kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

(⚫︎ー⚫︎)科学の力でゴー・ゴー! Maker Faire Tokyo 2014今さらレポ

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こんにちはkobeniです!さいきんブログぜんぜん更新していなかった。すみません。でもでも、ここが私のホームです。今年もよろしくお願いします。

さて今日は、「えっ今ごろ?」感が否めないのですが、昨年の冬に行ったイベントレポートを書きます。というのも先日「ベイマックス」観てきまして、おお、こりゃ書きかけの記事をUPせねば!!という気持ちにさせられたので。

ベイマックスは、科学ヲタのキッズたちが、自分の研究テーマをパワーアップさせて身に纏ったり、プログラミングしてロボットを創ったりして、その力でスーパーヒーローになり、世界を救う…!!というです。ベイマックスは、主人公のお兄さん(やっぱり科学ヲタ)が創った、「人をケアするロボット」の名前です (⚫︎ー⚫︎)

で、私が家族で行ってきたイベントは「Maker faire Tokyo」。「Maker」という名前がついているだけあって、「なんか創りたいひと」が集まるフェアなのですが、ポイントは「IT技術を使った創作がほとんど」ってとこ。だからロボットとか電子工作とか、すごくたくさん見られます。


Maker Faire Tokyo 2014 | Maker Faire Tokyo 2014 | Make: Japan

 

そもそもこのイベントは、雑誌「Make(アメリカの、テクノロジー系DIY工作専門誌)」のファンミーティングが発端であるようです。「Make:」の版元オライリーは、「ギークマム」という本も出版しています。私はこのイベントを「ギークマム」好きのTwitterママ友、asacoちゃんに教えてもらいました。Maker faireは日本でも年々規模が大きくなっており、2014年の会場は東京ビッグサイトでした。

 

 

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 開催されたのは11月の土日だったのですが、想像していたよりも混雑していませんでした。たしかに人はたくさんいたのだけど、子連れでもいくつかのブースを余裕を持って楽しめる程度だったので。

 

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会場にはキッズスペースや、ハンダづけスペースが用意されてました。キッズスペースでは3Dメガネと紙・ペンなどが用意されていて、みんな自由に絵を描いてメガネをのぞいてました。スタッフの方がたくさんいて、困った時は質問などしやすい雰囲気でしたねー。通路でベビーカーを押していても、嫌な顔もされなかったしなあ。まあでもそこは、「そこまで混んでいなかった」というのが最たる要因かも。

ちなみに子どもたちのことを考えて、食べ物は持参して行ったのですが、会場の外にベンチなど、たくさん座るところがあったので「一時退場」して食べました。食事についても質問したのですが、中で食べても別にいいよーという感じではありました。(ただ、中にテーブルやイスまでは無かった)食事やお手洗いを過度に気にしてしまう乳幼児連れには、かなり優しいイベントだったと思う。

 

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会場をふわふわ飛び回っていたやつ。ナウシカに出てきそうな動き

 

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これは、クマちゃんの耳や鼻をさわると、画面の中のクマちゃんの耳が伸びたり、着ている服の色が変わったりするやつです。6歳児がすごく楽しんでやっていました。子どもはこういうのいちいち「えっ…なんで…」とか思わずに、純粋に楽しむ感じありますよね。

 

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これはサッカーボールを上手に蹴っていたロボットくんです。目でちゃんとボールを追いかけて、人が投げたボールの方へ歩いて行って、蹴っていました。

 

 

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これは私が「すごい素敵…(うっとり)仕事の机の上に置きたい」と思ってかぶりついたお人形&ステンドグラスの作品です。許可を頂いて撮影させてもらいました。すっごい素敵…今でもまだ「欲しい…」と思っていますが、非売品だそうです。この彼女、日本のアニメ女の子キャラにかなり見た目近いのに、妙に露出度高くないし、「プリンプリン物語」みたいでもあるところが、いい!頂いた名刺に下記のブログが載っていましたのでご紹介。他の作品も、レトロフューチャー感あって胸がキュンキュンでございます。


ヲリゴ党

 

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 あっ!こいつが今話題のドローンですね!けっこう大きいやつです。紅白でPerfumeのまわりを飛び回っていた。

 


24 drones flight test - 03 - YouTube

これな。

 

そういえば、紅白で氷川きよしのステージで使われていた「スケルトニクス」も、Maker faireの会場で展示されていました。なんか、デカいな…って思ったけど。

↓ハイテクの無駄遣いな気がしたのは私だけでしょうか……


【紅白ロボット】紅白「氷川きよし」さんの舞台演出協力 | スケルトニクス株式会社

 

 

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こういう、クラフト系作家さんのブースもあり、それがまた楽しかったです。体験型&資源の再利用、自然環境との共存…みたいな、テーマ的にもこれからの主流になりそうなモノづくりを提案されている方が多かったように思います。そしてそういう作家さんたちは、かならずと言っていいほど、子どもを対象にしたワークショップを用意してくれてて、うーむ未来のことを考えてらっしゃるなーと嬉しい気持ちになりました。こちらは「かうよりもりようか」さんですね。


かうよりもりようか kauyorimoriyouka

 

 

 

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6歳児がいちばんかぶりついたのは、このブース。まず↑はLEDライトがバリバリ光るピアスです。「購入できるんですか?」と聞いたら、「単品で買うとまだまだ高いので、まとめて買うならアリですよ」って言われました。なんかこう…バンドやってる方とか…プレゼン?で、ステージに上がる時などに…いかがでしょう。

 

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フォースを使うのじゃ!

LEDでいろんな色に光るライトセイバー。めっちゃ楽しかった。

 

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ヴオオ…ン(けっこう重たい)

 

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「戦い方教えましょうか?」と言って実演してくれたお兄さんとお姉さん。

ライトセイバー同士を近づけると、「バリバリ」って白い光で点滅するんですよ!!

このあと6歳児が「やりたい」「もう一回やりたい」と繰り返したため、何度もこちらのブースを訪れるハメに…。ほんとスイマセンでした。でも大人の私もめっちゃ楽しかったので、商品化はよ、という感じです。

 

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あっ!このひとは!インターネットに名をとどろかす…林さんだ!!

我々は夫婦でDPZファンなので、興奮状態でブースを訪れました。(当日、私たちは家族全員で、はてなTシャツを着て行ったので、「はてなの社員(※の仮装)です!!」と名乗ることで林さんの気を引こうという作戦を実施しました)

手前に飛んでいて、どこかの男児がかぶりついている鳥さんは、鳥さんの足元?にカメラと棒がついていて、その棒を歩いて持ち運ぶことで「〜鳥から見た風景〜」を手動で!!撮影できる!!!という超最先端ハイテク機器です。

 

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例の板でめっちゃはしゃぐ

 

(※顔はanimal faceというアプリで隠してみました。たしか鳩もあったような気がします。後ろの方まで巻き添えにしてすいません)

 

 

べつやくれいさんは「ねこメモ」を売ってらっしゃいました。

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「これはどうやって使うんですか?」

べつやくさん「猫を毎日観察したりとか、ですね」

「でも、猫って毎日見てますけど、あんまり変わらないですよね…?変わる時ありますかね?」

「頭から血が出てたりとか」

「(血………………)」

 

でもこの猫がぜんぜん可愛くなかったので

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つい買ってしまいました。

ちなみにこの日は「微妙なコスプレ」からそんなに日が経っていなかったので、べつやくさんの眉毛はまだ生えてませんでした。

DPZブースでは、しばらくすると「ヘボコン」が実施されており、人だかりができてとっても盛り上がっていました。ヘボコンはコンセプトがすごく好きです。

ちなみにヘボコン主催の石川さんは、育児ネタで約1000ブクマの泣ける名エントリを書かれた方なのです(↓私この記事だいすきです)。ふつうにプロフィールとか辿れば分かります。ということは…ここに出てくる「とても理解のある上司」そして「とても理解のある会社」が…誰、どこなのか、自然とわかりますね?!?!


2ヶ月のあいだ一人で育児をした感想 - nomolkのブログ

 

 

そして林さんには、水道修理の名刺を頂いてしまい感激。冷蔵庫に貼ってあります。

 

 

* *

 

 

他にもいろんなブースを見て、あっという間に夜に。盛りだくさんの一日でした。

しかーし。6歳児が最終的に、帰り道ずーーーっと楽しんでいたのはなぜか、会場でオマケにもらった、ただのライト…………特にIT技術の進化を感じない、ただのライト…………………

 

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「変身!」

 

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だからそれはただのライトだって……

 

 

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これが当日買ったモノたちです。オライリーガチャはステッカーとバッジが入っていて、6歳児も私も楽しかったので何回かやりました。サッカーができるクマもんは、自分でラジコンを組み立てるキットでした。小さなリモコンで前後に動いたり、ぐるぐる回ったりします。6歳児が夫氏と一緒につくってました。電球ピアスは、「ものづくり系女子」さんのとこで購入しました。私が作品を見ていると、スタッフさんが「そのはてなTシャツ…シャレオツですね…はてならしくもなく…」と声をかけてくださいまして。名刺を頂いたら、Twitterで相互フォローしているmoclenさんだとわかり、意気投合。サイトも素敵ですね。はてなの、はてならしからぬオサレTシャツがもたらしてくれた「気づき」と「出会い」に感謝(意識高く言ってみた)。

 

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↑基盤をレジンでかためた指輪も買ったのですが、「基盤って堅いから、バキバキ折るの大変なんですよー」とおっしゃってましたね…作家さんが……。でも基盤カッコEです。まじまじと見るとエヴァに乗ってるような気分になれます。ビデオデッキとかを分解してつくったとおっしゃってました。

 

 

 

 

帰宅後、さっそく猫メモに色を塗ってみました

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 地縛しているあの方です

 

 

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6歳児作「にじいろねこ」

 

 

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 最終的に単なるメモに

 

 

 

しかし自宅でもやっぱり、子どもがずっと遊んでいたのは、ただのライト…

 

 

 

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寝室で、ヴンダー(ヱヴァンゲリヲン)のちっこいプラモにライトを当てると、影絵ができることに気付く!!!

 

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「ヴンダー、神殺しの船ね…」

 

 

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下から当てるとデカくなってカッコいい!!!撃てぇぇぇ!!!!!

 

 

 

* *

 

 

 

というわけで、Maker Faire Tokyo 2014のレポートでした。少しは雰囲気が伝わったでしょうか?

私はいちおうマスコミ関係に勤めているのですが、それはもともと何かをつくることが好きだからなのですね。仕事していても、もちろんお客さんに喜ばれるのが嬉しいというのはあるものの、実は、「形になった」(=自分が見たかったものができあがった)時がいちばん楽しい気がします。そこで使う手段・技術は、主にデザインとかコピーとか、写真とかだったりします。そして最近はIT(インターネット)の技術も、ひとつの手段に加わってきたように思います。

私もMaker faireにいる人たちも、基本的には同じなんじゃないかと思いました。つまり、技術としてはテクノロジーを使っているけれど、その結果、「できた!」「うごいた!」という喜びがとっても大きくて、夢中になっているような感じ。その発端は「あんなこといいな できたらいいな」という、自由な想像や好奇心やイメージからスタートしている。先日、SEの友達が、「あまり理解されてないけれど、プログラミングもひとつの表現手段だ」と言っていました。んーなんか分かる、Maker faire行ったから、分かるかも!!とか思いました。

 

たとえば↑で、animal faceという写真加工アプリを使いました。あれも新しいテクノロジーだと思うのですが、技術が進化すると、アウトプットのハードルがどんどん低くなる。あのアプリの面白い使い方は、20代の後輩に教えてもらったんですよ。ほんとは顔を隠すためのツールなんだけど、だんだん、「加工目的で撮影する」みたいに手段と目的が逆転してきている感じが、すごく楽しそうでした。

 

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こうして

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こうじゃ!

 

Animal Face: アニマルフェイスを使ったアーティスティックな写真が作れるオシャレアプリ。無料。 - たのしいiPhone! AppBank

 

「僕レベルでもつくっていいんだ」と思えるツール、「私レベルでも見せていいんだ」と思えるソーシャルコミュニティの存在感が加速してるのかなと思います。ヘボコンの石川さんのお言葉を借りれば、「1を2にする作業より、0を1にする作業の方が圧倒的に面白い」。私もこれはすごくワクワクするのでした。なので最近、まったくプロレベルではないのですが、絵(小学生の頃に教室で習っていた)を、よく描いたりしています。

 

 

来年もぜひ行きたいです、Maker faire。そんで紅白観るんだ。

 

 

 

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帰りがけにみかけたレイヤーさん。*1

 

 

 

ということで、家族全員で、未来が楽しみになる!時間を過ごせたMaker faire初体験でした。ベイマックスは、このワクワク感を加速させてくれるcool Japanな映画ですのでそちらもぜひ(⚫︎ー⚫︎)<ぱららららー

 

 

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ベイマックス=BIG HERO 6のイエロー、GOGOだよ!

 

*1:この日ビッグサイトでは、別のアニメ系イベントもいくつか開かれていました。そのイベントのレポから拝借しております。※レイヤーさん、撮影した方、もし問題あれば削除しますのでご連絡ください!

おら、復職するど!(5年ぶり二度目)

二回目の育休があっと言う間に終わってしまいました。一回目との間がかなり開いてしまったので、前がどんなだったか忘れてしまったせいもあり、「あれー育休ってこんなに育児で忙しいんだっけ!」というのが最も強い印象でした。初産の一回目は慣れないことだらけで、ちょっと外出するのすらビクビクしていたと記憶していたのですが今回は二度目、勝手は分かってるんだし仕事してたらできないこといっぱいやるぞー!と意気込んでいたものの。そんなヒマはねえ!全然ねえ!!育児休業は育児のための休業だった、育児しかできねえ!!!ということを強く思い知らされました…育休中に資格取ろうとか積ん読をぜんぶ消化しようとか、ムリ。ムリムリ。特に二回目の場合、上の子もいるので、不自由度さらに倍!自分の時間は子ども達が寝たあと…ってそれ普段となにも変わってないYO……!!


…とはいえ、様々な課題により日々ごりごりとHPを奪っていく存在である「仕事」がない分だけ、それなりに気持ちには余裕があるのが育休、かもしれません。ヒマではないが強いストレスもない。なので育児の合間にコツコツ、仕事以外の活動をしてみました。産後一ヶ月頃にwlb_cafeで朝日新聞とのコラボ企画の裏方をやったり、産後二ヶ月には久谷女子のイベントがあり、秋にはあまりに近所でぼっちなので(※保育園ママはみんな仕事行ってるので、高まる俺のぼっち感)同じようにぼっちのTwitterママたちと「育休ぼっちオフ」を開いてみたり、年末には、夏まで一日に3回ぐらい「あまちゃん」を観ていた経験を活かして(?)赤子を抱っこ紐でゆらゆらしながら薄い本(丸メガネ男子本)を作り、そして年が明けたらwlb_cafe交流会をやったりね。3月にはいいともに出た小沢健二をリアルタイム視聴してグランドフィナーレですよ……素晴らしい幕引きである。こうして思い返すと色々やってた。良かった。ミズタク、「風立ちぬ」の二郎さんという二大丸メガネ男子が登場したにも関わらず、小沢健二まで眼鏡をかけてTVに出てくれて、メガネ男子にも恵まれた育休で良かった良かった。
あと二回目の利点としては、外出があんまり怖くなかった。会いたかった人(同じようにママになってた幼なじみ、高校や大学の同級生、Twitterでお世話になってる人、などなど)にもどんどん会いに行けたのは楽しかったです。みんなに息子を可愛がってもらって嬉しかったし。そんで家事や育児関連では、普段の生活ではなかなか手をつけられないこと=Zaimで家計簿つけて家計分析みたいなお金関連、料理の週刊献立をつけて実際につくる練習をする、家の壊れたものを直す、等々をやっておりました。ずっと家にいると、家にあるモノの状態がすごく気になってくるんだよね…。なにげなく机に置いてあるカゴが気に入らなくてしょうがなくなったりとか。フローリングのキズが堪え難くなったりとか。でも無収入だから散財はできないし。洗面所の歯ブラシ立てひとつにもプチプラカワイイを追求するMart主婦の気持ち、すごくよくわかりました。
そして隙間時間にはあいかわらず、はてブ(=はてなブックマーク)。毎日はてブ。赤ちゃんが寝たらはてブ。今回もはてなにお世話になりました。ありがとう、はてな。我が家の子どもたちは、はてブなしには育てられませんでした。


てなわけで育休中、オンラインオフライン問わず私にかまってくれた皆様、ほんとうにありがとうございました。とっても楽しかったです。わたし…普通の社畜に戻ります!ウソです。社畜には戻りません。うちは双方の実家力もゼロどころか最近はマイナス(むしろ親に頼られてる)だし、夫の収入も一千万じゃないし、私の収入は子ども達の教育費等にしっかり消えていくため今流行りのハウスワイフ2.0でもないです。どうだ、この凄くない感!(凄母に対抗して)特に、凄くない母…感!
まあでも、赤い彗星みたいな、仕事スピードや移動スピードが通常の3倍、睡眠時間が通常の3分の1みたいな人しか働くママできないようじゃ、国をあげての「女性活用」とやらも永遠に夢物語ですよね!私、量産型だから、すごい寝るし。8時間くらい寝るし。夜泣き対応してるとそのぐらい寝ないと寝た気がしないから。子ども二人いて、仕事と育児をまわすのは初めてのことなので、不安も当然たくさんありますが、ひとりの量産型ワーキングマザーとして、同世代のザクの皆さん(ザク扱いすいません)と知恵を出し合いながら、なんとかやっていけたらと思っています。乳幼児はひたすら手がかかるし、慣れない仕事と育児に毎日バタバタで、政治だとか社会問題に関心を向ける余裕もない、そのことに罪悪感を感じる…という話もたまに聞きます。でもまず自分が現場に残る、「偉い人にはわからんのですよ」とか言いながら17時には会社を出て、ゴキゲンに子どもたちとご飯食べて、怒濤のお風呂&寝かしつけ&バタンキュー…そしてまた朝。みたいな、私はそれで十分なんじゃないかなと思いますけどね。一人目の育休の時、ちょうどリーマンショック直後で、育休切りに遭ったお母さんたちがたくさん居ました。それでも私の記憶では、怒ってる人とか訴えてる人って全然いなかった。けれどここ数年、保活デモなどもたくさんあり、私たちの世代も、問題提起の仕方を少しずつ学びつつあるのかしら、と思ったりしています(←なんか偉そう…自分は特に何もしてないんだが。応援はしている)。「待機児童」というワードに触れる機会も増え、世の中の扱いもだいぶ変わってきているんじゃないでしょうか。


いやーホント私、復職したらしばらくいっぱいいっぱいだろうな…子はいっぱい病気するんだろうな、日々寝落ち確定だろうなアハハハハという感じなのですが、自分の子どもたちが社会に出る頃には、もっと仕事&育児がラクに楽しくできるようであってほしい。そのために、特別なことはなく、とりあえず現場に残る。ということをまず第一に生きていきたいと思います。そもそもこのブログは、働く女性を応援したいなと思って開設したので、全く関係ない記事も色々ありますけども、基本はいつでも現場から生々しく考えたことを皆さんに向けて書くような、そういう感じで行こうと思っています。つーわけでおら、復職するど!(5年ぶり二度目)これからも当ブログを何卒よろしくお願いしますね!



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 ↓前回の復職記事。はてなに対する想いが(まだ)ピュアです。

明日から復職します。 - kobeniの日記

 

「いるかもしれない」の季節

長男5歳が、保育園のみんなと遠くまでお散歩をした日の夕暮。お迎えに行くと保育士さんに、「やまんばをとっても怖がっていたので、長男くん、しばらくやまんばの話をするかもしれません」と言われた。詳しく聞くとこんな感じ。お散歩の途中に大きな木があって、そこに謎の物体(たぶん靴下とかビニールとか。大人が見たら「ゴミ?」と思うようなもの)がひっかかっていた。あれはなんだろうね、誰のしわざかな、とみんなで話すうちに、子どものひとりが「もしかして、やまんばかも!」と言い出して、すごく盛り上がってしまった。帰り道、行きとは違う道順で戻る途中に我が家が見えたため「あれ…?ここ、ぼくん家に近い」と気付いた長男は、もしや我が家までやまんばが来てしまうのでは!というところまで妄想してしまったようだ。園から帰宅しつつその話を振ると、「わー!やまんばの話はしたくないしたくない」と耳をふさいでいる。ああ彼はいま、やまんばが「いるかもしれない」世界に住んでいるんだなあ、と思った。
そんな彼を見ていて、私が小学生の頃に大流行した「はれときどきぶた」のことを思い出し、買って読んであげた。日記帳にウソの日記を書くと、それが翌日ほんとうになってしまう、という話。なんて単純な、と思うだろう。でも長男はすごく夢中になって、図書館で続編も借りて全部読んだ(私が読まされた)あげく、自分で日記まで書き始めた。「○○くん(近所の友達)が、ぶたになってしまいました」と書いて、「…ほんとうにぶたになっちゃったらどうしよう?」とか言っている。

子どもたちは、空想と現実が入り混じった世界に住んでいる。そのことで困ることなど、なにもない。といった趣旨のことを、宮さん(宮崎駿)が言っていた。私もそうだと思う。彼らがそんな世界で暮らせる時間は非常に短い。いちどきりしか訪れず、すぐに過ぎ去ってしまう、そういう季節。





あまり読書家ではない私だが、小学校の一時期だけは、確かに読書に夢中になっていた。絵本を卒業し、字だけの本が読めるようになった頃はとても楽しく、図書室で児童書を借りていろいろ読んでいた。ページを繰っても字しかない、挿絵も大して入ってない。だからこそ、作者の情景描写をたよりに、風景や出来事を必死に頭の中に思い浮かべる。「よし、次はこれを読もう」と決めて、貸し出しカードを書き、ランドセルに入れて持って帰る時、とてもワクワクしたのを覚えている。中でも特に印象に残っているのは、ミヒャエル・エンデの「ジム・ボタンの機関車大旅行」というシリーズ。機関車に乗って男の子と機関士が、お姫さまを救うとか、海賊とたたかう旅に出るというファンタジーである。あの頃は特に、この世界ではない別の場所が舞台とか、あるいは主人公がどこか遠くへ旅に出る、というような冒険譚が好きだった。(この文章を書くにあたって、ひさしぶりにジム・ボタンシリーズについて調べたら、ほとんど内容を忘れてしまっていて、ちょっとショックだったけれど……)
大人になってからも、夢中になって読書をするということはもちろん、ある。けれどあの頃ほど、ページをめくる度にドキドキハラハラしたり、世界観に没頭したり頭の中で懸命に思い浮かべたり…ということが、できなくなっていることに気づいた。子どもたちのおかげで、この歳になって初めて出会った魅力的な児童書もいくつかあるのに、今イチ読む気になれない。それはきっと、私の「いるかもしれない」の季節が、とうの昔に過ぎ去ってしまったせいだろう。今の私は、やまんばも、助けを求めるお姫様も「いない」と思っている。海の向こうにあるふしぎな世界を、「これはフィクションだ」と思いながら読むのと、「いつか行けるかもしれない」と思いながら読むのには、悲しいかな天と地ほどの差があるのだ。

 

 

 

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「いるかもしれない」の季節を、想像力を駆使して大いに楽しむことについて、「大人になってなんらか役に立つ」という見方もあるだろう。それはおそらく正しい。けれど仮に、「特になんの役にも立たなかった」としても、別にいいんじゃないかな、と思う。もちろん子どもはいつか大人になるんだけど、彼らは大人になる「ために」生きてるわけじゃない。彼らはかけがえのない「今」を生きているし、これからも生きていく。その中でいちどきりの季節を過ごしているだけだ。それをただ存分に満喫してほしいなと思う。ぶたが降る、ドラゴンが舞い降りる、雲の上まで電車で行ける、ポケットをたたくとビスケットがふたつになる、かもしれない。ちいさな頭の中には、大人のそれよりも、ずっとずっと広い世界が広がっている。

子育てをきっかけに、私も確かに通り過ぎたあの頃の思い出に浸ることが増えた。それはとても幸せな時間だ。我が家の長男も大人になって、やまんばがいるかもしれない「今」を思い出し、懐かしむことがあるのだろうか。



ちなみに後日、長男に「やまんばってさー、けっきょく何なの?」と聞くと、「好物は…こども。もう!その話したくないってば」と、言ってました。

 

 

 

 

【こちらもどうぞ】

こびとづかんと妖怪と「簪を挿した蛇」 » 科学と生活のイーハトーヴ

 

 

 

はれときどきぶた (あたらしい創作童話 13)

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ジム・ボタンの機関車大旅行 (ジム・ボタンの冒険 (1))

ジム・ボタンの機関車大旅行 (ジム・ボタンの冒険 (1))

  • 作者: ミヒャエル・エンデ,ラインハルト・ミヒル,Michael Ende,上田真而子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1986/06/25
  • メディア: 単行本
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あるのに、見えない家事育児 〜「家事労働ハラスメント」を読みました〜


ワークライフバランス・カフェの活動で知り合った方に薦めて頂いて、「家事労働ハラスメント」という本を読みました。この本は、本来は癒しの営みであるはずの家事(育児、介護等)を、「単純労働」と咎めたり、あるいは「母親にしかできない神聖な仕事」などと極端に持ち上げることで、その実態を労務管理や社会政策において無いものとし、不当な分配がされた結果、生きづらさが生まれたり、社会にひずみが生じている…ということが書かれています。
「ひずみ」について書かれているだけあって、読み進めるのが辛い系の本ではありますが、とても勉強になりました。いくつか印象に残った&考えたことを、煩雑ではありますが共有したいと思います。引用部分は青の斜体で記します。
(仕事と育児の両立をめぐる問題について書きますので、そもそも共働き自体に関心がないとか、そういう選択自体に嫌悪感がある方、私はしんどい家事育児を一人で切り抜けてきたので他の人も必ずそうあるべき的な方などは、そっ閉じでお願いいたします←トピシュさん風)


■ 家事や育児や介護を「やりたくない」んじゃない、「偏ると辛い」んだ


この本の良いところはまず、家事育児介護などの、主に家庭内で行われる労働を、「本来は癒しの営みであったはず」という風に定義してくれているところです。たとえば「孤育て」とか「介護疲れによる虐待」とか、「産後クライシス」もそうかもしれません。昨今、家事育児介護労働の負担感の実態を表現する単語がいろいろ出てきていますよね。私は、隠されているよりは明るみに出てきた方がいいと思っているのですが、一方でこれらにまつわる話を聞いて、「えっ、家庭を持つってそんなに大変なの…」と、ひたすらどん引きしている若者もいるんじゃないか?と、ちょっと危惧してました。
家事育児介護って、それ自体が「ただただしんどい」ということじゃなくて、「特定の人に過度に偏るとしんどい」ということなんですよ。本来は家事労働って、誰しも生きるために必要な営みだし、喜びでもあると思うんです。けれどその実態が「正しく測られない」ことによって「適正に分配されない」と、喜びではなく苦痛になりうる。ということなんだと思います。
「単純労働(だから大した労力ではない)」と咎めるのも、「母親でなければできない神聖な仕事(だから母親以外の人が担うことは不可能)」と極端に持ち上げるのも、「正しく測らない」という点においては同じことですよね。この指摘は非常に目からうろこでしたし、皆さんに共有したいなと思った点でした。
以前から、仕事と育児の両立がしんどい、という話に対して「日本でもベビーシッターに頼めるようになるといいよねー」というような反応を見るにつけ、なんかちょっと違うんだよね…別に私は、やりたくないから誰かに丸投げしたいわけじゃないんだよ…とモヤモヤしていたので、この「偏よるとしんどいんだ」という指摘は、非常に理解の助けになりました(ベビーシッターに頼むこと自体をNOだと言っているわけではありませんので、あしからず)。


■  家事労働を「個人の努力」で見えなくしつづけることの限界

「女性活用」が、声高に叫ばれるようになりました。つまりは女性も家庭外で働いた方がいいと。では、これまで主に女性が担っていた家事労働を、誰がやるのか。そこで「男性の育児参加」という考え方は、ここ数年でかなり浸透してきたと思います。その現状についての下記のような指摘が、印象に残りました。


労働時間の短縮が進まず、保育や介護サービスの整備も遅れ続ける中で、女性の労働力を引き出すために残るリソースは、夫の育児参加だ。(略)だが、政策要求も活発だった1980年代から90年代の男性の育児時間要求とは異なり、現代の「イクメン」は、個人の甲斐性と能力頼みだ。(第四章 P.143)

たとえば、夫が「早く帰宅して、働く妻の負担を軽減したい」と、イクメンを目指そうとした時に、その方法論は、現状だと「自力で仕事のあり方を見直し、早く帰宅できるよう変える」とか「少しでもブラックでない企業へ転職する」とかで、言ってみれば「個人の努力」なのですよね。
妻としては、まず個人の努力に期待したい。それは分かる。理解ある企業の努力も、してもらえるのは喜ばしいことだと思う。でも、そもそもサービス残業の規制とか、労働者が働く時間をフレキシブルに選べる仕組みとか、休息時間(次の労働までの間を連続●時間空けなければならないという制度)とか、そういった「政策」をナシに全員イクメンになれ、早く帰宅して育児を担えというのは、実は無理があるのではないかと思いました。できる人や職場はできるけど、できない人や職場は永遠にできないんじゃないか。それでいいんだろうか…という。


契約社員や派遣社員という非正規のフルタイム労働者の増加からもわかるように、日本の正社員は、実はフルタイムで働けることが条件ではない。会社が必要なときに何時間でも働けるという高い拘束を受け入れる人たちが『正社員』だ。(第一章 P.33)


↑これもなんだか、知ってた…知ってたけどあらためて言われると「がーん」という衝撃がありますね。親になること、「イクメン」になることに、気持ちがついてこない人もいると思うし、そういう点の方が対処は分かりやすい。けど、気持ちはあっても帰れない人は辛いだろうなと最近、思います。

妻の側も、保育所はだんだん整いつつあるけれど、夫が不在がちで、祖父母にも頼れないという人はざらに居て(うちもそうだ)、そういう場合に家事育児負担はどこにも分担されない。妻が、仕事に加えて「個人の努力」でなんとかすることになっちゃう。(ルンバや食洗機に分担…っていう意見もありそうだけど、そいつらのボタンを押すのは誰!てことになるからね)
「個人の努力」で、家事育児を自分の手元から、なかったことにできる妻というのは、高い給与が保証された、責任のある立場につき、子育てを保育園+シッターあるいは祖父母、専業の夫などに一任できる、一部のワーキングマザーだけですよね。でも最近は、普通の妻、母親が、家計を担うために仕事に出たいと考えているんですよね…。政府も、普通の女性を活用したいんだと思うんですけどね。


働く裏側には、必ず、家事や育児、介護の労働がついてくる。そうした等身大の制度設計の重要性を直視し、労働時間設計、税制、少子化対策、「女性の活躍」促進策といったあらゆる政策の中に組み込んでいくことができるかどうか。私たちのこれからは、家事労働という、一件地味な営みをめぐる公正な分配政策、家事労働ハラスメントの乗り越えにかかっている。(終章 P.232)

この本の言いたいことは、これに尽きるのかなと思います。なんだか、仕事とプライベートを指す「オンとオフ」という言葉のおかしみを考えてしまいますね。ある意味、「オンとオフ」は「オフとオン」だろ、みたいな。


■ 他の国もいろいろ試行錯誤してる

「じゃあどうすればいいんだ!」という気持ちになってきますが、他の国はどうしたのか。そもそも「家事労働の再分配」は、1980年代からの産業構造の激変の中で、多くの国が直面してきた問題のようです。日本と同じように専業主婦大国だったが、パート正社員(日本のパートとは色々と概念が違う)というような形を普及させて質の良い短時間労働を整備し、男性の家庭時間を確保し、男女両方の完全雇用を目指したオランダとか。育児や介護の公的サービスを増やし、女性もフルタイムで働いて納税し、それをまた公的サービスに帰して循環させるという方法をとったスウェーデンとか。他国でこの「家事労働の再分配」がどのように行われたか、という例もかなり詳しく載っています。「家族ごとにベビーシッターやナニー」というような形をとっている国もありますが、それはそれで難しさがあるよ、ということも書かれています。


そんなオランダから学べることは、まず、外で働くか家庭内だけで働くかを問わず、家事労働を担う人々を横の関係で結ぶネットワークを強めることだ。家事の担い手とされてきた女性が意思決定の場にほとんど参加してない日本では、仕事と家庭を両立できる労働時間が必要な人々がばらばらに切り離され、自分たちに必要なものを意識することさえまれだからだ。(終章 P.228)


「夫がひとりで世帯収入を稼いで、妻が家事育児介護を一手に引き受ける、そういうモデルケースしか許されない世の中はもう生きづらい。それをなんとかしたい」という人や組織は、いろんな方面にあるような気がします。私みたいに両立に悩んでいる人もそうだし、シングルマザー/ファーザーもそうだし、ワーキングプアなどの貧困問題に取り組んでいる人もそうかな。でもみんなバラバラに活動しているので、同じ方向に向かっていきたいのにまとまりがない、みたいなことはあるのかなと思いました。

 


*


時にはこういう本を読んで「あれ!なんか今すごい生きづらいんだけど、なにこれ!やっぱこれ社会問題だよね!」というような、マクロ視点とでも言えるものを持つことは大事かなと思います。以前にブログに書いた「迷走する両立支援」もそうだったのですが、著者が「(あなたの生きづらさは)あなたのせいじゃない。なぜなら…」と言ってくれる本というのは、読み手は救われた気持ちになりますし、今すぐにどうこうできなくても、なぜ大変なのか?という現状の理解にはなります。
そして、つらつらと厳しい現実を書いてきましたが、なんとなく「いずれ良いバランスに落ち着くだろう」と思いました。この本のおかげで、ここからどういう過程を経て何が変われば、両立がうまくまわるようになるのか、なんとな〜く、イメージがついたからです。今は過渡期なので、渦中にいる人はしんどいかもしれないけど、だからこそ、一人ひとりの考えてることや言動に、けっこう影響力がある……意味がある!!時かなとも思いました。力強く言ってみた。

 

家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの (岩波新書)

家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの (岩波新書)

 

 



 

2月に、ワークライフバランス・カフェの交流会(というか基本はただのオフ会)があります。もし興味のある方がいたら、ぜひいらしてください。お疲れ気味のイクメンの方もぜひ、どうぞ。この本の感想なども、いろんな立場の方々と意見交換してみたいなと思います。

ワークライフバランス・カフェ「リアルcafe」〜参加者のみなさん・スタッフ交流会〜 : ATND







 

Evernoteで友達と週間献立を共有しているよ

 前々回のエントリで、「料理がとても苦手だったのだけど、最近すこし頑張り始めたよ」ということを書きました。私がいちばん苦手なのは、つくる過程より「毎日の献立を考える」こと。そこで「友達とEvernoteで、きょうの献立を共有する」というのを始めました。8月末にあった久谷女子のイベントでも、この話をチラッとしたら、「へー」という反応を頂いたので、現代のweb女子らしい取組みかも?とか思いつつ、書いてみますね。


■  具体的に何してるのか一言で

Evernoteの「ノート共有機能」を使って、それぞれが立てた夕食の週間献立を、Twitterで知り合った友達と共有しています。
Evernoteとは→Evernoteについて | Evernote




■  はじめたきっかけ

今年の2月に、ワークライフバランス・カフェで「育児家事の時短ワザ・お役立ちツール」というテーマが実施されました。ワークライフバランス・カフェは、土曜日(不定期)の夜22時から、主に仕事と育児の両立に関心がある人たちが、Twitterのハッシュタグ#wlb_cafe上で知恵を出し合うというものです。私はスタッフとして、2010年ごろから関わっています。
その頃、ちょうどEvernoteに毎週の献立を記録し始めたばかりだったので、食事の時短ワザとしてそのことをツイートしました。そして献立が思いつかなくて困ってる、誰かの献立も見られたら嬉しいのに、というようなことを書いたと思います。するとTwitterでよく会話していた @asaco_ちゃんが、「同じようにEvernoteで献立をつけているから、共有してもいいよー!」と言ってくれました。で、その場ですぐEvernoteの「ノート共有機能」(全ての記録ではなく、許可した一部のページだけを見せることができる、というような機能です)を使い、お互いの週間献立共有をスタートしたのでした。


■  やり方もうちょっと詳しく

Evernoteでは「ノートブック」と「ノート」が共有できます。その名のとおり、「ノートブック」は複数のノートをまとめたもの、「ノート」は個々のページみたいなものです。
私たちはそれぞれ、一週間の献立を「ノート」に毎週記入しています。基本的にはそれを見せ合って、自分が献立を立てる時の参考にします。
Evernoteノート共有の方法→Evernoteでコラボレーションや情報公開―ノートブックの共有・公開 | Evernote日本語版ブログ



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これは私のノート一覧。赤く丸をしてある「参加中のノートブック」をクリックすると、共有しているasacoちゃんのノートを見ることができる

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これはasacoちゃんのノート一覧。彼女のはテンプレもあって、そこに週次で献立を書いてる


週間献立以外にも、雑誌やwebで見つけたレシピの共有とか、お互いの家庭の鉄板レシピ集とか、単なる「最近どう?」的な交換日記などのノートも。それらがまとまったノートブック全体を共有しています。
(そもそも何故Evernoteに献立を記しているのか。というと、買い出しの時にiphoneからアプリでチェックできるとか、思いついた時に電車の中でも書けるなど、どこにいても・どこからでもデータにアクセスできるため、でしょうか)

 


■ やってみて良かったこと

・ 週間献立の習慣づけができた&宅配の注文がラクに

私もasacoちゃんも、宅配で一週間分(実際には土日に買い出ししている分もあるので、6日間全部ではありませんが)の食材を購入しているのですが、一般的に食材宅配は、週次で配達が来るのですね。これまで私は献立をあまり立てずに、なんとなく注文していたのですが、食材を余らせてしまったり、来た食材で何をつくったらいいか分からなくなったり、結局マンネリになったり、していました。共有することで強制的に、事前に献立を立てる習慣がついたのが、まず良かったです。もちろん、前週の献立を流用する週もあります。というか、毎回違った献立を立てるのではなく、週単位で献立の流用もラクにできるように立てている、とも言えますね。(asacoちゃんは、Evernoteで献立を記入しはじめて一年が経つらしく、昨年の同じ季節の献立を流用したりしてるみたいです)
宅配の注文日までに献立を立てるのですが、始めて半年くらい経った今、考えて注文する時間がどんどん短くなってきました。以前はこの、食材を注文する時間がすごく苦痛だったので、短縮されるのは良いことです。あまった時間を、おやつの発注だけじっくりする、など楽しい時間に変えられますw

・ 料理の腕が上がった

そもそも私は料理が苦手で、asacoちゃんに献立を見せるのすら恥ずかしい!という感じだったのですが、それでも「ラクになるんだったら背に腹はかえられねえ…」と思って始めたのです。asacoちゃんは料理が好きな人なので、いろんなレシピを知っていて、料理や片づけのコツなどもこっそり教えてもらったりしています。
やっぱり「(献立を)人に見られるかもしれない」となると、それなりに食べられるものをw提供しようという気持ちにもなりますし、色々モチベーションUPにつながりました。とはいえ私はいま育休中なので、なんとか続けて来られたのかもしれません。続けることと記録することで、得意料理もちょっとずつ増えてきたし、作ってはみたが子供が食べないレシピが消去されるなどして、我が家に最適化された献立にどんどん近づいている気がします。

・ 交換日記が楽しい

私とasacoちゃんは、まだ一度もリアルで会ったことがないのですが、料理とは特に関係のない話も交換日記(ノート)に書いていて、これが古くて新しい感じというか、すごく楽しいです。お互いの近況や、最近気になるもの、思ったことなどを、上に書き足す感じで記入し合うだけなんですけどね…。Evernoteアプリは、更新するとアゲ、って上に表示してくれるので、返事書いてくれたんだなーと分かるのです。
お互いの献立をチラ見しながら、そこにメモされた内容から家庭の様子を知ることができて、その上で交換日記をしているので、なんだかどんどん仲良くなっている気がしますw距離的にかなり離れたところに住んでいるので、簡単に会えないのですが、そのうち会いに行きたいなーと思っています。 

 



■  はじめる時のポイント

・ 家族構成・ライフスタイルや食材調達の方法などが似ている人と始める

たぶんこれが一番のポイントです。私とasacoちゃんは、子供(乳幼児二人)がいる、働いているため帰宅してから調理にかけられる時間が短い、というところが同じでした。なので食卓の品数とか、調理時間は約30分とか、子供でも食べられる味つけとか、そのあたりの前提が同じで参考にしやすいのです。

料理にすごく凝りたい人同士で始めるのも楽しそうだし、逆に近所に住む人と、スーパーの特売日をふまえて超節約献立を共有したりなんかも、面白そうです。夫と交代で立てて共有してみるとか、も良いですね。

・ 見せても恥ずかしくない相手と共有する

「我が家の献立を人様に見せるなんてとてもとても」と言っていると、このプロジェクトは始められません!また、自分用のメモでもあるので、自分や家族のことを書いても問題のない相手と始めないと、やけに気を遣う必要が出てきちゃいます。まあまあ親しい人、個人情報を共有しても良い人とやるのが吉です。

・ がんばりすぎない

「毎週キッチリ立てないと!」とか思っていると、疲れちゃって続きません。そもそも、献立を記録・マネする=流用や引用し、使い回しラクをする、という理由もあるのだから、必死にならないようにしたいところです。


 

 

いかがでしょうか〜。楽しいので皆さんもぜひやってみてください。久谷女子のイベントでこの話をした時には、「たとえば、東京都では今夜みんなこの献立でつくっている、みたいなことが起きたら面白いですね。同時多発ハンバーグとか」というような会話も出てました。そこまでは難しいかもしれないけれど、もっとたくさんの人たちと献立を共有したらどうなるのかなー、とは思いますね。既に近しいサービスはあるのかもしれませんが。
先日、「ITまな板(プロトタイプ)」の記事がありましたが、日々の料理のフィールドはまだまだITが活躍できる余地があると思います!私は、この週刊献立ノートにアクセスできるまな板がほしいです。IT業界の皆さん、がんばってくださいね〜。



蜷川実花さん責任編集の「働くママ」本、セキララで良かったので紹介するよ

前回、オンライン献立共有について書くと言っておきながら、ちょっと紹介したい本を見つけたのでサラリとUPします。いま発売中だから、早く紹介しないと本屋さんから撤収されちゃうかなと思って。ステマじゃありません。急いでいるのでドライブ感ある感じで(とちゅう何度も0歳児に執筆中断されながらですが)書きます。

 

MAMA MARIA(ママ・マリア) (光文社女性ブックス VOL. 145)

MAMA MARIA(ママ・マリア) (光文社女性ブックス VOL. 145)

 

 


表紙にでっかく「働くママへ!」って書いてあったので、本屋さんで思わず手に取りました。「ママ・マリア(MAMA MARIA)」っていうMOOKです。蜷川実花さんが編集長、ファッションフォトなど全部撮影だそうです。
最初見た時は、ママ向けグラビアや子連れスポットがたくさん載っていて、ママであることをめいっぱい楽しむ!みたいな本なのかと思いました。けれどパラパラめくったら、佐田真由美さんがスタイリッシュにポーズを撮っている写真の上に

 

「産休中は外の世界と遮断されちゃった。いいね、みんな働いてて…かなり卑屈になっていたかも」

 

って書いてあった。えっ。あんまり見ないよな、こんな女性誌っぽいモードな写真の上に「産後は卑屈に」っていう見出し…と思ったんですよね。なんだろうこの本?それで前書きを見ると、蜷川さんからのメッセージとして

 

「はっきり言って、どんなキラキラして見える人も悩んでます、素敵ママ代表のあの人もこの人もみんな悩んでます、みんなボロボロです、もちろん私も。このことをキチンと伝えたくて」

 


と書いてありました。
購入して読み進めていくうちに「これって、ふだん女性誌でキラキラしている有名人ママが、大変なことや辛いことまで含めてセキララに語る、っていうコンセプトの本なのか!」と分かってきました。だからMOOKの体裁ではあるけれど、基本的には「インタビュー集」なのですね。モデルや女優、デザイナーやクリエイター等としてキラキラと働くママの「ボロボロ部分」、白鳥が湖の下で足掻いてる、そのバタバタした足の部分まで語ろう!というものなんだなと。


なんとなく本の雰囲気がわかるように、いくつかインタビューから抜粋しますね。

 


益若つばさ
「結婚当時は、家をきれいに片付けられないと自己嫌悪に陥ったり、主人に申し訳なく思って、夜中に歯ブラシでめっちゃ掃除しはじめたり。でもいまは『疲れちゃったから、明日でいっか』ってだいぶ思えるようになった」


東村アキコ
「子育ては先が読めないしこっちの思う通りにはいかないわけですから、もうあの頃はホントに辛かった 思い出したくない 人生で一番辛かった」


吉川ひなの
「子供にご飯をあげたあとの床とか、地獄のようにぐちゃぐちゃ」


土屋アンナ
「再婚してから、旦那が家で子供を見てくれるぶん食事は作る。男だけだと食べたいラーメンやカレーのみで終わっちゃうでしょ。そこにサラダも添えたいっていう部分はこっちがケアしないとね」


蜷川実花
「私も離婚したらすごく楽になった。『私が働かないと生活できない』という明確な理由ができたから。夫婦で働いてると、『子供が泣いてるのに、なんで働かなきゃいけないんだろう』って、自分を責めてしまいそう」


川上未映子
「その人の根性とかバイタリティの問題ではなく、一日24時間しかないわけだから、絶対に(両立は)無理。本当の意味での『両立』はありえない」
「子供を持たなかった人生もあるっていうことは忘れちゃいけないって思う」
「健診とかに行くと、ちょっと小さいんじゃないかとか、母乳が足りてなかったのかなとかって気になるんです。(略)そんな自分にがっかりですよ」


小林加奈(Velnicaデザイナー)
「『完母』っていう母乳神話にすごく苦しめられた」
LiLy
「初めて(子供を)保育園に預けたとき、先生にね、うんちの柔らかさを聞かれて、その瞬間、泣きそうになったの。それまで夫も家族も一緒にいたけど、それでも息子のうんちの柔らかさについて私に聞いてくれた人はひとりもいなかった」

 

大変だよ悩んでるよ!というものの他にも、「人それぞれ、いろいろなスタイルで両立やっていこうよ」みたいなことが感じられるエピソードもあり。


田中杏子(NumeroTokyo編集長)
「うちは別居婚スタイルで、彼は同じ敷地の別棟で生活しているんです」


小島慶子
「私と夫は完全に入れ替え可能な夫婦。お互い家事はひと通りできるので、分担というより、2人で回している感じです。(略)役割が固定化すると我慢大会になるので、臨機応変にすれば家の中が平和です。」


植田みずき(ENFOLDクリエイティブディレクター)
「(ハウスキーパーを頼むのには)確かに若干の罪悪感はあります。でも仕事から帰ってきて家が綺麗になっていると嬉しいし、それができなくてイライラするほうが家族にとってもマイナスだから」


杉谷恵美(シンシア・ガーデン代表)
「株主総会の日に子供が病気になっちゃって、会議室にベビーベッドを置いて株主総会をしたんですよ」

 

■ イヤイヤ期の前ではどんなママも怖いくらい平等なんだな

出てくるママたちは基本的に乳児〜幼児を育てているところのようで、大変さもひとしお。ああ、今まさに私と同じようなことで悩んでるんだ!って思うエピソードがたくさんありました。
考えてみれば当たり前のことで、いくら彼女たちがキラキラした職業に就いているといっても、あくまで我々は同じ国に住んで、同じくらいの年齢の子供に向き合ってるんですよね。夜泣きがない、イヤイヤ期がない子供などいないのだし、それぞれの母と子の関係は代替が効かない、唯一無二であることも同じ。もちろん「有名人なんだから、お金で解決できるのでは?」と思うところもあります。それはそうなんだけど、じゃあ子育ての、何をどこまでお金で解決するのか?できるのか。少なくとも「母乳が出ない」という悩みは、そう簡単にお金では解決できないよね、とか。それにいくらお金があっても、「自分でやるのか他人に任せるのか」の線引きは、切実についてまわると思います。

ハイパーワーキングマザー伝説!とでも言えるような記事を雑誌で目にした時に、どっと押し寄せる疲れは、「私は同じ働くママなのに、それ特有の悩みや辛さをこの(雑誌に出ている)人と共有できてない。せっかくメディアに出ているのに、私の気持ちを代弁してはくれないんだな」という寂しさやガッカリ感が原因だと思います。そういう記事に比べると、この本は一見キラキラしているママたちが、私と同じように、周囲や自分自身の子育て・ジェンダー観(そこから来る無理解)に振り回されて葛藤したり、子供ができたことで、仕事のスタイルについても変化を余儀なくされ、試行錯誤しているらしい様子が伝わってきます。「夜明け前に起床し2時間PCに向かい子供たちは義父母に預けそのままNYへ」みたいなハイパーな部分も…無い…わけではない。湖の下での足の掻きっぷりはハンパないと思う。それでも、むやみに涼しい顔されるよりはいいよな!と思いました。

■「イクメン」については全然出てこないが蜷川父がぜんぶ持っていく

読み終わって思ったことですが、全体的に夫の影が薄い。超薄い。「離婚してスッキリした」という人が何人も出てくるw 確かに彼女たち自身がすごく華やかな存在なので、夫もそれ同等に有名人だったりして、だからこそ多忙を極めていて、子育てできないという可能性は高い。けれどこれだけ、妻の方が仕事で個としてキラキラ輝きまくってんだから、夫が全面的に子育てして支えてる夫婦が居たっていいのに。と思ったんですよね。そしたら本の真ん中あたりで出てくる蜷川父が、イクメン枠を全部持っていってくれた。

実花さんは、まだ蜷川幸雄さんが売れる前に生まれた子ということで、奥さんが女優として働いて幸雄さんが「ハウスハズバンドとして」彼女を育てたのだそうです。イクメンの走りですよね。

「家事というのは本当に大変です。(略)だから、世の中のお父さんたちに言いたいです。生活の中でちゃんと役に立ってないとダメだぞと。(略)やりっぱなし、食べっぱなしはダメだぞと。後片付けをすることが大事」
「(女は)精神的にも経済的にも自立しろ。ダメな男は捨てればいい」
「格好いい女というのは、テキパキした女のことです。そして、受け身ではないということです」

カッコE!惚れる!そんな蜷川父ですが、本誌にはお孫さんとのほのぼの2ショットもあり、ほっこりさせられました。

 

 

…ということで、本の趣旨がしっかりしているせいか、女性誌によくある感じのインタビューではなく、妙に突っ込んだ内容になっていて面白かったです。母乳神話、育児ノイローゼ、産後うつなどの単語もよく出てきます。宗美玄さんの産後アドバイスも。もちろんインタビューだけじゃなく、オサレ靴や授乳服なども載ってました。個人的には「サラダを添える土屋アンナさん」が良かった。私も頑張って添えていきたい。よかったら、皆さんも読んでみてください。普段なかなか見られない、白鳥ママたちの水面下が見られますよ!というかこのレビュー、サラリとって書いておいて長かったね…!



※参考 「個としての輝き」

Web女子に「個としての輝き」を!久谷女子が面白い(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース







 

キッチン・コックピットから

 
 
皆さんは料理が好きですか?
 
私はもともと料理が苦手で、20代の頃は外食ばかりしていた。子供が生まれてから、さすがに外食ばかりではまずかろう、食費もバカにならないしと、ようやく重い腰をあげて、自炊に向き合うことにした。とはいえあまり気持ちが前向きでないので、かなりいきあたりばったりで料理をする日々。献立を考えるのもおっくうだし、レシピを覚えて「自分のものにしよう」という気持ちもないため、いつまでも腕が上がらない。決まった献立で食材を送ってくれる食材宅配「ヨシケイ」を使っていたこともある。けれどヨシケイは、基本の夕食献立が「三品ワンセット」だ。仕事を終えて保育園へ息子を迎えに行き、帰宅してから調理にかけられる時間はせいぜい30分。そんなタイムショック状態の我が家にヨシケイは、たとえば「スカイツリー完成記念!」と称し、ハンバーグと目玉焼きをツリー状にしたエクストリームレシピを提案してきたりする。「ヨ、ヨシケイ様…平日からタワーはパワー的に厳しいです、どうかお許しを……!」という日が続き、私はついにヨシケイ様もギブアップしてしまったのだった。
 
しかし先日二人目が産まれて、しかも子供達二人とも男児と来ている。彼らが食べ盛りになったらどうするの、私。お惣菜の唐揚げとコロッケを与えておくだけでは済まされないでしょう!ヨシケイギブアップ以来なんとなく気持ちが遠のいていた料理だが、さすがに一念発起し、おら育休中になんとかするべ!と、料理修行に力を入れ始めた。
 
料理修行といっても、一週間分の献立をまとめて立てて、それに沿って食材を宅配(今は生協を使っています)で購入し、一週間ずつまわす。そしてそれぞれのレシピを、ボーっとして作ることによって一期一会に、ではなくなるべく頭に入れて自分のものにして、調理に慣れる。ぐらいのことなのです。アータ、そんなこともやってなかったの!と怒られそうですが……すいません。けれどこういう工夫を始めたら、今まで気づかなかった料理の奥深さが、ちょっとずつ見えてくるのでおもしろい。
まず、「ほとんどの和食って、しょうゆとみりんと酒と砂糖で味つけされてんのな」ってこと。和食レシピは何を作るにしてもだいたい、これら調味料の加減で味つけが決まっている。すごい。逆に言うと、これらで適当に味つけすれば、だいたいの食材は美味しく頂けるのかもしれない。
それから外食で美味しいものを食べた時、「あー美味しかった」で終わらなくなった。「あー美味しかった。…で、これ、どうやって作るの?」となる。もしかしたら自宅で再現できるかも!という観点が生まれたのです。店員さんに聞くのは難しいので、レシピは想像になっちゃうけど、実際に作ってみるのも楽しい。「お店のあの味を再現」なんていう記事が、人気を博すのも分かります。
 
料理のやりくりに凝り出すと、食材をキッチリ使い切れた時、またそれによって冷蔵庫の野菜室が空っぽになった時などに、えも言われぬ達成感がある。勝った……あの時に特売だからといってなすを大量に買わなかったオレ、勝ち組……!というような気持ちになれます。別に食材が余ったら、それでもう一品作ったりすればいいんだけど、私はまだ修行が足りずそこまでの腕がない。漫画「アラサーちゃん」に、「得意料理は?」と男性に聞かれた時の最新の答え方(「肉じゃが」の次世代バージョン)として「冷蔵庫の中にあるものでパパッと作ったものかな」とありました。とても納得。私もパパッと、を目指して精進したい。
 
そして当然の帰結とも言えるが、ついに料理をする「場所」にもこだわりだしてしまった。つまりキッチン。主婦の聖地キッチン。手の届く場所に適切な調味料を配置したい!各種調理器具をキレイに収納したい!コンロ脇などのスペースを有効活用したい……!かくして我が家のキッチンの「コックピット化」は進んでゆく。
空間という空間、スペースというスペースを見逃さない。そこにふきんを引っ掛ける、鍋のふたを引っ掛ける、キッチンペーパーを引っ掛ける。そして、仕切る。箸などのカトラリーを仕切る、小皿やどんぶりを仕切る、冷蔵庫の野菜室まで仕切る。シンク下の扉裏側、足元の平たく大きな引き出し、頭上の空きスペース、とにかく引っ掛けたり仕切ったり。そうこうするうちに、シンク前から一歩も動かずに調理ができるようになる。キッチン・コックピットの完成である。
 
キッチンの収納具を買う時は、雑誌Martを参考に。Martの「推し100円ショップ」にてたくさんのラックと仕切りを買い、徐々に私のコックピットも完成しつつあります。もう来年あたり種子島から打ち上げができそう。
 ちなみにMart主婦的には、コックピットには機能性だけでなく、かわいらしさも重要。ギンガムチェックなコックピット。ボサノヴァが流れるコックピット。仕上げは瓶ですね、瓶。しかもただの瓶じゃない。ハワイで買ったスターバックスコーヒーの空き瓶、などがベスト。私もとりあえず100円ショップで買った瓶を置いた。中に何を入れたらいいかわからず、とりあえず並べてみた。正直「並べるだけでいいの?」感は否めない。でも打ち上げスタンバイはOKです、BGMはアントニオ・カルロス・ジョビンで。
 

 

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  私の母は料理が嫌いで、傍で見ていてもとにかく調理ができとうだった。ただ彼女の場合、「女性は家庭で料理をするのが当然」という時代に生きていたせいで、本来の「料理そのもの」を、純粋に楽しむことができなかったんじゃないかなあ、と今は思う。料理というものに余計な文脈がたくさん、くっついてくる時代。母は意地を張っていたのかもしれない。でもまあ、そんな気持ちも分からなくはない。
料理から、社会的・文化的なアレコレを除けて向き合うと、当たり前のことながら、人間にとって料理・食べ物の存在はとても大きいものだと感じる。かつて、つわりで思うように食事が取れない、何を食べても美味しくない数週間を体験したが、その辛さは予想以上だった。何せ人は一日に三度も食事をするのだ。「美味しいものを食べる」という行為が、日々の中で我々にもたらしてくれる幸福感を軽く見積もってはいけない。たとえ他に色々と楽しみがあったとしても、食べることが出来なくなったら、生きる気力をごっそり奪われてしまうのではないか、と想像している。
 


 ところでレシピには著作権がない、という話を聞いたことがある。レシピそれ自体は料理づくりのノウハウであって、「表現」ではないということらしい。(料理についてまとめた本などは著作権が発生する)そういえば先日、cookpadのレシピのまんま料理する女がムカつく、みたいな記事が炎上しかかっていたが、この、著作権がないという話から考えても、料理はむしろむやみに創作的でない方が正解である、先人たちが開発してきたノウハウに忠実につくった方がただしいとも言えるんじゃないか。というか、創造的だと時間がかかりすぎるしね。ツリー状のハンバーグとかね。

ということは「おふくろの味」なんかにも、著作権は発生しないわけだ。けれど美味しいものを一緒に食べたその瞬間は、唯一無二のものとして思い出に残るわけですね。

 


たとえば家族や親しい人に、感謝の気持ちを伝えたいとか、喜ばせたいと思った時。美味しい料理をつくるのは、一番と言っていいぐらい「手っ取り早い」方法なんじゃないか。特別な日じゃなくなんでもない日にも、食事は取るわけだから、そこにいつもより少しだけ手をかける、というくらいなら、さりげなくできる。そう考えると料理って、ベタなのにとても高尚な行いに思えてくる。私の場合はもっと自己中心的なので、自分が美味しいものを食べたいから頑張る、という感じだけれど。うちの母も意地を張らずに色々やってみれば良かったのに。小さな子と一緒に料理をすると、こねたりお団子にしたりなど、遊びに近い要素も含まれるから、これまた、たとえば雨の日、予定がない日の子供たちとの過ごし方として非常に手っ取り早いのに。

 
 
ベタだけど、意地を張らないでやってみたら実は面白いものって、きっとこの世にたくさんあるんでしょうね。毎日の料理は仕事にも趣味にも分類できない、力の入れ具合が難しいものだけれど、意外と、創造的な映画などよりもパワーを発揮する時があるんじゃないかしら。とか思いながら、頭上のキッチンペーパーにサッと手を伸ばしてみたりして。
 
 
 

*


冒頭の話に戻るけれど、とはいえ毎週の献立を途切れなく考えるのはやはり簡単ではない。そこで最近、「献立をオンラインで共有する」というのをお友達とやっています。それについては、次回書きますね。