kobeniの日記

仕事・育児・伏し目がちなメガネ男子などについて考えています

セーラー服で真夏のプールに飛び込んだことはありますか? -書評「シンプルノットローファー」-

どうしてもメロンソーダが飲みたい。メロンソーダとエンゼルフレンチとかどう考えても終わってる、お腹がチョーキモいことになりつつあることぐらい分かってる、でもどうしてもメロンソーダが飲みたい。放課後ミスドで部活をサボるのは私とS子の定番だった。私たちはそこで夏休み迄に、いかにして誰かを好きになるかという作戦会議をほぼ毎日、していた。しかし既に7月にしてS子は大好きなTに二回告白し(一回は花火大会、もう一回は家の前で待ち伏せした)二回ともフラれ、私は成績もスポーツもトップクラスの男子を好きになってしまい、バカは問題外だろうからまず数Bの追試を回避しようと無駄な努力をするも、ストレスから食欲が増し、メロンソーダとグラタンパイやフレンチクルーラーでわき腹がどんどんキモいことになっていくだけだった。ただ誰かを好きになりたいのと同じように、ただ欲しい服が欲しい気分が高まりすぎて、思わず「私ぽくない」のに買ったというSEDAをめくりながらS子が言った。
 
 
「…ていうかさ、好きな人いなくても別に楽しくない?」
 
 
その瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、前の日に家の近所のTSUTAYAの帰り爆音でラブタンバリンズを聴きながら愛車のチャリで駆け下りた山道から見えたそれは美しい、夕焼けだった。
 
 
 
 

衿沢世衣子「シンプルノットローファー」。モンナンカール女子高等学校(中高一貫)に通う女の子たちの日常が12話、描かれたマンガである。大和田舞可(マイカ)始め、26名のクラスメイト一人ひとりが、主役になったり脇役になったりしつつ物語が進む。内容はというと、生物室で飼われていたヘビが逃げ出して大騒ぎしたり、ハンダゴテを使いこなす機械通のりょうちゃんが「今できることを、今やってみたかった」と家電修理の仕事体験をしたり、ケータイを手放せないエマが、登校中に『嗚呼、いっそこのまま、どこか知らない町まで行ってしまおうか…』とブログを更新したり…。どこにでもありそうな、しかし人生でたった一度きりの思春期の日々が、チャーミングに描かれている。
 
 
懐かしい気持でいっぱいになりながら読み終えて、しばらく経ってふと気がついた。ないじゃないか、あれが。決定的なものが。つまり、色恋が。少女マンガなのに、「恋」が全く出てこない。片思いも両思いも、はじめての彼氏も憧れの2つ上のセンパイも一切出てこない。男性で登場するのは、おじいちゃん先生ぐらいか。これは少年マンガから「勝負」を抜きさったぐらいの欠落であるはずだが、読んでいる時には気がつきもしなかった。
 
  
ちょうど、id:ohnosakikoさんの「女が邪魔をする」を読了したところだったので、ははあ、このマンガの舞台が「女子校」だからか、と納得した。詳しくは本や下記エントリを参考にして頂きたいのだが、「共学別学論争」の存在を知らなかった私にとって、別学に対する以下のような見方は、とても新鮮だった。

本にも掲載されているが、過去エントリより引用。

 
共学別学論争 - Ohnoblog 2
続・共学別学論争 - Ohnoblog 2

 


以下は●がYさん(中高一貫女子校で過ごした方)、○が私(大野さん)の発言。
 
●「男女共学より、別学がいいと思うんですよね。小学校は共学でもいいけど、中、高、大は男女別学にした方がいいと思います」

 
○「そう? それだと、異性とのコミュニケーションとか助け合いとか学べないんじゃないの?」

 
●「逆に、常に異性がいると変に意識して遠慮したりってことが多いと思います。私は女子校だったんですけど、男子がいなかったお陰でとてものびのび過ごせました。男子がいたら話題にしにくいようなことを、いつでも真剣に話し合えたし。HRでも恥ずかしがらずに発言できるあの環境は、良かったなあと思う」

 
○「じゃあ、男子も女子もずっと同性の中だけで過ごして来たとしてよ、大人になって社会に出たら、いろんな場所で共同作業しなくちゃいけない時に、いきなりは大変でしょう」

 
●「最初はお互い慣れてないから大変かもしれないけど、そこで一からちゃんと関係を作っていけばいいと思う。かえってお互い新鮮に見れるんじゃないかと思いますけど」

 
○「でも、世の中にジェンダーバイアスのかかった情報は一杯あるじゃない。別学で過ごしていたって、そういうのは入ってくるから自然と影響されると思うのね。そしたら日常的に異性と接していない分、余計に妄想が膨らんじゃうんじゃないの」

 
● 「外からの情報はあるだろうけど、十代はやっぱり学校が生活の中心を占めるじゃないですか。男子に頼らず、何でも女子だけで自主的にやっていかなくちゃならないから、自然と積極的になりますよ。十代の時期に、異性の目を意識しないで自由に発言して、何でも自分達でやるような自立心を育てていくことが大事だと思います。それを中・高・大とやってくれば、社会に出ても大丈夫じゃないでしょうか」

 
○「‥‥なるほど」

 
●「女子校では、「女子は‥‥」という言葉はないんですよ。だってみんな女子だから。まあ年配の先生の中には「女の子なんだからもっとお静かに」とか言う人もいるけど、自分達が性別を普段いちいち考えなくて済むってのは大きいです」

 
○「そうなんだ」

 
● 「実は女子校時代はそこまで思ってなくて、大学に入って初めて気づいたんです。女子校ではみんな個性豊かでバラエティがあったなあと。共学の高校から来た女の子とは、なんかとても話しにくかった。回りにいる男子を常に意識している感じで、自分というものを出してなくて、話しててなんか違和感がありました」

 
○「女子校出身から見ててわかるのね、共学でずっと男の目を意識してきてるのが。それ面白い」

 
●「男子の中にいて、男の目を内面化してしまうのがよくないと思うんですよね。ずっと共学だと、女子はどうしてもそうなりがちなんじゃないか。今になって、私はいい環境にいたんだなあって思います。だから別学の方がいいと思う」

 
○「ふーむ!(なんか説得されたような気がする)」
 
 


もちろん女子校に通う女子にも、色々いると思う。私の高校は市立の共学だったが、すぐ側に私立の女子校があり、どちらかというと彼女たちの方が、いわゆる「女子力」が高かった。当時ルーズソックス全盛だったのだが、その女子校ではルーズが禁止されており、最寄りの地下鉄駅で一斉に靴下を履き替え髪を巻き、繁華街へと消えていく彼女たちに、いつも圧倒されていたもんだ。
 
 
そして共学っ子の私が、モンナンカールの彼女たちに共感できないかというと、全然そんなことはない。私だって大人の階段登り始めた、それなりに多感な思春期を送った。しかし『十代の時期に、異性の目を意識しないで自由に発言して、何でも自分達でやるような自立心を育てていた』かというと、ちと自信がない。冒頭のミスドでの会話のように、その平坦な毎日を「恋すること」で塗り替えようと躍起になってはいなかったか。校内でカップルが成立すると学校中の噂になった。文化祭の準備は出会いの場だった。いつでも男子の目を気にするあまり、多感な時期をただのアホ・ロマンティックラバーとして過ごしてしまったかもしれない。「どうして私はこの年になっても、夏目漱石やら三島由紀夫をちゃんと読んでいないのだ?」たぶんそれは、片思いのしすぎとオリーブの読みすぎとクラブクアトロの行きすぎ(これ男子関係ない)だろう。まあ、それでも高校時代が自分の原点だと言えるくらい楽しかったので、後悔はないのだけど。
※ちなみに一応ことわっておくと、努力の甲斐もむなしく、全然モテなかった。
 
 
 
少女である。幼女ではない。しかし、女でもない。大人が許した自由しか持ち得ないが、大人がけして逃れることのできない「女」からは自由である。そんなパラダイスで作中の彼女たちは、少女を思う存分満喫している。メロンソーダの味のごとく変わり映えしない日々の中に、ほんの時折、大人になることへの希望や絶望が入り交じる。それら揺れ動く気持が、いつもより少し気怠い夜、眩しい朝を際立たせているように見える。しかし、映画「ヴァージン・スーサイズ」のように、その美しさの頂点で自殺してしまうような危うさは、彼女たちにはない。大人になることと、女になることは、時に複雑に絡み合っているから、はっきりとは分けられない。けれど共学でのボーイミーツガールの物語だった「ヴァージン〜」には、女になることで少女時代を終えなければならない悲しみ、シンデレラストーリーの続きを生きなくてはならない現実への、より強い絶望感が表現されていたように思う。
 
 
 
シンプルノットローファー最終話「パラダイス」。夏休み、「昔からの夢があるの」と、誰もいないプールに制服のまま、高々とジャンプし飛び込むマイカたち。共学だった私が人目をはばからず制服でプールに飛び込むなど、まずありえない(だって校庭でサッカー部がブラジル体操してるし)。いくら17の夏とはいえ、そんなことをした記憶はない。でも、確かに懐かしいのだ。水面にプカリと浮かんで見上げる、スーパーマリオ1-1みたいに真っ青な空と、顔の産毛をジリジリと焼いていく太陽。水を吸って重たい、紺のスカート。聞こえてきそうだ、鼓膜に響く自分の呼吸音が、いまにも。
 
 
 

 
私の中の少女がそれを覚えている。







 
 
 
 

シンプルノットローファー

シンプルノットローファー

 
 

「女」が邪魔をする

「女」が邪魔をする