刺し(かろうじて刺身ぽさはある)

↑crochet bird on a twig で木にとまらせてみる

 

↑とてもキュートなお人形も出せます

個人的にウミウシがとても可愛いのでおすすめです、すごくいろんな種類が出せます

tiny kawaii crochet sea swag 

 

the crochet landscape

風景ごと編みぐるみ

 

various crocheted goldfishes swimming in an aquarium in the style of Shaun Tan

tile を使ってこんな模様を作ったりもできます

 

【V4】編みぐるみ

 

【V4】さらにひとつひとつのクオリティが上がっています。「小さい」を表現するために指でつまんでいる画像にしてくれたり、「人間の男の子と編みぐるみかいじゅうがが冒険している」も近しいものを再現できるようになりました。

a tiny kawaii crochet sea slug --v 4

ウミウシ。promptはtestと同じです

 

anthropomorphic creature in the style of Maurice Sendak made by crochet, and a human boy on an adventure together, they are friends --v 4

画像
画像



お菓子の家

 

個人的にお菓子で家や街を作ることには並々ならぬ執着があり、かなり実験しました。

まず「お菓子の家」は、英語でもいろんな言い方があるのでしょうが、promptとして一番良さげなのは

 

gingerbread house これです。

 

【主題、お菓子にしたいもの】are made of  gingerbread houses

 

これだけだとちょっとお菓子度合いが足りないなと思われる場合は

&candies&cotton candies&chocolates looks very tasty

などつけてみてください。特に「looks tasty(美味しそう)」はけっこう大事です。

 

town of gingerbread houses Looks very tasty in the style of Mary Blair it’s a small world, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --ar 3:2 --testp

town of gingerbread houses Looks very tasty in the style of Mary Blair it’s a small world, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm

 

 

a girl and boy standing in front of the gingerbread house Looks very tasty, Deep in the forest, night, in the style of Mary Blair, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --ar 2:3 --testp

 

Mary Blairはディズニーのコンセプトアートなどを描いているイラストレーターですが、単に私が気に入っているのでよく入れています。

街ごとお菓子の家にすることはできるかな?と思ってやってみましたが、意外とできます。ヨーロッパ(イタリア、フランス)などの街、城下町とか。が成功しやすいです。

 

Beautiful European-style castle town made of gingerbread houses&candies&cotton candies&chocolates , pastel color sky backgraund, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --ar 16:9 --testp

 

「ヴェルサイユ宮殿」とか入れていたら、こんなのが出てきてビックリしました。

Palace of Versailles are made of gingerbread houses&candies&cotton candies&chocolates looks very tasty, dreamlike, beautiful atmosphere, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --ar 9:16 --testp

 

そのほか、夜にしてみる、作家名をいろいろ変えてみる、ストリートの風景にしてみるなど試しました。まだまだ可能性があると思うので、誰かやってみてほしいです。

 

 



 

a beautiful and Delicately decorated small gingerbread house looks very tasty in the forest , by Tove Jansson, dreamlike background, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm

 

 

これはかなり初期midjourneyなので、ちょっと荒々しいですが、ショップのはがきを作ってみたりもしました。 

 

 

 

【V4】お菓子の家

【V4】さらにすごくなったものもあれば、写真風にして出すのが難しくなってしまった画像もあるように思います。なんというか、雰囲気とか味とかを出したい場合、--test版を使った方がいいように思います。一方でイラストとしてカラフルでパワーのあるものや、子ども向けの絵本などに使いたい場合は、V4が合っている気がします。

gingerbread houseではなくcandy houseとか、他の単語でも近しいものは出せそうです。


ヴェルサイユ宮殿はクッキー製のようになって、美味しそう。

promptはtestと同じです

画像

なんかすごい。


 

 

Castle and castle town made of gingerbread houses with candy, 8k, highly detailed, taken by canon ef 50mm --v 4

 

gingerbread house Looks very tasty a girl and boy are standing in front of the house, Deep in the forest, 8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --v 4

なんだかミニチュアで実際作ったというよりはCG画像のようになってしまうので、「本物みたいにリアルなお菓子の家が森の中に立っている」みたいな指示をしてみました。

きっと何かしらもっとやりようがあるんじゃないでしょうか。

 

Delicious-looking house made of real sweets, very realistic gingerbread house standing in the woods, photorealistic, photo, taken with a high-performance camera --v 4

ちょっと驚いたのが、test版ではできなかった「室内」も作れたことでしょうか。


The beautifully and delicately decorated gingerbread house room looks very delicious inside,8k, highly detailed, octane render, ultra hd, flat shoot, taken by canon ef 50mm --v 4

美味しそう!毎日ちょっとずつ食べてしまって、家が崩れてしまいそうです…。



今日はこんなところで。

いずれアニメ版βのnijijourney のことなども書きたいと思います。

V4とアニメ版βを研究中です。で毎日飽きることもなく遊んでいます。

 

 

kobeniの midjourney 専用instagram

 

@kobenidjourneyです。

この記事にある絵もだいたい上がってます。

V4とnijijourney もバリバリ使っております。

twitterにも書くことはありますが、絵は基本的にインスタにUPします

 

海外輸入雑貨のwebショップ「Cordelia」instagramはこちらです。画像加工を使った投稿などはこちらからも見られます。

 

@cordelia_kobeni

 

 

 

 

 

 

 

7/27 session「共生社会とインクルーシブ教育の行方」と和光学園の障害児教育について

12/31のDOMMUNE第一部に出演した際、荻上チキ氏が同番組出演のオファーを断った、という説明が主催の宇川直宏氏からなされた。その際、私は「彼の(小山田圭吾氏に関する)取り上げ方には納得がいってない」というようなことを述べた。だが、具体的に「何に納得していないのか」を丁寧に説明せず、言葉足らずのまま批判の姿勢だけ示してしまったため、私が、荻上氏がパーソナリティを務める「session」の放送内容の何に違和感を覚えたのか、ここにもう少し詳細を書いておこうと思う。

 

※2022 1/6追記

オファーに対し登壇を断ったことを発表していい方と良くない方がいたようだが、チキさんは「発表して頂いて構いません」とは述べていなかったらしい。当時のライター村上さんは、辞退の理由の手紙を読み上げて構わないとのことだった。

許可が取れていないのにオファーを断ったことを発表するのは、マナー違反だと思う。

登壇者のひとりとして、許可が取れていると思って発言してしまったことをお詫び致します、申し訳ありません。

 

 

 

 

私が「納得していない」と述べたのは、2021年7月27日に放送されたラジオ番組「session」の下記の放送だ。

番組冒頭部分のみ、一部書き起こしを掲載する。

(アーカイブはこちらから聴くことができる)

https://www.tbsradio.jp/articles/42102/

 

 

N=ゲストの野口晃菜氏

T=荻上チキ氏

H=南部広美氏

 

H:二週連続企画 共生社会とインクルーシブ教育の行方

 

辞任した小山田圭吾氏の障害者いじめ問題をきっかけに考える

 

先週、オリンピックの開会式で、楽曲制作をする予定だったミュージシャンの小山田圭吾氏が、過去の雑誌で、学生時代に障害のある生徒らをいじめていたと、露悪的に語っていたことが問題視され、楽曲担当を辞任した問題。この問題を受け、知的障害者の親らでつくる全国手をつなぐ会育成連合会や、障害者の当事者団体で作るDPI日本会議が、批難する声明を発表。DPI日本会議の声明では、この問題を機会として、インクルーシブ教育とはどういうものであるのかを考える契機にすべきであるとしています。障害者と健常者が共生する社会を、どう作ればいいのか。先週に引き続き、今日はこの問題をきっかけに考えます。

 

(中略)

 

N: 小山田さんの記事は実はだいぶ前に読んでいて、すごくショックを受けたのを覚えています。昔の話だからとは割り切れずに、今もでも同じことが起きてもおかしくない状況にあるというのを、学校現場を見ていて思うこともあるので、やらなければならないことがたくさんあるなと思いました。

 

T: これをきっかけに、多くの議論というものが起きたわけですけれども、一方で、現在でもこういった問題が起きてもおかしくないということですけれども、それはどういったような出来事が起きてもおかしくないとお感じなのですか。

 

N: 小山田さんがいらっしゃった学校の状況というのはわからないんですけれども、一連の記事を拝見していて、もしかしたら、何の工夫や配慮もなく、障害のある子と障害のない子が、ただ同じ教室で一緒に過ごすという「ダンピング」と呼ばれる状態があったのではないのかなと感じています。学校教育は、どうしてもマジョリティー・多数派仕様に作られているので、少数派である子ども達が、そこになんの工夫もなくポンと入っても、同じ学級経営とか授業作りが続けられていたら、障害のある子は「クラスの一員」というよりはお客様状態になってしまうんですね。今でもそういった状況というのはよく見られます。

 

T: ダンピングという言葉が出てきましたけれども、これはどういった意味ですか。

 

N: 「投げ捨て」という風に日本語だと訳せると思うんですけれども、例えば読み書きに障害のある子どもがいた時に、その子が通常の学級にいた時に、これまでと同様に、板書をただノートに写すとか、そういうことが当たり前の授業だったら、その子はその場にいても、学びにアクセスすることが難しくなってしまうんですよね。こういった状態をダンピングといいます。

 

(書き起こしここまで)

 

小山田氏は、7/16に出された謝罪文の中で、問題と取り沙汰された雑誌記事には「事実と異なる内容も多く記載されている」また「誤った内容や誇張(がある)」ことを述べている。

 

「記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました」

7/16に出された謝罪文より

https://digital.asahi.com/articles/ASP7J67FTP7JUTIL03F.html

 

 

よって、関連報道がなされるにあたっては、まず前提として「巷に流れている情報には、事実ではない内容や誇張が含まれている」ということに注意が払われるべきだろう。

 

本件について野口氏は、「小山田さんがいらっしゃった学校の状況というのはわからないんですけれども、もしかしたら、何の工夫や配慮もなく、障害のある子と障害のない子が、ただ同じ教室で一緒に過ごすという『ダンピング』と呼ばれる状態があったのではないのかなと感じています」と前置きして、あるべきインクルーシブ教育について語っている。

そもそも小山田氏のいじめは、40年前の出来事だ。小山田氏が通っていた学校が、日常的に「ダンピング」を行っていたのかどうか、野口氏や番組によって裏取りされているわけではない。野口氏は、「小山田氏の学校の状況はわからない」かつ「今でも同じことが起きてもおかしくないと、学校現場を見ていて思うこともある」と語っている。つまり「現代の、別の学校現場」の話をしたいのであって、小山田氏と、小山田氏が在籍していた学校の話は、自説(=あるべきインクルーシブ教育)を訴えていくための「枕」に過ぎない。

「もしかして『投げ捨て』があったかも?」と思っただけで、実際にそれがあったとは言ってないので問題ないと、野口氏はお考えだったのかもしれない。だが、かつて通った子どもたち、そして、今も通う子どもたちがいる学校に対して、障害児を「投げ捨て」ていたのでは?と憶測でラジオで述べることに、私は非常に疑問を持った。

 

まさにこの放送があった7月末、Twitterでは、和光学園の、生徒への広報用公式アカウントには無数の心ない言葉が投げられ、#和光学園 のタグでは事実か否か確認ができないツイートも無数に流れていた。小山田氏の息子、米呂氏も和光学園の卒業生だが、「彼もまたいじめっこだった」という噂も流れていた。現在の学園を咎めるような内容に心を痛めた現役在校生達(中学生や高校生)が、見かねてアカウントを取得し「和光を悪く言うのはやめてください」「今の和光に、いじめや差別はありません」とツイートするような事態になっていた。

 

和光学園への中傷はその後、8月になっても続いた。

 

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※今はもう、このツイートの何が事実誤認で問題があるかお分かりだと思う。

 

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※このツイートをしたアカウントは、息子の米呂氏もいじめをしていたと吹聴していたが、ツイートは7月で停止している

 

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※和光の在校生のツイート。ちょうど、夏休みに入るか入らないかのタイミングだった

 

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※和光の在校生のツイート。

 

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※和光の在校生のツイート。


f:id:kobeni_08:20211231171501j:plain

※和光の在校生のツイート。

 

 

個人的に、2年前に息子と共に学園を見学したことがある私は、現在の和光学園を根拠なく悪く言われることに憤りや疑問を感じ、明らかな迷惑行為、誹謗中傷に対しての通報を呼びかけた。

 

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SNSを見るだけでも、40年前とその後、現在を切り離せない人たちがこんなにもたくさんいるとわかる。「なぜ学園について、現役生の言うことではなく、匿名で何者かわからない人たちの言い分を信じるのか?」など、子どもたちの言っていることは正論で、私は大人としてとても恥ずかしいと感じていた。

番組を聴いて、学園の関係者や在校生、たくさんの卒業生らがどのように思うか、現在や今後の和光学園にどのような影響があるのか、番組スタッフの皆さんは想像されただろうか。

(かなり傷ついて参っているな、と感じる生徒さんには直接DMで連絡を取り、SNSからしばらく離れた方がいいと伝えたりもしていた。学校側はSNSを見るなと通達していたそうだが、どうしても我慢ならなかった子どもたちにも同情してしまう)

 

もし、「学園にとって都合が悪くても報じるべきことがある」という思いで実施されたのであれば、まず和光学園に取材して、彼らの言い分も併せて伝えることが、フェアな報道姿勢ではないかと思う。

 

 

和光学園の、障害児受け入れに関する独自の試行錯誤について

 

f:id:kobeni_08:20211231163428j:plain

上記も、7月に流れたツイートだ。

「インクルーシブ教育」が広く知られたのは、2006年の国連「障害者の権利に関する条約」の採択後だが、世界的に見ると80年代ごろから既に語として用いられ、論じられていたようだ。

だが、和光学園が設立されたのは1930年代。大正時代の「新教育運動」の中から生まれた私立の学校で、そこから現在に至るまで、障害のある児童も通常学級へ受け入れるという教育方針を続けている。

1974年、当時の校長である丸木政臣氏によって、創設以来実践されてきた教育方針に対し「共同教育」の名が付けられた。要するに、「インクルーシブ教育」という概念が日本に浸透するよりもかなり前から、障害児と健常児との共生についての実践と試行錯誤を行い、現在に至っている学校なのである。

和光学園での実践を、歴史的に「インクルーシブ教育の萌芽」と位置付ける論文もある。

 

 

4 .和光学園の「共同教育」と教育実践改革─ インクルーシブ教育の萌芽として

 

和光学園は障害児を無差別に受け入れているわけではない。自らの教育的力量や障害児を受 け入れる学級の集団実態を勘案して 1 ~ 2 名の 範囲内で受け入れている。また受け入れた障害児は責任をもって可能な限りサポートをつけている。

(中略)

 

学校内のひとつの学級が障害児を受け入れた際,他の学級や他の教師が関与しないような学校風土のなかでは,こうした取り組みは成功しない。学校全体が障害者差別をゆるさない学校 風土,学校が一つの民主的な集団となっているとき,成功するといえる。

 

和光学園における「共同教育」の提唱と盲児の統合教育 ─映画『みんなでうたう太陽のうた』(1978年)─

 

http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/2965/1/0080_016_004.pdf

 

たとえば和光小学校には「補助教員やサポートスタッフはいない」「日常生活では基本的に児童同士で協力しながら生活を行う」「ただし行事などでは必要に応じて支援要員がつく」「学校にはバリアフリーの補助設備が充実しているため、無理に『自助・共助』を強いることはない」等といった特徴がある。つまり、「どこまで障害児のために大人が補助やサポートを行うか」について、歴史的な実践に基づいた独自の考え方を持っているのだ。

 

下記は今年の8月ごろ、小山田氏と同時期に在学していた卒業生(現在もお子さんが在学中で、足掛け40年にわたり和光学園の歩みを経験されてきた立場)の方に、和光の共同教育について質問した際、いただいた回答の一部だ。

 

今、和光学園の教育をめぐる批判の一番の問題は、和光学園が実践してきた教育方針が、「インクルーシブ教育」とはその出自や歴史を異にしてきた事実が、詳細に伝わっていないことではないかと思います。

 

もちろん「共同教育」にも当然課題はありますが、「一緒に生活することによってしか感じられない様々な不便、不都合、不快、違和感、葛藤、軋轢」を共有することで、現実の問題として解決したり、折り合いをつけたり、闘う相手を見定めたりしていく教育なのだと思います。

和光は、半世紀以上ずっと試行錯誤しており、常にもがき、模索しているのは間違いありません。

そのなかで、当事者である生徒が「教材」になる(健常者の学びの材料として、人身御供のようになり、疎外感や苦しみを感じてしまう危険は常につきまとう)リスクを認識しながら、どうすれば解消できるのか必死でもがき、でも少しずつ改善して今日に至っていると思っています。

孤立、失望、悲しみを感じている人を放置しては、この理想は偽善になってしまいますが、放置しない、許さない、という信念だけは変わらず和光の先生方も同窓生も持っていると思います。そこは変わっていません。道は遠く、険しいですが。

 

インターネット上で検索し入手できる各種の論文や、数名の在校生・卒業生の言葉を聞く限り、和光学園が「ただ同じ教室に生徒同士を放り込む」教育方針を取っているようには、私には感じられなかった。

共同教育の試行錯誤の中で、それを「ダンピングだ」と感じて去っていった保護者や卒業生も、もちろんいるだろう。だが「ダンピング」になる危険性は常に認識しつつ、それでも日常生活のなかでの葛藤や衝突を恐れずに、お互いの人間理解を深めていく共同教育を捨てずにいる……というのが、和光の現状であると思う。

 

小山田氏が在籍していた頃の教師は現在、全員退職している。だが論文や証言を参照すると、当時から基本的には今と同じ理念を掲げ、試行錯誤していたことがわかる。それらを自ら調査することなく、当時の学園を憶測で「ダンピング」と結び付けて語るのは、やはり配慮に欠ける行為ではないだろうか。

 

 

12月の終わりに、7月末の特集を蒸し返して……と思われる方もいるだろうが、野口氏による「小山田圭吾氏を見出しに利用したインクルーシブ教育の持論展開」は、10月にも文春オンラインにてあらためて行われている。

 

bunshun.jp

 

 

この無料記事にフックとして、本文には全く出てこない「小山田圭吾」がついている理由は、本記事ライターの「ダブル手帳」氏が自らツイートで明らかにしている。

 

 

 

8月に指摘しておけばよかった、そうすれば10月に改めて同じような記事を配信されることもなかったかもしれない。いま私はそのように思っている。卒業生である小山田氏の在学中のできごとをめぐる今回の問題について、和光学園は7/23以降、コメント等を出してはいない。積極的に何か述べることで、卒業生や在校生を二次被害的に傷つけることを恐れている可能性もあるのではないか。学園が自ら「誤解を招く報道はやめてください」と述べることは、今後も難しいかもしれない。

 

ロッキング・オンの「うんこを食わされた」いじめられっ子は実在していない。クイック・ジャパンで語られた、小山田氏にいじめられた障害児は、確かに実在する。だが、現在52歳の小山田圭吾本人や、和光学園の関係者、在校生、そういった人たちもまた「実在する」。「枕」や「きっかけ」化する際は、彼らの心情、人権にも注意を払っていただけたらと思う。

 

 

 

私はもともと、「session」を毎日聴くぐらいのファンだ。小山田圭吾氏をめぐる問題を、後に明らかになった事実も踏まえ、あらためて特集化してもらえないだろうか。sessionの視聴者には、正義感や高い倫理観があるが故に小山田氏を強く批判した方(「孤立無援のブログ」を信じてしまった方や、後日明らかとなった捏造の事実は知らない方)や、五輪開催に反対する中で、小山田氏を「身勝手な政府の御用ミュージシャン」と勘違いした方もいるのではないかと思う。実態は全く異なる。できればそういったリスナーの誤解を解いてもらいたいのだ。私はこの記事を、「session」に対する期待と共に書いている。

どうか、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

参考:sessionの企画の冒頭で、いくつかの障害者団体の声明が紹介されているが、「日本自閉症協会」もまた、本件に関して声明を出した団体のうちのひとつだ。

http://www.autism-japan.org/action2/2021/20210806seimei.pdf

 

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「当協会はネットで引用されている情報だけで判断するべきではないと考え、問題となった 30 年ほど前の二つの特集記事に目を通したうえで考察することにしました」

 

から始まる本声明文に私は大変驚き、感謝と共に寄付を申し出たのだが、現在時点で寄付は不要です、その代わり例えば自閉症啓発デーなどに、障害について考える契機として支援・関心を寄せて頂ければ嬉しいです。といった丁寧な返信を頂いた。

それ以降、私はずっと「4/2は自閉症啓発デー」と繰り返し思い出すようにしている。ニュースは一瞬で「わかった気になる」のではなく、関心を持ち続け、その本質はどこにあるのか?問い続けることが、最も大切なことだろうと思うからだ。

 

 

 

「ビルド・ア・ガール」で考える90年代ロック・シーンと音楽雑誌

夏からずっとCornelius(小山田圭吾)のいじめ記事炎上の件について考えている(何のことか全くわからない方は、この記事のふたつ前から読んでみてほしい)。今はプロのジャーナリストの中原一歩さんが、関係者に取材などを行って週刊文春にてレポートしてくれているため、それが最も重要な情報であり、私ができることは特にない。ただ、本件には様々な問題が絡んでいるため、いつもいろんな観点から考え事をしており、そんな中で公開されたひとつの映画ー「ビルド・ア・ガール」(How to build a girl)が気になって、観に行ってきた。そこそこのネタバレは含むが、あくまで映画のワン・エッセンスにしか言及していないのでご安心を。

 

 

舞台は93年のイギリス、主人公は16歳の女の子

時は1993年、イギリスは失業率が10%を超える不況に見舞われていた。主人公のジョアンナ・モリガンは、イギリス郊外ウルヴァーハンプトン生まれの16歳。労働者階級に生まれ、家族7人で公営住宅に暮らしている。学校では「イケてる」グループに憧れつつもそこには入れず、それどころかバカな男子たちにからかわれたり追いかけられたり。なんとかこのど田舎から出て、もっと新しい人生を切り開きたい!今とは違う自分になりたい!!という気持ちを抱えながら地元の図書館に入り浸っている。

エミリー・ブロンテなどの古典文学を愛する彼女の特技は唯一、文章を書くこと。自作の詩が入選し、テレビに出て朗読することになったのに、そこでも大緊張して失態を犯し、せっかくの晴れ舞台が黒歴史となってしまう。

そんな中、ロック好きでZINEも作っている兄のクリッシーに勧められ、「D&ME」という音楽誌にレビューを投稿する。それが彼女の、自分探しの第一歩だった。彼女はペンネーム「ドリー・ワイルド」を名乗り、とりあえず形(ファッション)から入って新しい自分へと生まれ変わろうとする。

日本で言えば、静岡(適当に決めました)に住む16歳のJKが、JAPANレビューに連続掲載されたことをきっかけに、ロッキング・オン編集部目指して鈍行で上京。なんとかその中に自分の居場所を見つけようと、清志郎とかブルーハーツのCDレビューを書きまくり、正式に編集部員として認めてもらうため山崎洋一郎編集長に「取材がしたい!」とゴリ押しし、フリッパーズ・ギターのライブに潜入……みたいな感じのストーリー、だと思う。

実話に基づく話だということだが、16歳の高校生が実際にロック誌ライターとしてデビューするなんて、本当なの?と思ってしまう。だが、どんなに遅くまでライブハウスに貼りついても、必ず実家までわざわざ帰宅し、数時間寝てまた学校へ…というジョアンナの様子が妙にリアルで、(ああ、これ本当なんだな…)と思わされてしまう。学業との両立がすごく大変そうだけど、原作者は「才能とガッツでチャンスを見事にモノにした」本当に稀有な少女だったのではと感じる。

 

音楽雑誌が絶大な権力を持つ時代

ジョアンナが寄稿したのは「D&ME」という音楽誌。実際にあった「NME」という雑誌をモデルにしている。レビューが何度か掲載され、ついにロンドンの編集部を訪問することに。ドアを開けるとそこは、大音量でロックが鳴り響くオフィスだった。ジョアンナが紹介された編集者は開口一番「モリッシーをなぶり殺して疲れ切った」…もちろんナイフじゃなく、ペンで。

これは当時の雑誌とミュージシャンの関係を如実に表す一言である。情報の発信源がせいぜいテレビとラジオと雑誌に限られていた頃、音楽誌の持っている影響力の大きさ、権力は今よりも絶大だった。当時の英音楽誌はミュージシャンに対し毀誉褒貶が激しく、持ち上げるだけでなくこき下ろすのもひとつの人気コンテンツのあり方だったようだ。「D&ME」編集部による深夜の屋上パーティーでは、「抹殺する」と決めたミュージシャンの7インチレコードを、空中に放り投げて銃で撃つのが娯楽になっている。

音楽誌が、ミュージシャンと対等どころか、時には彼らの運命まで左右するほどの権力を持っていた。近しいことは日本でも起きていたはずだが、いざ20年以上の時が経つと、にわかには信じ難い気持ちにもなる。ジョアンナ(ドリー)は、顔パスならぬ「名前パス」でライブハウスへ潜入し、深夜に自宅に戻りタイプライターでさっきのライブの原稿を書き、その紙原稿を近所のポストに投函し、数日後に「ニュースエージェント」(町の小さなキヨスクみたいなやつ)で、D&MEに自分の書いた文章が載っているかを確認する。この一連の行為にそれぞれタイムラグがあり、物事がゆっくりと進んでいく。掲載された後、ドリーの感動が読者に届くまで、そしてその読者の心に定着するまでにもまた、そこそこの時間を要する。即時シェアができないからこその良さもあったのではないかと、懐かしく思い出した。

 

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「ここ(俺の膝の上)に座って話そう」

「93年のイギリス」という限定的な舞台での話だが、いわゆるパンクバンドやロックバンドは男性のグループが多い。そうなると音楽誌ライターも男性の方が有利なのだろう、D&MEには女性社員がいない。

そんな中に、何も知らない田舎生まれの16歳女子が突撃していったらどうなるか。

 

編集部の男たちに、真に仲間に入れてもらうための最初の試練は、「ここ(俺の膝の上)に座って話そう」という要望に応えることだった。原作者のインタビューによると、これは実話らしい。

そのうちジョアンナは、編集者ともミュージシャンとも、パーティーでたまたま出会った見知らぬ人ともキスをし関係を持ちまくる(これに関してジョアンナは心折れないどころか割と楽しそうだったのでちょっと笑った)。

必死に先輩編集者や業界人たちの真似をして、やっと掴んだ初めての特集取材。ミュージシャン、ジョン・カイトのライブに心底感動し、最大級の愛と文章スキルを駆使して書き上げたドリー・ワイルド渾身の取材レポートは、編集部のメンバー達から「ティーンエイジガールの熱狂的な文章」と一蹴されてしまう。

原作者はフェミニストなのだそう。そういった期待にもしっかり応える作品だ。なんせタイトルが、ビルド・ア・「ガール」である。

 

90年代に少女だった人なら、多かれ少なかれ「あれは差別だったな」とか「女だからこういう扱いなんだな」という経験をしていることだろう。私はジョアンナと同じ歳の頃はセーラー服を着ていたが、制服の時だけ知らないおじさんがめちゃくちゃ見てる……みたいなことは何回かあり、思い出すと心底気持ち悪い(普段着の時はボンデッジパンツ履いたり安全ピンを手首に巻いたりしていたので、そういう目では見られなかった)。

編集部には男しかいないし、ジョアンナは彼らの言うことがイケてるし正しいと思っている。せっかく掴んだ、他のティーンにはけして得られないチャンス。そう思ったら、「?」と思ってもセクハラを受け入れるしかないだろう。

ジョアンナが「ここ(膝)に座って」と言われるシーンを観ている時、自分が、一人の個性ある人間ではなく、「別の漠然とした何か」として扱われたかのような、あの独特の感覚が蘇ってきた。わかりますか?わかりますよね。

 

こんな思いをする女の子は一人も居なくなってほしい。

 

「ティーンエイジガールの熱狂」は邪魔なのか

日本の90年代のロックシーン、あるいは音楽雑誌に、この映画と同じようなホモソーシャル・マッチョイズムな文化があったのか?というと、私は入社したことがないのでわからない。ただ「D&ME」編集部は、ケンブリッジなどの一流大学を卒業した男性が正社員として働いているという設定だ。当時のイギリスは不況の時代だったのだから、雑誌編集の仕事に就けたのもごくわずかなエリート達だろう。

そして私が日本で90年代の終わりごろに就職活動をした時も、出版社(もちろん音楽雑誌も含む)に入社できる人間はほんの一握りだった。インターネットが本格的に普及する前、出版は広告と並んでとても人気の業界だった。

 

ここでちょっと小山田くんの話になるけれど、9月に出た週刊文春の取材で、彼は自分が94年頃に露悪的に振る舞った理由として、下記のように述べていた。

 

「当時、アイドル的というか、軽くてポップな見られ方をしていました。極めて浅はかなのですが、それをもっとアンダーグラウンドの方に、キャラクターを変えたいと思ったのです」

(週刊文春 9/15号)

 

最初は「ふーん」と思っていたが、時間が経つにつれてだんだんこのコメントにモヤモヤ、イライラするようになってきた。なんだろう?「アイドル的」って。私、スチャダラパーの出待ちしたことあったけど。女性ファンがキャーキャー言うことを指してる?私たちティーンエイジガールの熱狂は嫌だった?

そういえばスチャダラの歌にも、な〜んか私たち女子ファンをバカにするような歌詞があったなあ。「今夜はブギーバック」でこれまでになくブレイクした直後のアルバム

「5th wheel 2 the COACH」(95年)に入っている「from喜怒哀楽」、「怒」のパート。ちょっとだけ引用しますが、このパート全体的にヤな感じ。

 

ANI「アタシーよく人から変わってるって言われるんですぅ」かぁ?

女の子の声「そういう子達多いですよねー最近」

ANI「多いよー君らを筆頭に」

From喜怒哀楽 スチャダラパー 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

 

ライブでは「君らを」のところで私たちファンの方を指差していた。

こういうのって、本当は女子の私たちじゃなくて、周りのラッパーとか男性ミュージシャンに向けて歌っていたんじゃないだろうか。「俺たちは、売れて女の子にキャーキャー言われて調子乗ったりしてませんよ」「硬派にヒップホップやってますよ」って。

比較的マッチョな雰囲気がないオモロラッパーですら、こうなんだなと割とガッカリしていた。

小山田くんの「アイドル的」の真意は、私にはわからない。彼が述べている時期は、ソロ活動を始める前の「フリッパーズ・ギター時代のイメージからの脱却」の話であり、私はコンビ解散後にファンになったので、自分の経験からは語れない。

けれど2021年現在でも、「男性俳優が、アイドル的に見られたくないという理由で、女性ファンばかりつくのを嫌がる」といった話を聞くことがある。

 

黄色い歓声をあげる女=音楽や芝居などの能力ではなく見た目を評価してるだけ…と思われているのだろうか。

本映画の原作者インタビューより一部を抜粋する。

90年代から今に至るまで、数多くのアーティストに取材をしてきた。インタビューしたバンドの中には、ファンの多くが10代の女の子であることに悩んでいる男性も多くいたという。男性からの支持がなければ「本物のアーティスト」ではないーー男性アーティストたちのそんな考えに、違和感を抱いてきた。

 

本当は、10代の女の子ほど音楽の好みが優れている人たちはいないと思ってる。イケてるバンドを見つけるのも、無償の愛を捧げるのも彼女たち。ビートルズだって、10代の女の子に愛されたからこそ頂点に立って、どんなことにも挑戦できるエネルギーや信頼、愛を得ることができたんじゃないかな。にもかかわらず、女性、特に若い女の子が好きなものは劣っている、価値がないとみなされることは、うんざりするほど本当によくある

 

www.huffingtonpost.jp

 

そりゃ、好きな音楽をつくる人がたまたま「恋愛対象となる性」だったら、そのせいでより魅力的に感じることはあると思う。でも、「顔がいい」ことに黄色い歓声をあげたいなら、それこそもっとふさわしい対象はミュージシャン以外にいるだろう。

その人の音楽が好きだからファンになっているのだ。彼が舞台に上がるや否や「キャー!!!」と叫びながらも、一方で「今日のギターは5年前のあの時と同じフェンダーということは云々」「この新曲の歌詞はつまり美を比喩的に表しており云々」などと脳内処理している女子だっているだろう。よくよく考えたら私は当時、ライブ後ヘロヘロに疲れて帰宅しても、その感動を忘れないよう夜のうちに友達へ長い手紙を書いたりしていた(LINEとか、ないから……)。

「尊い…」しか言えなきゃレビューは成り立たないが、めちゃくちゃ語彙力のある女音楽オタクだって普通にいるではないか。

 

女のファン=わかっていない、なんて思わないで欲しい。

2021年には、そんなことを思うミュージシャンは絶滅していると思いたい。

 

ピート・タウンゼント曰く「ロックはアブノーマルと下層階級の歴史」

最近、90年〜93年頃のロッキング・オン・JAPAN本誌をご好意で頂いてしまい、時々ペラペラめくっている。

小沢健二と小山田圭吾によるバンド「フリッパーズ・ギター」は、89年にデビューし91年に解散している。彼らは当時「フニャモラー」を自称しており、これは「フニャフニャしたモラトリアムな人」という意味らしい。2021年の今から省みると、彼らの音楽は多分にロックでありパンクだと思うのだが、どうやら当時のロック界では、「あんなフニャフニャした、本気かどうかわからない奴ら」と思われ、ジャンルもわかりにくく、異端扱いだったようだ。

これは当時のロッキング・オンに詳しい友人に聞いたことだが、92年4月号の、洋楽の方のロッキング・オンには「全ての『小沢圭吾』に向けて−時代を打ち抜くマニックス(マニック・ストリート・プリーチャーズ)」という記事が掲載されている。 過去からの引用やサンプリングを使用して、パッチワークのような音楽の作り方を是としていたフリッパーズの姿勢に違和感をもつ同社ライター(岩見吉朗さん)が、「デビューアルバムを世界中で一位にして解散する」と宣言したマニックスを称揚する原稿なのだそうだ。

奇しくも映画でジョアンナが初めて取材をすることを許されたミュージシャンが、マニックスだった。「恋とマシンガン」をD&MEの編集者が聴いたらどう思ったのだろう。むしろCDがマシンガンで撃たれていたかもしれない。

そんなフリッパーズを「ロック雑誌」ロッキング・オン・JAPANで繰り返し取り上げてきたのが、山崎洋一郎さんだった。解散したバンドを特集するラジオ番組(96年NHK FMミュージックスクエア)で「2時間じゃ語り足りない」と宣うほどのフリッパーズ支持者だった彼は、解散前も解散中(?)の空白期間も、そして二人のソロデビュー後も積極的に小沢健二&小山田圭吾を誌面で取り上げている。山崎さんは、その音楽ジャンルはいわゆるハードなロックミュージックではないにしろ、二人にはいわゆるロック魂が宿っていると考えていた。

94年の頭。小山田くんがソロデビューしCornelius名義で初のアルバムを出そうというタイミング。彼にとっても非常に大事な時だろう。またそれは、廃刊寸前まで追い詰められていたJAPANにとっても同じだった。部数が低迷していたJAPANだが、93年に一足先にソロデビューした小沢健二と、楽曲プロデュース等でジワジワとソロ活動をスタートした小山田圭吾を取り上げた号はよく売れた。そして山崎さんは、「新生ロック雑誌」JAPANの、リニューアル第一号の表紙に相応しい人間として、Corneliusを取り上げる。

 

稲田:判型を小さくする前の最後のほうで、小山田圭吾、小沢健二っていうのがあったんですよね。ソロ・デビューした彼らが続けざまに表紙になったんですけど、あれが売れて。

田中:そこに何かしらの糸口が見えた?

稲田:希望が見えましたね。これが未来の動きだし、そこに読者がいるし、リスナーがいるというのが見えたんです。で、判型を小さくすることになったんですけど、小さくした最初の号の表紙がコーネリアス。

カルチャー雑誌/音楽雑誌は死んだ? 雑誌天国の90年代から20年、何が変わったのか?~90年代『ロッキング・オン』編 | FUZE

 

山崎さんがどのような考えでCorneliusを表紙に抜擢したかは、この翌月・2月号の小山田インタビューで語られている。

 

小山田「〜(略)でも渋谷系ってどう思う?渋谷系ライターとして?」

山崎「ビックリしたんだけどさ。リニューアル1号でコーネリアスを表紙にしたじゃん。それで業界の人に「どうだあ!!」って見せると「ああ、渋谷系のオシャレ系なんですね」とか言われてさ。俺としてはもうロックもロック、ロック界でも超やさぐれたヤクザ人間を表紙に持ってきちゃって大丈夫かなあってつもりだったんだけど、「あ、時流に乗ってますねえ」みたいな反応なんだよね。

小山田「俺また人格プロデュースされてる!(笑)」

山崎「で、ロック・ファンでもそういう反応があるわけ。」

小山田「でも、わかるよ。僕が例えば高校生とか中学生で、渋谷系とかいっちゃってこんな軟派そうな男が表紙んなってたらさ(笑)、俺も絶対にそう思うもん!」

山崎「ははははは。」

小山田「女の子に『こんなものは認めない!』って言うよ(笑)。『こんなコーネリアス』とか言ってさあ(笑)」

(ロッキング・オン・JAPAN 94年2月号 コーネリアスインタビューより)

 

ロッキング・オン・JAPAN 94年1月号、あの「いじめ記事」インタビューが掲載された号にはこんな背景があった。

フリッパーズ時代、ある種のロック村から「スカしたオシャレ系」「雰囲気だけの音楽」と色眼鏡を持たれていた小山田圭吾。そんな彼をロック文脈で捉えてもらうためのフックとして、「ヘタレではなくヤクザな男、いじめられっ子ではなくいじめっ子」というキャラ付けをし、新生JAPANの表紙や特集にふさわしい人間に演出しようとしたのではないだろうか。もちろん小山田くんも、それに乗っかってしまった部分はあったのだろうが。

 

今年の9月、小山田くん自身から、あの見出しや一連の描写は「捏造だった」ことが語られている。

だが当時、JAPAN側はその事実(と見せかけた捏造)を前向きに捉えている様子が、この号の編集後記に残っている。

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巻末の編集後記。ただ実際に対談はせずにどちらかのライターが書くこともあったそう

ここに出てくる井上貴子さんのロック論も、やはりD&MEのそれに近しいものがあるように読めるのだが、それは私だけだろうか(The Whoのピート・タウンゼントはよくステージでギターなどの楽器を破壊したことで有名らしい)。

私は95年ごろからのJAPAN読者なのだが、「人(ライター名)で読む」ということをあまりしていなかった。小田島久恵さんのお名前だけは覚えている。レビューがすごく面白かった記憶があるからだ。ただ井上貴子さんはどんな方だったか覚えておらず、今年初めてこの編集後記を読んで、驚いた。ずいぶんと乱暴なことを仰っているぞ……?

だが「ビルド・ア・ガール」を観た後だと、井上さんもジョアンナ(ドリー)のように、「もっと冷笑的に、辛辣になれ、あいつらをこき下ろせ」とか言われていたんじゃないだろうか…?などと心配になってくる。そこまでのことはなくても、「90年代のロック雑誌編集部」という男社会の中で、女性ライターたちは無理をしてはいなかったのだろうか。

……などと考えていたら、前述したロッキング・オンに詳しい友人が、「小田島さんと井上さんは『ちんちんシスターズ』という名前で、本誌で連載したり絵を書いたり、ボンテージルックで海外のミュージシャンと雑誌に登場したりと、なかなか破天荒な活躍をしていた」と教えてくれた。ちんちんシスターズの命名は、山崎洋一郎さんだそうだ……。

 

人生は(黒)歴史のスクラップ&ビルド

色々と書いてきたが、この映画のいちばんの見どころはやはり、一人の女の子が「自分探し」の中でガツガツといろんなことにチャレンジするところだと思う。例えるなら「パンキッシュな朝ドラ」という感じだろうか。地元・田舎と上京先・都会の比較の描写や、両親・兄と言った身近な家族との交流もしっかりと描かれているため、朝ドラにも全く引けを取らない。

音楽や出版など、華やかなエンタメ業界に憧れていても、それを本当に仕事にできる人は一握り。ましてや女性ならもっともっと狭き門になる。その憧れに向かって、思いつきのままにチャレンジし、派手に転んで黒歴史に頭を抱える「七転び八起き」的なジョアンナの奮闘ぶりは、同時代を少女として生きた私も他人事と思えなかった。

 

小山田くんは、25年も前に自分が登場した雑誌記事を2021年のインターネットを通し全世界にばら撒かれたわけだが、そもそも90年代の自分をSNSに晒されるなんて、私なら「今すぐ樹海に向かいます」というレベルで恥ずかしい。みんなそうじゃないの?

そんな話を夫にしたら、「黒歴史も何もなー、そもそも人生においてあんまりチャレンジしていないから、特に後悔もない」と言われてしまい、しばらくポカーンとした。

 

黒歴史は、「もっとカッコよくなりたい」「今と違う自分になりたい」そういったことを考えた人間にのみ残る。自分はこのままでは終われない、何かにチャレンジし新しい人生のドアを開けたい、そんな風に思わなければ、黒歴史は生まれようがない。のっぺり茫漠とした、どっかで聞いたような過去がただそこに残るだけだ。

「ビルド・ア・ガール」=「自分を探す」というよりは、自分を「作ろう」と、この映画はメッセージしている。失敗したら、やり直せばいい。失礼があったら、謝ればいい。なりたい自分のイメージだって何度でもつくり変えて、もう一度あらたに、人と出会い直せばいい。黒歴史を「消したい過去」などと否定せず、しっかりと自分の糧にして、また新たに歩み出すジョアンナを観て、「そうだよね 」と気持ちが軽くなった。

そうだよね。黒歴史だらけの私もそうだと思うよ、小山田くん。

 

小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証 その2. ネットミーム「2ちゃんねるのコピペ」が大炎上に至るまでの変遷

※90年代に出版された雑誌記事、また「2ちゃんねる」(匿名掲示板)に書かれた、いじめや暴力、差別に関する生々しい表現、被害に合われた方にとってつらい記憶を呼び起こすような内容を含みます。読まれる際は十分に、ご注意ください。

 

 

前回の記事の最後に、「小山田圭吾のいじめは、『2ちゃんねる(現・5ちゃんねる、以下2ch)のコピペ』という形のネットミームとして、一部のネットユーザーには有名だった」と書いた。今回の記事では、このネットミームがどのような変遷をたどり、2021年7月の大炎上にたどり着いたかを検証する。

 

 

まず、こちらのみうぱるさんの連続ツイートを読んでいただきたい(リンク先で、ツリーの下まで読んでみることをお勧めする)。

 

 

前回記事では、「クイック・ジャパン(以下QJ)vol.3『村上清のいじめ紀行』の全文は、今年の7月までインターネット上に存在していなかった」とも書いた。これが嘘でないと証明するのは難しい。だが少なくとも、この全22ページもある記事全文を、何の理由もなしにインターネット上にUPするというのは、著作権法の観点から考えてもあまり好ましくない行為だ。けれど、今年の7月にあえてインターネット上にUPした人たちには、「この記事の一部切り取られた部分だけ読むのと、全体を読むのとでは、読み手の印象が異なる。だから読んでほしい」という目的があったのだろう。実際そのようなメッセージ付でSNSにUPされたツイートブログ*1は、非常に多く読まれる結果となった。

 

先の連続ツイートで、みうぱるさんは「元記事の『全文』を読んで驚いた。ネットで拡散されている話とは全然違うじゃないか!(中略)事実の認識のレベルで、(私は)インターネットのコピペに騙されていたのだ」と書いている。

実は私も、7/20ごろまで、同記事の全文を読んだことがなかった(ちなみに、この炎上まで「ロッキング・オン・JAPAN(以下ROJ)」の方すら読んだことがなかった)。7/20前後は、小山田氏のことをツイートしても、対話にならない攻撃的な、あるいはファンによる動揺したリプライを受け取ることが多く、やむなくTwitterアカウントに鍵をかけるぐらい、精神的にかなり参っていた。そんなお通夜のような気分の中で(いったい何が書いてあるんだろう…)とQJの全文を読んだためか、「な、なんだこりゃ?」と、拍子抜けした、というのが正直なところだ。

もちろん小学校時代を中心に、いじめの描写はある。一方で単なるクラスメイトとの思い出のようなエピソードも含まれる。「酷いなあ」とか「浅はかだなあ」とか、「これ、私がお母さんだったら今すぐ『コラッ!そんな言い方ないでしょ!!』って叱りたいわ」等といった感想と同時に、「なるほど、この物事の見方は確かに小山田圭吾らしい」という感想を抱く箇所もあった(ただそもそも、この感想自体、私が彼の音楽をそこそこ聴いてきた前提によって成り立っている。よってQJ全文を読んでも、何も印象が変わらない、あるいは「より不快だ」という方もいるだろう。実際に読む時はご自身の体験などに照らし合わせ、注意してほしい。90年代当時、彼がなぜこのような雑誌インタビューに答えたのか、また、そもそも小山田圭吾という人の人間性とこれらの雑誌記事に、どのような結びつきがあるのかは、また別の場で丁寧な検証が必要だ)

 

なぜこのQJの「いじめ紀行」の記事は、メディアが雑誌からインターネットへと移り変わる過程で、みうぱるさん曰く「全然違う」ものになってしまったのか。

 

2ちゃんねるでコピペができるまで

1994年1月にROJ、1995年7月にQJが発行されている。2chが開設されたのは1999年5月。最初に「小山田圭吾のいじめ記事」に関するトピックが2chに登場するのは、2001年ごろだ。

以下に2ch過去ログから、01年以降の書き込み・コピペの変遷を要約し、ログが残されていたスレッドのURLも掲載する。実物を読んでご自身で判断したい方は、そちらを見てほしい。

 

2001年〜2003年

2chの「コーネリアススレ」は、何かCDなどのリリースがあった際、情報交換用に立てられている。この頃はちょうどアルバム「point」の出た時期で、ファンが平和に会話をしている。その中のトピックとしていじめ記事に触れる書き込みもあるが、「あんまりその話はしたくない」「同じ話を何度もしないで」と、嫌がられてもいる。

 

2003年、ROJ本誌からの最初のコピペ(コーネリアススレ初出)が現れる。

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コーネリアス13 five point one 5.1

 

当時は、コーネリアスの私設ファンサイトに、ROJのインタビュー全文書き起こしがあったようだ。ファンとしては善意で掲載していたのだろう。おそらくそこからコピペされてきたと思われる。

上記コピペに反応する書き込みもあるが、当時の記事に対するうろ覚えの知識で書かれていたりする。この時点でROJ発行から9年が経過していることもあり、既に「90年代の雑誌」は、誰もが簡単に入手できるものではなくなっていた。

 

2004年6月

この頃からいじめに関する書き込みが増え、だんだんとコーネリアススレは不穏な空気に包まれ始める。そして2004年6月に起きた、「埼玉蕨女子中学生いじめ自殺事件」と結び付けられ、一気に炎上する。

 

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【ウンコ食わせて】イジメ・コーネリアス小山田【バックドロップ】

 

攻撃的な内容のスレタイ(スレッドタイトル)がつけられ、複数の専用スレッドが立った。このようなまとめページも残っており、「小山田祭り」と呼ばれている。

これ以降「コーネリアス」の情報交換スレも、コピペをひたすら貼り付ける「荒らし」の標的となる。ファンがまともに会話できる状態ではない。スレを立てた人が、「荒らしはスルーでお願いします」と呼びかける書き込みもある。

 

「庇う人たちへ」のコピペ

この大炎上と同時期に、ミュージシャンの嶺川貴子(当時の小山田氏の妻)の公式HPにあったBBSも荒らされた。

 

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【音楽】小山田圭吾 率いるCornelius、ロンドンの展覧会に参加

 

2chに「妻のBBSも荒そう」と言った書き込みが残っている。

そして同スレに、「嶺川貴子のBBSに、下記のような書き込みがあった」と、コピペが貼られている。

 

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【音楽】小山田圭吾 率いるCornelius、ロンドンの展覧会に参加

 

だが嶺川貴子公式BBSの過去ログを調べると、この「ch-fi」というハンドルネームで、以前から書き込みをしていた人物のログが残っている。

 

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嶺川貴子 掲示板

 

公式BBSへの荒らしに対して、唐突に「僕」という主語で書かれた書き込みは、「本人ではないか」と2chのコーネリアス関連スレに貼り付けられ、特に証拠もないまま、同スレ上で「妻のBBSだし小山田本人らしい」と2ch上で真実扱いされていく。

 

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この「庇う人たちへ」の書き込みがあってすぐに、嶺川貴子公式のBBSは閉鎖されてしまったようだ。

 

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(※当時のmixiの嶺川貴子コミュより)

[mixi]ミネコのサイトの掲示板(RIP) - 嶺川貴子 | mixiコミュニティ

嶺川貴子公式HPの方の「庇う人たちへ」のログは現在、残っていない。そのため、本当に公式HPに書き込みされたかも、現在は確認ができない。

ちなみに、この書き込みを2021年現在まで小山田本人と信じていた人がおり、はてなの匿名ダイアリーに「2004年に謝ってほしかった」(※現在は削除、リンクは過去ログ)という記事をUPしていたが、そもそも本人であるという確証がどこにもないし、公式BBSに書き込まれた証拠も残っておらず、2chのスレを信じていただけと思われる。

 

コーネリアスのファンサイトも閉鎖に追い込まれる

この2004年の炎上は、コーネリアスのファンサイトBBSにも飛び火している。過去ログを見ると同年6月から少しずついじめに関する書き込みが現れ、10月にはこの状態。

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cornelius BBS

 

翌年にはファンサイト自体が閉鎖されてしまう。

 

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大変に良識ある管理人さんの挨拶に胸が痛む。今どのような思いでいらっしゃるだろうか

 

ついでではあるが同時期に、小沢健二のファンサイトBBSも荒らされている。ファンが情報交換できる場所がどんどん荒らされていった。

 

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oyaoza ☆ いるかBBS

 

「クソガキどもを糾弾するホームページ」

当時、「クソガキどもを糾弾するホームページ」というサイトがあり、「葵龍雄」という人物が運営していた。これは少年犯罪の犯人を、事件と共に実名入りで紹介するというサイトで、何度も閉鎖されては復活を繰り返していたらしい(2chのスレッドによると、2012年に閉鎖され、それ以後は更新がない模様)。

2004年の大炎上の最中に、管理人の葵氏の元に情報を届けた人物がいたようだ。10月に、ROJの記事抜粋が同サイトに掲載される。

 

 

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ご挨拶と中間報告

 

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コーネリアスこと小山田圭吾の悪行



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2chには続けて上記のような「QJの記述を合わせて掲載させたい」という書き込みもあるが、「クソガキ〜」のHPは基本的に上記の内容で掲載され続けていたようだ。そして今度はこの「クソガキ〜」の内容が2chにコピペされる。

 

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【いじめ】小山田圭吾不買運動【カッコ悪い】

 

2ch定型コピペの完成

小山田圭吾のコピペ、といえば、1.  2003年のROJの抜粋、2. 2004年の「クソガキ〜」からのコピペ、この二つが主たるものだ。今も2chのコーネリアス関連スレで見ることができる。つまり、約20年間これらのコピペが繰り返し貼り付けられていることになる。

またこの他に、QJから、ダウン症について語ったくだりや、ROJの同じインタビューから、中学時代の万引きのエピソードだけが抜粋されたバージョンのコピペもある。

コピペが貼られていないスレでも、小山田圭吾のいじめ=障害者にウンコを食わせた、と繰り返し書かれている。

 

お父様が亡くなったというスレにも

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【訃報】「マヒナスターズ」のボーカル、三原さと志氏死去 71歳 「Cornelius」小山田圭吾氏の父親

 

グラミー賞の候補になったというスレにも

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【音楽】米グラミー賞 「コーネリアス」の小山田圭吾作品がサラウンド・サウンド賞候補に

 

すべての年にコピペは存在しているし、いじめに関するスレッドも毎年立っている。そして、毎年30件前後だったスレッドが小山田圭吾関連スレが今年は3000件越え。

 

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2ch5ch過去ログより

https://kakolog.jp/

 

今年7月は最大の「小山田祭り」だったのだろう。

 

【朗報】小山田圭吾のいじめコピペを20年貼り続けてきた人、TOYOTAをオリンピックから撤退させ歴史を動かしてしまう!!努力は報われるんやね(なんj) - ばびろにあっ!

(※2021年の5ちゃんねるまとめ記事)

 

ちなみに前回の記事でも言及した「孤立無援のブログ」は、開設時期は不明だが小山田氏に関する記事は2006年には書かれている。前回言及した、「はるみ」がツイートした「小山田圭吾における人間の研究(2021.7.15炎上時点)」は、1.  2003年のROJの抜粋の定型コピペと同じ箇所を引用したあと、QJの記事からいじめ描写の抜粋を続ける、という構成になっている。

 

 

2021年7月、2chコピペはどのようにTwitterに現れたか

ではこれらのコピペは今年7月、どのようにTwitter上に登場したのだろうか。

前回記事の「時系列」の最初の方と同じように、2021年7月14日21時(五輪開会式作曲担当が発表になる)〜翌7月15日正午ごろまでの個人のツイートから、小山田圭吾・いじめに関して言及しているものをいくつか抜粋する。

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概ね2つの雑誌の描写が合体している、「クソガキ〜」に言及するものも

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話題になっていたので検索したという人のソースは、「はるみ」「孤立無援のブログ」など

 

同じ内容をkobeniのアカウントでツイートもしているので、画像が小さすぎて見えない方はこちらからみてほしい

こべに🎪 Olive Vive! on Twitter: "開会式作曲担当が発表された日の個人ツイート抜粋。
ネットで、いわゆるミーム、噂がどんどん真実になっていく過程がわかる資料になってしまってます… "

 

 

「小山田圭吾は障害者にウンコを食べさせた」というのは、前回の記事を読んでもらえばわかるように、2つの雑誌の内容が混じっており、またそのどちらからも、「小山田本人が手を下した」という裏付けが取れない。QJには、食糞の記述自体が存在しない。

2chのコピペだけを見ていると、QJには、ROJに書かれていた行為について「先輩がやったのを引いて見ていた」とか、障害者である沢田くん(仮)について「もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど」「僕は沢田のファンになっちゃってたから」という記述もあるのを知ることはできない。

約20年間、2ch(5ch)を通してこれだけ多くの人々が本件を話題にしてきたのに、誰も二つの原典をしっかり読み込んでいないし、その上で「この記事を放置することは社会悪だ」と、真剣に取り合って世の中に訴え出ることもなかった。

本件について、「こんなに酷いことをして、なぜ今まで何もしてこなかったのか」という批判を多く見かけたが、少なくとも2ちゃんねるにあるような、匿名ユーザーによる書き込み、そこから派生した電凸などに対して、小山田サイドがまともに取り合うのは難しかったのではないだろうか。そして2chを見ると、「クライアントに連絡してやれ」といった内容の書き込みも多数あるため、実は見えないところで、小山田氏が複数の仕事を失っていた可能性はある。

 

あるコーネリアスファンの話を挟む。

2chには「荒らしはスルー」というローカルルールがあったため、上記のようなコピペがスレの進行を妨げても、なかなか対応が難しかった。5chになってからは、コーネリアスのTwitter公式に絡むアンチの通報について情報交換したこともあったが、あまりのコピペに過疎化した。

NAVERまとめや、ガールズちゃんねるに貼られた「孤立無援のブログ」の内容を読み、「自分が以前に元の雑誌で読んだ話と随分違うな」と思い、持っていた2冊を読み返した。するとかなり偏った内容になっていたため、「やっぱりネットの書き込みは適当だな」と思っていた。本件が炎上し始めた時、「孤立無援のブログ」をソースとするツイートなどに、「その記事はソースが怪しいから、今一度確認してほしい」と訴えたりしたが、否定的な引用リツートなどが多く来たため、鍵をかけた。

 

2021年に、このような形で本件が大炎上し、小山田氏は現行のすべての仕事を失った。彼は「デザインあ」(現在は放送見合わせ)の音楽を10年間担当しているが、NHKEテレには、番組開始時の2011年と、2017年(「ガールズちゃんねる」の匿名ユーザーがNHKに連絡、いわゆる「凸」を行った)にいじめについて問い合わせがあった。その際には問い合わせの相手に対し、NHKはこのように答えている。

 

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コーネリアス(小山田圭吾)について語りたい | ガールズちゃんねる - Girls Channel -

「ご本人が反省、当時は受け入れ」小山田氏番組でNHK一問一答 - 産経ニュース

(※2011年と2017年のNHKからの回答は同じだったと、上記の産経新聞の記事でNHK側が回答している)

 

今から振り返れば、NHKに問い合わせがあった時に、例えば公式に本件について被害者・また各方面への謝罪をし、「事実でない記述」がどこだったのか、公にして釈明すればよかったのだろう。そうしていれば少なくとも、真偽が不明である不快ないじめ描写や、それに伴う苛烈なバッシングによって、二次被害的に傷つく人々がここまで多く出ることはなかった。そして彼が時間をかけて作った音楽がお蔵入りになる、ということも防げただろう。

 

各障害者団体からも、今回の件に対して声明文が出されている。

全国手をつなぐ育成会連合会」(7/18リリース)は、小山田氏のしたことの問題点を明らかにし、強く抗議を示されるとともに、五輪組織委員会に彼の登用の経緯説明を求めている。一方で開会式まで時間がないこともあり、辞任までは求めていなかった。そして「日本自閉症協会」の声明文(8/6リリース)は、二つの原典雑誌に目を通した上で、「これらの記事はいじめや差別の被害者の視点を欠いており、出版意図に関わらず、いじめや差別を助長します」としながら、一方で「この過去の特集記事を根拠に現在の小山田氏個人を叩くことを煽るネット上のブログや書きこみは、人と人との対立を助長するものであり、 それはいじめや差別と同類」「そういう事態に反応しやすい自閉スペクトラム症当事者を不安にさせます」とも述べている。

 

 

このような団体が、原典記事が出版されたその時に、あるいは2chでたびたび炎上した時に、小山田サイドや出版社に対して声明文を出してくださっていたら……と、我がままなことを思ってしまうのだが、掲載されたのが、インターネットの存在感がほぼない・未発達な時代の娯楽的音楽雑誌・またアングラ雑誌であったこと、2001年以後も「炎上」の主たる舞台が2chだったことを考えると、彼ら団体に情報が正しく届くこともなかったのかもしれない、と思う。

 

 

饒舌な「オザケンタグ」、寡黙な「小山田タグ」

 

辞任の報道があり、開会式の夜、本件に心底落ち込んだ一部のコーネリアスファンと、Zoomで軽く飲み会をした。その時に一人のファンがポツリと、「小沢さんのハッシュタグ(#ozkn)は、いつもすごく賑やかですよね」と言った(小沢健二は、1991年まで小山田圭吾と「フリッパーズ・ギター」というバンドを組んで活動していた)。

そういえば、小沢健二はTwitterInstagramを愛用していて、時にはそこそこ長い文章を流し、ファンにも「いいね」をつけたりしている。またファンも(私含め)全体的に理屈っぽい人が多いのか、わりとよく喋るし、情報交換や「みんなでアルバムを同時再生しよう」などのファン独自イベントも活発だ。

一方、小山田圭吾ハッシュタグ(#oymd)は、小沢健二と双子のようなタグ名称になっているのに、確かに過去、あまりファンの交流がされて来なかったように見えた。小山田氏本人のTwitterも、言葉少なで絵文字が多く、それはまるで「point」や「Sensous」のような近年のアルバムにおいて、歌詞よりも音・メロディそのものとストイックに向き合ってきた彼の音楽性と重なるようだ。

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Corneliusは2009年からTwitterを始めている その一部を抜粋

同じ内容をkobeniのアカウントでツイートもしているので、画像が小さすぎて見えない方はこちらからみてほしい

こべに🎪 Olive Vive! on Twitter: "ブログだと画像が小さくなるので、ツイートもして、リンクを貼ってみます。
コーネリアス公式Twitterの抜粋。… "

「もし自分が言葉をもっと発すれば、オープンSNSであるTwitterやInstagramにはまたコピペが貼られ、荒らされる。そうするとファンが確実に傷つく」彼はそう思って、あまり言葉を発して来なかったのかもしれない。ファンサイドで言うと、古参はこれまで交流の場を奪われてきたため、無理にSNSで交流しようとしないし、新しいファン(コーネリアスには若いファンも多い)も、YoutubeやYahoo!コメントなどあらゆるところに貼られたコピペを読んだことで、なんとなく小山田氏に対して心の距離を保ってしまい、ひとり音楽を聴くことはすれど、ファンの交流にまでは至らなかった……のかもしれない。もしそうだとすると、老いも若きも活発に交流する #ozknタグの住人としては、ほんとうに気の毒で仕方がない。

 

この先の更なる謝罪や、償いについて

 

「今まで何も償いをしていない」というご意見があるが、五輪の作曲担当は既に辞任し、いじめ被害者当事者に対しても「謝罪を行った」と事務所は答えている。そして謝罪文では既にファンに対しても、本件への説明と謝罪がなされているため、多くのファンはこれ以上の謝罪や償い行為は望んでないのではないか?  と思う。彼の音楽をずっと聴き続けてきた人たちは、2000年以降の彼の楽曲で、既に彼の変化を受け取ってきた*2あえて言葉にされなくても、発表された楽曲で彼の人としての成熟を感じ取り、複雑な思いはあれど今は、彼の楽曲を愛しているという方々も多くいる。当然のことだろう、当時25歳だった人間が、長い時を経て今、52歳になっているのだから。

 

現在すべての仕事を失っている彼に、さらに「外側から」何かしらの償い行為を求めるとするならばせめて、二つの雑誌の原典を入手して読み、彼のこれまでの音楽活動がどうであったか、雑誌発行時の前と後で変化はあったか、インタビューなどから読み取れる人間性はどうであったか等を評価し、真剣に向き合った上で何を彼に求めるのかを決めていただけないだろうか、と願う。そして、匿名で掲示板に「あのクズを引き摺り下ろせ」と書き込む等の方法ではなく、せめてご自身の立場を明らかにした上で、償い行為の意味・目的・役割の宣明をしていただけないだろうか。そうでなければ、本件そのものがこの世の中に対して持つ問題が正確に把握・是正されず、結局は誰のためにもならないのではないか、と私は思っている。これから先の未来に起きうるいじめや、障害者差別の抑止にも、特段役立ちはしないだろう。

 

 

彼の謝罪文にあった「事実と異なる内容も多く含まれている」という記述に関しては、彼本人や関係者にしか説明ができない。おそらく今後、その部分がどこで、なぜ「事実と異なる」ままに掲載され出版されてしまったのか、明らかにされる日が来るだろう。その時はどうか、もうこれ以上のバッシングはやめていただけないだろうか。2ch上で、悪魔的に成長したネットミームによって、本件を20年間蒸し返され罵倒され続け、それについて彼はずっと沈黙していた。関連するまとめ記事やブログに削除要請もしていないから、検索すればすぐに出てくる。過去ログも全部残っている。

もう十分に叩かれたのではないか、と思うのだ。

 

 

【参考・関連記事】

 

anond.hatelabo.jp

上記は、ROJのインタビューから遡ること3年前、まだフリッパーズ・ギターとして活動していた頃、ROJのインタビューと同様に、生い立ちから振り返って語る企画が月刊カドカワにて行われ、匿名ユーザーが書き起こしをしたもの。

中には、「クイック・ジャパン」における沢田くん(仮)とみられる「K」も登場する。 少なからず小山田氏が、沢田くん(仮)に対してどのような思いで接し、眼差しを向けていたかは、こちらの記事からも読み取れると思う。

 

21.9.15追記

「週刊文春」にて、ノンフィクション作家・中原一音氏のインタビューにより、本件についての具体的な詳細が本人から語られた。謝罪文にあった「事実と異なる点」はどこのことか、また彼自身が行ってしまったいじめ行為がどこの部分だったのか?などが明らかにされている。

bunshun.jp

21.9.16 

クイック・ジャパンで「いじめ紀行」の企画・執筆をした村上氏より、経緯説明の文章が発表された。当時の企画意図は、「あえて極端な角度からいじめという重大な問題の本質を伝えることで事態をゆさぶり、何らかの突破口にできないかと考えた」ものだったとある。「現場での小山田さんの語り口は、自慢や武勇伝などとは程遠い」「また原文記事の最終頁に小山田さんの同級生だったSさん(仮名)の年賀状が掲載されていますが、これも当初から『晒して馬鹿にする』という意図は全くなく」とも書かれている。

1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして - 太田出版

 

21.9.17

小山田圭吾氏本人から、公式に説明文が発表された。上記の文春記事の内容補足、あらためての深い謝罪に加え、記事にあった中の一部のいじめ行為を行っていた当時・それをインタビューで語った25年前にどのような認識だったか?雑誌などで露悪的に振る舞った理由や、それが間違いだったと気づき、その後は音楽とどのように向き合ったか、「デザインあ」の仕事が本人に与えた影響など、本人の言葉で詳しく説明されている(日本語・英語)。

http://www.cornelius-sound.com/index_en.html

 

東京新聞による書き起こし記事。

www.tokyo-np.co.jp

 

21.11.26 

未だ沈黙を貫いているロッキング・オンの当時の編集者、山崎洋一郎氏に対して、当時からの長年の読者であるYAMADAさんがその責任について書いた記事。本人が語らずとも当時の記事などの状況証拠から、なぜ小山田圭吾氏の記事に捏造が含まれたのかがある程度推定できる内容となっている。

note.com

 

 

 

 

*1:クイック・ジャパンvol.3号で当時のスタッフであった北尾修一さんのブログ記事。web上には存在しなかった箇所を掲載していた。現在は有料記事になっている

*2:「ファンの声」の一例として、長年コーネリアスを見てきてインタビューなども担当されている大久保祐子さんのブログ記事

小山田圭吾氏いじめ記事に関する検証 その1. 拡散までの経緯、初期報道の問題点

※90年代に出版された雑誌記事に書かれた、いじめや暴力に関する具体的な記述を含みます。ご注意下さい。

 

小山田圭吾氏が開会式の作曲担当と公表されてから、ずっとこの問題を追いかけている。本件はいわゆる「キャンセルカルチャー」の代表例として語られることが多いが、事実確認が曖昧なままバッシングが加熱した事実がある。整理して見やすくするためブログにまとめることにした。追加で確認できたことは加え、一部訂正も含む。

 

最初に本記事の趣旨をまとめると

※現在はインターネット上で、上記の2記事を全文読むことができる。

※ロッキング・オン・JAPANについてはkobeniのツイートに遷移、2番目のツイート参照

  •  インターネット上に存在する小山田氏の「いじめ」の記述は、実は上記の2記事の一部を切り貼りしたものだった 

  • 「クイック・ジャパン」に関しては、記事全文は7/20ごろまでインターネット上に存在していなかった

  • その上で、「原典にあたったが、ネット上の情報との食い違いや齟齬を無視して報道を行った」のが毎日新聞。原典記事にはあたらずに報道したのがモーリー・ロバートソン氏

である。

 

※文章ではなく音声で理解したい方は、記事のいちばん最後「音声で理解したい方へ」をご覧ください。

※時系列の整理とファクトチェックについて、より詳しく知りたい方は、コーネリアスファン有志によるこちらの検証サイトをご覧ください。

ifyouarehere.studio.site

 

 

目次

時系列

五輪の音楽担当が発表→Twitterが炎上状態に→毎日新聞報道は、ほぼ24時間以内の出来事として起きている。

 

2021714日  21時 五輪HPにて開会式の音楽等担当が発表となり、各種ニュースサイトが報じる。個人の複数のアカウントから、いじめに関するツイートが流れる

【例】

 

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 2021715日  7:15ごろ 「小山田圭吾」Twitterトレンド入り

2021年7月15日のトレンドワード | トレンドカレンダー

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2021715日  7:45 はるみ」(2023年10月現在アカウント削除)という五輪中止を求めるアカウントがツイート 引用されているのは、電八郎 (id:denpatiro)名義の 「孤立無援のブログ」の「小山田圭吾における人間の研究」という記事(以下当該記事のことを「孤立無援のブログの本記事」と表記します)。

 

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※現在(2023年10月)の「孤立無援のブログ」では、本記事は有料となっている。 

 

2021715日 時間帯不明  上記ツイートを毎日新聞記者の個人アカウントがRT

 

2021715日  19:59 毎日新聞記事「小山田圭吾さん、過去の『いじめ告白』拡散 五輪開会式で楽曲担当」

日本語(現在は有料)

mainichi.jp

英語

mainichi.jp

 

 2021715日 21:41 日刊スポーツ「クイック・ジャパン」を入手した記事

開会式作曲の小山田圭吾氏障がい者いじめ告白雑誌を入手 五輪理念に逆行 - 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ

 

2021年7月16日 11:36 日刊スポーツ「クイック・ジャパン」を入手した記事(より具体的にいじめ描写を抜粋)

みんなでプロレス技かけちゃって/小山田圭吾氏の障がい者いじめ告白 - 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ

 

2021716 18:34 小山田氏が自身のホームページ、twitterに謝罪文発表

Cornelius on Twitter: "東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして… "

 

2021716日 19:00ごろ〜   大手新聞社デジタル版が小山田氏のいじめ発言・謝罪文について報道

朝日18:50・日経 20:03 ほか、概ね16日中に報道している。本記事文末にリンクあり)

 

2021716日  23:44  モーリー・ロバートソン氏が英文で連続ツイート

 

ソースは15日夜〜16日午前に配信された毎日新聞・日刊スポーツの記事としている

 

 

(以下、本記事では取り上げないが、辞任までの主な出来事)

2021717日 オリ・パラ組織委員会の武藤敏郎事務総長は会見で小山田氏の留任を説明

組織委が小山田圭吾氏の留任明言 武藤氏「謝罪され、十分理解」 - 東京オリンピック2020 : 日刊スポーツ

 

2021718日 一般社団法人・全国手をつなぐ育成会連合会が小山田氏に関する一連の報道に対する声明を発表

小山田圭吾氏に関する一連の報道に対する声明 | 全国手をつなぐ育成会連合会全国手をつなぐ育成会連合会

 

2021719日 加藤勝信内閣官房長官が小山田氏の報道を受け「イジメや虐待はあってはならない行為」「大会組織委員会が適切に対応してほしい」と発言

令和3年7月19日(月)午前 | 令和3年 | 官房長官記者会見 | ニュース | 首相官邸ホームページ

 

2021719日 フジテレビ系「めざまし8」で小山田氏の問題を報道。橋下徹氏が「もしこの楽曲を世界に発信したら、日本の恥ですよ、本当に」と発言

橋下徹氏『めざまし8』で小山田圭吾を批判 「楽曲発信したら日本の国の恥」と憤慨|ニフティニュース

 

2021719 19:10 小山田氏、自身のホームページ、twitterでオリ・パラ開会式作曲担当の辞任を発表

Cornelius on Twitter: "東京2020オリンピック・パラリンピック大会における楽曲制作への参加につきまして… "

 

 

毎日新聞デジタル版報道の問題点

毎日新聞は7/15夜、他メディアに先んじて、いち早く原典記事にあたり報じた。記事を書いた記者は本人のTwitterで、

「書きました。最初は書いていいのか迷いました。ですが大きな怒りが巻き起こったことは事実として記すべき事案と思います。この怒りや違和感をどう受け止めますか組織委さん」

とツイートしている。この記事の時点ではまだ、小山田氏は謝罪文を出すに至っておらず、「大きな怒り=炎上している」状況をニュースとして伝える記事、ということになる。

 

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だが、原典記事にあたれるようになった現在からこの記事を振り返ると、元記事と報道内容の間には食い違いがある。

 

1と3「長年にわたって同級生をいじめていた」「私立小学校から高校で」

この箇所は、「クイック・ジャパン」(以下QJ)原文の下記のような記述と食い違う。

 

「肉体的にいじめてたっていうのは、小学生ぐらいで、もう中高ぐらいになると、いじめはしないんだけど……どっちかって言うと仲良かったっていう感じで、いじめっていうよりも、僕は沢田(※沢田くん(仮)は、障害者であると本記事内で書かれている)のファンになっちゃってたから」

 

「(沢田くん(仮)について)中学時代はねぇ、僕、ちょっとクラス離れちゃってて、あんまり……高校でまた、一緒になっちゃって、高校は、出席番号が隣だったから、ずっと席が隣だったのね、それでまたクラスに僕、全然友達いなくてさ(笑)」

―――お互いアウトサイダーなんだ(笑)。

「そう、あらゆる意味で(笑)。二、三人ぐらいしか仲いい奴とかいなくて、席隣りだからさ、結構また、仲良くなっちゃって……仲良くって言ったらアレなんだけど(笑)、俺、ファンだからさ、色々聞いたりするようになったんだけど」

 

2 「ツイートが根拠としているのは…」

炎上の発端となったツイートが何を引用元としたかの記載。水色下線を見て頂ければわかるが、これはRT数や、また毎日新聞の別の記者がRTをしたことからも、「はるみ」氏のアカウントのツイートを指していると推定できる。

「はるみ」氏のアカウントが引用したのは、原典の雑誌記事ではない。「孤立無援のブログ」の本記事だ。7/15時点の「小山田圭吾における人間の研究」を原典と比較してみると、「ファンになっていた」や「引いちゃうっていうか」など、本人がいじめ行為を「していない」と述べている箇所を、QJ原文から意図的に削除していることがわかる。

 

「孤立無援のブログ」2021年7月15日時点の本記事より一部引用。また、実際のQJ誌面の一部と比較

 

 

当該記事の21.7.15時点のタイトル・リード

 

当該記事の「高校時代」の部分引用

実際のQJ誌面。「でも、もう僕」以下の文章が削除されている

 

記載されたすべての行為を、小山田氏がやったかのように見せ、またそれを文中で

 

「こういうことを、悪びれることもなく、しゃべる、小山田圭吾という人物の、品性とは何か、と思うわけですが、」 

 

等とまとめている。これをそのまま鵜呑みにすれば、「はるみ」氏が「障害のある同級生への壮絶ないじめを武勇伝のように語っている」という感想を抱くのも無理はない。

 

2を事実に正確に記すなら、「ツイートが根拠としているのは、『ロッキング・オン・JAPAN(以下ROJ)』と『クイック・ジャパン(以下 QJ)』のいじめ描写を引用しながら主観的にまとめた個人のブログ記事」となるのではないだろうか。

1の後に「いじめ自慢」としてトレンド入り、と書かれているが、この「いじめ自慢」という表現を、他の大手新聞社は使用していない(記事文末の「各社初期報道」参照)。語った時の態度やニュアンスについて報じる場合は、謝罪文で小山田氏が使った「反省することなく語った」という文言を使用している。

新聞記事に「いじめ自慢」という文言が掲載されると、小山田氏が「いじめ自慢をした」ということが確定的事実のように見えてしまう。だが「自慢した」という表現は、「はるみ」氏の元ツイートの「武勇伝のように語っている」と同様に、ツイートをした一般人の印象に基づき付け加えられたものである。一般人の印象の集合体が、Twitterのトレンドに上がったとしても、それを新聞社が報じる際には注意が必要ではないか。

4-1.「クイック・ジャパンの記事には『この場を借りて謝ります(笑)』との記述…」

このくだりはQJではなくROJの方に書かれたものだ。ROJ発行からQJ発行までには、一年半の月日が経過しており、内容も異なる。

トレンドの「いじめ自慢」に言及した以上、その裏づけとして、小〜高校までの回想が書かれたQJの内容を「笑いながら語った」と印象づけたかったのはわかる。だが、時に「僕とか引いちゃうっていうか」など、あまりいじめに対して積極的でない記述も含むQJ記事について、別記事であるROJの「この場を借りて謝ります(笑)」で結ぶのは、「孤立無援のブログ」の、悪意ある引用・編集と変わらないのではないか。

4-2. 記者は「ロッキング・オン・ジャパン」の記事を読んでいない可能性がある*1

こちらについては、上記の4-1に関連し、大月英明氏の著作より指摘があった部分を引用する。

「ROJを参照していない可能性

この記事の写真にはQJのコピーが写っている.しかし「小学校から高校で,障害者と見られる同級生 2人をいじめていた」という表現は,高校でのいじめ記述が存在しないQJの記事と矛盾する(高校では沢田君はいじめておらず,村田君は高校にはいない).記者がQJの記事を参照したならば,この部分で事実誤認をしている理由が不可解である.また記事中にある「この場を借りて謝ります(笑)」という発言は,元々はROJでなされたものである. QJにもこの部分の引用はされてはいるが,もしROJの記事を参照していたならば,この部分は「クイック・ジャパンの記事」ではなく「ロッキンオン・ジャパンの記事」と記載されるべきものである.写真にはQJの記事が写っているが, ROJが写っていないことと,「ロッキンオン・ジャパンの記事」を引用したと記されていないことから,記者が記事を執筆した時点ではROJを読んでいないということが強く疑われる.もし記者がROJを読んでいたとしたら,同誌インタビュー ROJ 1にある「僕が直接やるわけじゃない」という記述は無視できないはずである.

 

—『コーネリアス炎上事件とは何だったのか: メディアリテラシーが試されるとき』大月 英明著

https://a.co/4SCTvxq

 

「いじめ自慢」が昼にトレンド入りし、毎日新聞はその日の夜20時にはデジタル版の記事を出している。25年前の記事を入手するのにはそれなりに時間がかかるため、ROJに関しては実物を入手できず、QJに書かれている内容から引用するしかなかったのではないか。

記事を書いた 山下記者は本記事を、小山田氏の40年前のいじめ・また26年前にそれを雑誌インタビューで語ったことにNOと言い、いじめ自体の根絶に結びつけるという目的「ではなく」、ツイートの最後に「この怒りや違和感をどう受け止めますか組織委さん」とあったように、五輪組織委員会の問題点を追及するという趣旨でリリースしている。つまり目的としては「はるみ」氏と同じく、オリンピックの開会式ひいてはオリンピックそのものを、これらの関係者不祥事の発覚・それに対する人々の怒りによるネット炎上の力で止めたかった(あるいは、そのような人々を応援している新聞だとアピールしたかった)と推定できる。

この記事は、はてなブックマーク数(713users)を見ても相当のPVを獲得する結果となった。他の新聞社より一歩早いのだから、「スクープ」的に多くの人々に読まれたのだろう。また本記事は翌日の朝刊にも掲載された。毎日新聞の公称部数は200万部である。

本文の末尾、緑色下線部分には、「15日午後6時現在、回答は寄せられていない」と記載がある。だが記事のリリースは同日の19:59だ。たった2時間しか待っていない。小山田氏サイドでは「炎上している」という事実を把握するので精一杯だった頃だろう。「一応、連絡はした」といった言い訳にしか過ぎないように読める。*2

当いじめに関しては実在の被害者がいる。また新聞社の名を用いて広く報道する際は、被害者だけでなく加害者についても、事実確認を徹底し、慎重な姿勢で臨むべきではないだろうか。繰り返すが「新聞社が報じた」ことによって、信頼できる・裏の取れた事実だと判断する人々がかなり多いと推定されるからだ。

小山田圭吾氏は21年8月現在、インターネット上で「猟奇的犯罪者」と呼ばれるまでになっている。小学校から高校まで「長年に渡り」いじめを繰り返し、またそれについて「笑いながら自慢した」人物。そのようなイメージが、既に多くの人に浸透してしまった。

7/16夜に小山田氏の発表した謝罪文には、

記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが」

との記載があるが、一度ついてしまった「猟奇的犯罪者」のようなイメージを、ここからどのように実像まで取り戻せるだろうか。

 

 

追記1

2021年秋〜冬にかけて、筆者は毎日新聞宛に「報道の問題点」と「訂正・再報道・検証記事作成の依頼」を文書にて二度送っている。返答も依頼したが、明確な回答は得られていない。

残されているのは毎日新聞の第三者委員会である「開かれた新聞委員会」による検証だ。こちらに期待したい。

 

追記2 「はるみ」氏のツイートは、21年9月中旬を最後に停止、その後アカウントが削除された。

 

 モーリー・ロバートソン氏の報道の問題点

モーリー氏は、本件を大手新聞社に先んじて報じた経緯について、下記のように述べている。

当初からネット上で問題視されていました。大手メディアで最初に報じたのは毎日新聞ですが、分水嶺(れい)となったのは雑誌を入手して、問題発言をリアルに書き起こした日刊スポーツの報道ですね。それを受け、私も英文で投稿を繰り返しました。すると海外メディアの支局長やメディアに情報を送っている(私の)フォロワーが、署名活動のような連鎖反応を起こして一気に拡散しました。その後、テレグラフ(英国)が克明に報じるなど海外メディアにも広まりました。

毎日新聞の方には、具体的ないじめ描写をなぞった文章はないため、「問題発言」=より具体的ないじめ描写については、「日刊スポーツが報じたので自分も報じた」ということのようだ。

日刊スポーツが原典(QJ)を入手して報じた内容はこちら。

www.nikkansports.com

原典と照らし合わせてみると、やはり彼が「引いちゃって」見ていただけの「裸にした」という内容を、彼も実行したかのように書いていたり、友人関係を築いたエピソードには触れていないなど、「孤立無援のブログ」と内容があまり変わらない印象がある。とはいえ日刊スポーツは、大手新聞とは異なりゴシップ記事も多いメディアだ。あまり丁寧に考察する価値はないと思う。

 

「朝鮮人へのいじめ」はあったのか

 

だが、この記事でどうしても見逃しておけないと思ったのが、

「本人いわく『朝鮮人』という男子へのいじめを悪びれることなく告白している

という記述である。

これはQJでいうと、下記のエピソードに当たる。

『Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」 10 - 『Quick Japan』95年3号 「いじめ紀行 第1回ゲスト 小山田圭吾の巻」全文

朴くん(仮)は、クラスでからかわれた「いじめられっ子」として、小山田氏が回想したもう一人のクラスメイトだ。だが、ここの一連の文章に、彼がいじめをした・あるいはいじめを放置した、という描写はない。「手の上げ方がおかしくて、クラスメイトからは最初『変わってる』と認識されてしまったけど、自分は喫茶店に一緒に行ったり、『そんな(厳しい親の)家、出ちゃえよ。うちに泊めてやるからさ』と言ったりする仲だった」というふうに読める。

からかわれるようになってしまった理由について小山田氏は、「これ、実は根深いんだけど」と述べている。朴くん(仮)にとっては普通の挨拶が、彼の人種が違い習慣が違ったために、日本人のクラスメイトに笑われてしまった。そのような、差別・いじめが生まれる構造を「根深い」と述べているのだ。決してポジティブな意味合いではないと思うが、これが「悪びれることなく語っている」ことになるのだろうか。

 

ここで、和光学園の当時の同級生(小山田氏の一つ下の学年)の方から聞いた話を挟む。

 

和光小学校〜中学校では、小山田氏が在籍した当時、障害のある子に対して「共同教育」枠を設けていたのと同様に、在日コリアンの子どもたちの受け入れも行っていた。40年前は今のようなヘイトスピーチは表立って存在しなかったが、世の中における在日差別はかなり根強かった。そのため虐められたり、自尊心を傷つけられることがないよう、シェルターのように和光へ入学してきた子も多かった。クラスに平均2名程度(多いと4名程度)はいたと思う。北朝鮮と韓国、両方の出身の子がいたが、その出身の違いにより、子どもや保護者の対立が起き、結果的に差別や孤立が生じる…なども見たことがない。リーダー層や人気・人望ある子たちの中にも、在日コリアンの子は多かった。

 

もちろん、小山田氏が回想するように、せっかく転校してきたのにそこで開口一番からかわれてしまったら、意味がないと思う方もいるかもしれない。だが小山田氏の回想の中には、朴くん(仮)がクラスで「その後もずっと虐められ続けた」という記述はない。小山田氏だけではないだろうが、彼もそのうちクラスに馴染み、放課後一緒に遊んだりする友人もいた。というのが、当時の小山田氏のクラスにおける嘘のない実態だったのではないだろうか。

 

※現在の和光学園に不要な批判が飛ばないよう補足しておくと、現在園生の保護者提供の情報として、現在、学園は本件についてきちんと調査を行っているが、かなり昔の事実確認であり、当事者(被害者)の意向と人権、またコロナ禍の中で制限の多い生活をしている現在園児童への配慮を最優先にしつつ、時間がかかってもきちんと対応したい旨、説明を受けているとのこと。

 

7月16日のモーリー氏連続ツイートの検証

モーリー氏の連続ツイートは、QJとROJの記述との食い違いや、上記のような朝鮮人のクラスメイトとの交流を「いじめ」としてツイートするなど、「本当に原典記事を読んだのだろうか」「どうして、QJで『先輩がやった』と書かれていることまで小山田氏がやったとしてツイートされているのだろうか」といった疑問が残るものだった。

2021年7月16日23:44 からのモーリー氏の連続ツイートに関し、原典と照らし合わせて内容をチェックしたものが下記である。翻訳者の方を含め複数人でチェックを行った。

 

f:id:kobeni_08:20210825211249j:plain

twitterでは既に公開済。一部修正を加えた

8月12日に本内容をツイートしたものはこちら。(一部、修正前の文言を含む)上記だと読みにくい場合は、こちらを参照してもらいたい。

 

モーリー氏の本件に対する見解は、8月16日に出たこの「週刊プレイボーイ」の記事に書かれている。26年前に小山田氏が雑誌でいじめについて「武勇伝的に語った」ことを放置する「大会組織委員会」の責任を追及するために、記事内の具体的ないじめ描写を英文で国際社会に向けてツイートした。とのことなので、果たしたい意図としては「はるみ」氏や、毎日新聞の山下記者と同じである。

私は一昨年、長男と一緒に和光中学の学校説明会に行った。校内を見学し、授業を見、校長や生徒の話を聞き、最近の和光の特徴についてはよく理解していた。和光は私立でもあり、東京の公立校と比較すると特殊な学校である。私の友人(ママ友)にも、保育園が我が家の子ども達と同じで、小学校から子どもを和光へ進学させた方がいる。「うちの子は普通の公立校だと、扱いにくいと判断されてしまいそう」という不安があった、と言っていた。和光には独自の教育方針があると知っているため、私にはその意味がよくわかる。

さらに本件があってから、和光学園の当時の在校生の方数名にもお話を聞いた。それを踏まえるとモーリー氏の連続ツイートは、「文化的・社会的背景なども咀嚼しつつ、事実関係を淡々と並べることに気をつけ」ているようには思えなかったのが、正直なところだ。

繰り返すが、当いじめに関しては実在の被害者がいる。また、多くの「かつてのいじめ被害者」や、マイノリティであるが故にいじめに遭いやすい障害者の方々もいる。それは国内だろうと海外だろうと、同じことだろう。具体的ないじめ・暴力描写の部分を抜粋し克明に伝えるということは、それらの描写を、そういった人たちの目に積極的に晒すということだ。五輪組織委員会の問題点追及という「大義」のためなら、そのような行為も致し方なし、という判断なのだろうか。

 

また、小山田氏本人に対しても、具体的ないじめの描写を合わせて報じれば、「あの猟奇的ないじめをやった人」という強烈なイメージが残る。そこにもし、誤認があった場合、「犯罪をしていないのに犯罪をした人と世間に認識される」のと大して変わらないのではないだろうか。

よって私は、彼が「やったこと」、彼が「傍観していたこと」、また彼が「やっていないこと」は、明確に区別して報道するべきではないかと思っている。さらにジャーナリストならば、「日刊スポーツ」のようなタブロイド紙をソースにするのではなく、原典記事にあたり、そこで何か違和感や、裏が取れないような記述の食い違いがあれば、ツイートする前に踏みとどまるべきではないだろうか。原典記事は90年代のもので、インターネット上にはその切り貼りしかなかったとしても、国会図書館や大宅壮一文庫へ赴くなど、少し労力をかければコピーを入手できるのだから。

モーリー氏は私や、上記の連続ツイート検証を見てくれた他の方々による「原典にあたって報じたのか」「朝鮮人に対するいじめがあったとするのは問題ではないか」などの質問に対し、「エクストリーム擁護」と呼んでいる(このネットスラングによるレッテル貼りに私はけっこう傷ついた)。英文ツイートの訳には問題がなかった、また原典記事には当たっておらず毎日新聞と日刊スポーツのみソースとしたと述べている。

 

※補足だが、716 23:4423:47 に、モーリー氏は英文で小山田氏の問題を4分間に9件連続ツイート。以降、720日までに小山田氏関連について合計145件(7/1610件、7/1740件、7/1838件、7/1925件、7/2032件)と、かなりの量のツイートを、繰り返し、行っている。

 

開会式の作曲担当を辞任させるために、ここまでの炎上と報道は不可避だったのか

 センセーショナルないじめ・暴力の具体的描写と共に炎上し、また報道されたことにより、小山田圭吾はネット上で「猟奇的犯罪者」と呼ばれるまでになってしまった。今ではもはや「いじめの権化」のような扱いとして、類似の事件が報道される度にその名前を持ち出されている。

またそれが「五輪開会式」と関連していたことにより、世界中に拡散されてしまった。小山田圭吾には世界中にファンがいる。小山田氏のイメージを世界に向けて、後から訂正するのは途方もなく大変な作業になるだろう。もちろん、ROJQJの関係者、また本人から、謝罪文にあった「事実と異なる内容も多く記載」がどこなのか説明があるのが一番だ。しかし、ここまで多くの人々に最悪なイメージを持たれ、現行する全ての仕事がキャンセルになり、息子など家族のアカウントが荒らされ、和光学園の生徒まで写真を撮られたり画鋲を撒かれたり……そんな日々からまだ1ヶ月程度しか経っていない中、「今すぐ出てきて事実でない部分について釈明会見を」というのは、私はさすがに恐ろしくて許容できない。

 

原典にあたれば「彼がやったことではない」と証明できる、あるいは「記述に食い違いがあるため、確実に彼がやったとは確定できない」ことまで「彼が加害した」と、伝えないで欲しかった。また毎日新聞の山下記者は、多くのファンよりも先に、「クイック・ジャパン」の記事に当たった人物だ。そこでジャーナリストとして、自分の「いじめ事実の裏取りを急ぎたい」という利害を優先せず、伝えるべき真実を伝えて欲しかった。

 

 

最後に

 「はるみ」氏や毎日新聞の記者やモーリー氏よりも前に、このいじめについてtwitterで告発した人物たちは、なぜ本件を知っていたのか。

小山田氏のいじめ記事・行為は、「2ちゃんのコピペ」として一部のネットユーザーには有名な話だったからだ。

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matomedane.jp

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2ちゃんのコピペは、悪意ある匿名の人物によってROJとQJを混ぜた形に変わり、2ちゃんだけでなくCorneliusファンサイトの掲示板や、Corneliusの新譜リリースを伝える記事のyahoo!コメント等にベタベタと貼られ続けた。「孤立無援のブログ」の内容も、この派生でしかない。2ちゃんコピペを信じ切っていた人たちは、「クイック・ジャパン」の全文を読んだことがない。コピペが事実だと思って発信している(あるいは、あえてコピペの内容以外を積極的に見せていない)。「時系列」の最初の個人のツイートと、上記コピペを見比べてもらいたい。

そして、2ちゃんコピペというネットミームの存在を知らず、彼ら個人の言い分を信じた人々も、最終的には同じ内容を拡散・報道する結果になっている。

 

 

(その2.へ続く)

 

 

音声で知りたい方へ

マスナリジュンさんの配信番組にゲスト出演させていただき、本件について話をしています。またマスナリさんが、小山田氏の「お詫びと経緯説明」を音読した動画もあります。


アーカイブはこちら

【コーネリアス小山田圭吾】五輪音楽いじめ辞任騒動の真相/キャンセルカルチャーの暴走か - YouTube

【#小山田圭吾】いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明 / 音読: マスナリジュン - YouTube

マスナリさんのTwitter

マスナリジュン (@msnrjn) | Twitter

 

【参考・関連記事】

本記事の元になった検証まとめ

 

 

大手新聞社の小山田圭吾氏いじめに関する初報

日経 7/16

小山田さん、いじめを謝罪 五輪作曲担当は解任せず: 日本経済新聞

朝日 7/16

小山田さん、過去のいじめ加害発言を謝罪 開会式で作曲:朝日新聞デジタル

読売 7/17 

開会式の音楽担当・小山田圭吾さん、過去のいじめ謝罪…組織委は引き続き起用へ : 東京オリンピック2020速報 : オリンピック・パラリンピック : 読売新聞オンライン

産経 7/16

五輪開会式の楽曲制作 小山田さんいじめ謝罪 - 産経ニュース

東京 7/16

【文章全文】五輪開会式の楽曲担当の小山田圭吾さん、学生時代のいじめを謝罪:東京新聞 TOKYO Web

 

※クイック・ジャパン「いじめ紀行」の全文はいつweb上に現れたか?

ファンが持っていた・コピーを取り寄せたなどのタイムラグによって、web上に「それまでの流れと違う意味づけで(=悪意的な補足文言などがない状態で)」最初に登場し、読まれ始めたのは7/20前後。

 

※小山田氏の謝罪文にある

「記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが」

は、後日配信イベントなどで、元関係者が語った内容から、ROJのことを指していると推定される。

ROJは当時「責任編集」を謳っており、「原稿をミュージシャンにチェックさせない」という方針だった。QJについては、元関係者が「おそらく原稿チェックはあったと思う」と述べている。

 

 ・イラストレーター床山すずりさんの記事

 障害者きょうだいから見る小山田圭吾|床山すずり|note

 ・Corneliusにインタビュー等もしている大久保祐子さんの記事

 猿は猿を殺さない|大久保祐子|note

 

21.8.29 追記

anond.hatelabo.jp

上記は、ROJのインタビューから遡ること3年前、まだフリッパーズ・ギターとして活動していた頃、ROJのインタビューと同様に、生い立ちから振り返って語る企画が月刊カドカワにて行われ、匿名ユーザーが書き起こしをしたもの。

中には、「クイック・ジャパン」における沢田くん(仮)とみられる「K」も登場する。 少なからず小山田氏が、沢田くん(仮)に対してどのような思いで接し、眼差しを向けていたかは、こちらの記事からも読み取れると思う。

 

21.9.15追記

「週刊文春」にて、ノンフィクション作家・中原一音氏のインタビューにより、本件についての具体的な詳細が本人から語られた。謝罪文にあった「事実と異なる点」はどこのことか、また彼自身が行ってしまったいじめ行為がどこの部分だったのか?などが明らかにされている。

bunshun.jp

 

21.9.16 

クイック・ジャパンで「いじめ紀行」の企画・執筆をした村上氏より、経緯説明の文章が発表された。当時の企画意図は、「あえて極端な角度からいじめという重大な問題の本質を伝えることで事態をゆさぶり、何らかの突破口にできないかと考えた」ものだったとある。「現場での小山田さんの語り口は、自慢や武勇伝などとは程遠い」「また原文記事の最終頁に小山田さんの同級生だったSさん(仮名)の年賀状が掲載されていますが、これも当初から『晒して馬鹿にする』という意図は全くなく」とも書かれている。

1995年執筆記事「いじめ紀行」に関しまして - 太田出版

 

21.9.17

小山田圭吾本人から、公式に説明文が発表された。上記の文春記事の内容補足、あらためての深い謝罪に加え、記事にあった中の一部のいじめ行為を行っていた当時・それをインタビューで語った25年前にどのような認識だったか?雑誌などで露悪的に振る舞った理由や、それが間違いだったと気づき、その後は音楽とどのように向き合ったか、「デザインあ」の仕事が本人に与えた影響など、本人の言葉で詳しく説明されている(日本語・英語)。

http://www.cornelius-sound.com/index_en.html

 

東京新聞による書き起こし。

www.tokyo-np.co.jp

 

21.11.26 

未だ沈黙を貫いているロッキング・オンの当時の編集者、山崎洋一郎氏に対して、当時からの長年の読者であるYAMADAさんがその責任について書いた記事。本人が語らずとも当時の記事などの状況証拠から、なぜ小山田圭吾氏の記事に捏造が含まれたのかがある程度推定できる内容となっている。

note.com

 

 

*1:21.12.5追記

*2:21.12.5追記