kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

戦場のボーイズ的ガールズライフ〜男子的女子はどこまでもピュアである〜

男勝りな少女の顛末 - 最果タヒ ノ 森山森子


私は惣流・アスカ・ラングレー※が好きだ。シンジくんが乗るか乗らないかウダウダ悩んでいるのに対し、アスカは意気揚々とエヴァに乗りこむ。そして男勝りにバッサバッサと使徒をぶった切っていく。「負けてらんないのよぉーーーー!!」…その姿は小学校の頃、ドッジボールが大好きだった自分に重なる。


小学校高学年になり、体力差が如実についてきて、私は男子たちのドッジボールに混じれなくなった。その時の悲しみは忘れられない。「お前には、もう思いっきりボールを投げられない」。あの時、男子たちが私に向けた、哀れみや諦めの混じった表情が忘れられない。


男子的女子たちはピュアだ。彼女たちは「乗れ」と言われて戦場へ赴くのではない。「乗っても乗らなくてもいいよ」と言われて、「乗る」と決めたのだ。働く女性の中には、時に多くの男性をも凌駕するくらい、ズバ抜けて能力を発揮する人がいる。その裏には、「私が自分で乗ると決めたんだから」という、決意の強さがあるのではないだろうか。


ただし、ここで問題がある。これはあくまで少年マンガのストーリーなのだ。少女マンガに、戦場はない。少年マンガに主人公は二人いらない。「ジャマだろ、ふつうに。」(元記事より)その結果女子たちは悩むことになる。「これは、あかんのではないだろうか、女子として。」自分自身を賭して決めたこの人生のあり様を、多くの男子たちは買ってくれない。少女マンガに持ち込めないのだ。


それでも彼女たちは意気揚々と戦場へ向かうだろう。彼女たちはズルをしない。彼女たちは夢やロマンのために、手段と目的を取り違えたりしない。自分で決めたから。自分で乗ると決めたから。


いつか彼女たちも「いいですよ、みんなが乗れって言うなら、乗りますよ」とか「お父さんに認められたい」と乗る、そんな日が来るのだろうか。それでも、しばらくの間は、ただただ嬉しくて戦う、夢やロマンのために戦うだろう。ピュアに。ひたすらピュアに。私はそんな男子的女子たちが大好きだ。



※の補足:惣流・アスカ・ラングレーは「新世紀エヴァンゲリオン」のヒロインです。主人公の碇シンジと同様、エヴァンゲリオンに乗って人類の敵、使徒と戦います。エヴァンゲリオンは選ばれた子供(チルドレン)しか乗れません。


追記:友人がこんな話を紹介してくれました。


宮崎駿さんは、「なぜ少女しか描かないのか?」という質問に対して、
 
「少女ははじめから現実の上に立ってるから描きやすい。しかし8歳の男の子の脆さは悲劇的で描きにくいのです。」
 
と答えていました。


ちなみに私は、職場で同期の男性に

「働いてるkobeniは、けなげだと思っていたけど、(実際、部署が一緒になってすぐそばで働いてみると)なんか怖いね…」

と言われたことがあります。
ナウシカや、レオンのマチルダのようなものを妄想されていたようです。