kobeniの日記

仕事・育児・伏し目がちなメガネ男子などについて考えています

サブカルがメインカルチャーになるということー宝島の女性誌No.1へ

9月24日のこと。毎年恒例になっている、宝島社の広告が大手新聞各紙に掲載された。




全文はこちら宝島社 企業広告 2009年


常々、女性誌については個人的にいろいろ思うところがあった。せっかくなので、これを機会に、私にとっての女性誌について、多少センチメンタルに考えてみた。




■「女子とガール」が全員ターゲットであることのムリヤリ感


宝島の女性誌は最近、20代向けでは主に「ガール」、30代向けには「女子」という言葉を使っている。「モテ」とか「愛され」を標榜してきた(最近はそうでもないみたいだが)赤文字系女性誌—JJ(光文社)やcancam(小学館)とは一線を画していることを、分かりやすく伝えるためかもしれない。

先日読んだMSN産経の記事では、宝島社の女性誌が、編集会議を主としている「雑誌」があまり取り組んでこなかった「マーケティング」を取り入れた、と書いてあった。おそらくその中身とは、


・コンサバではなくストリート発っぽく見えるようなファッション雑誌というポジショニング
・ 特集の中身より付録の充実
・ 平綴じカタログ仕様で掲載点数重視
・ 半歩先のスタイリングではなく等身大


とかとかで、こんな工夫が当たっているのだろう。
いまや宝島の女性誌は部数が前年比(2009年当時)60%増、ジャンルによってはNo.1の売上をあげる雑誌もあるらしい。今やこの国のかなりの数の女性が手に取っていると思われる。



いま、宝島社の女性誌のターゲットは誰か?
それはおそらく「スイーツ以外の女性全員」だ。

もちろん、一部、ゴスロリとかナチュラル派とかブラック系とかage嬢とか、そういう人たちは除くかもしれない。でも基本的には、「モテ」より「女子」がしっくり来るね。という人は全員ターゲットとしているように見える。
その証拠に、本誌を読んでも、結局のところ「誰のための本なのか」が、ビミョウに分からない。

「最近、服買ってないわー」と思ってひさびさに買ったInRedをぱらぱらめくってみた。
とにかく掲載されているモノの点数がパネェ。ここは赤文字系から学んだんだろうか。服、靴、コスメ、外食、着回し、通販の黄金コースで、隙も冒険もなく、さらに読み物が一切ない。後ろの方にかろうじて読者コーナーがあって「辛酸ナメ子のお悩み相談室。気がついたら出世していました、どうしよう。ママ友がうざいです、どうしよう。」…小町ユーザーまで取り込む親切心。

これ、誰のための本なのだろう?誰のためでもあって、誰のためでもない。「あなた30代ですよね。そんで働いてますよね。あ、ママだっけ?まあ、これ着たら?」くらいのことしか言われてない感じがする。




最初に上記の広告を見た時には、作ったコピーライターの前田知巳さん・絵を描いた安野モヨコさんの世代や、物質万能主義な感じの絵柄、「男なんか捨てていってやるわ!」な雰囲気からも、アラフォーバブル世代(の中でもかなり極端な例)に向けている表現なのかと思った。でも冷静に考えると、宝島社で売れている雑誌は、spring、sweet、InRedだ。ターゲットの推定年齢は20代〜30代。宝島社の女性誌ラインナップに、40代以上向けの雑誌はない。※2009年当時
その日からtwitterで、この広告について「どう思う?」と感想を募ってみた。かなりフラットに「どう思う?」と質問したのだけど、女性たちの反応が一様に「こんな女性はどこにいるのだろう?」だった。特に自分より下の20代が気になって、彼女たちにも聞いてみたのだが、「この人は自分ではない」「肩ひじ張りすぎてて怖い」だった。

作り手がアラフォーであり、自分たちか下の世代をこう見ているとか、「女性は自由だ、もう男性を意識しない」とあえて今、まだ、言いたい女性が編集部にいるのだ。という可能性はある。ただ、今回多くの女性が抱いた「こんな女性はどこにいるのだろう?」という「人ごと感」は、この広告—つまり宝島社の女性誌が、どんな価値観でどんな生き方をしている女性も「女子、と言えば振り向くアナタたちのことよ」と、大括りに扱っていて、かつ彼女たちに対して、メッセージらしきものを特には持ってない証拠ではないかと思う。






■ライフスタイルは「買い方」であって「生き方」ではない




かつて宝島社の「キューティー」には、あの岡崎京子の「リバーズエッジ」や「うたかたの日々」が連載されていた。コーネリアス(元フリッパーズギター)の小山田くんとカヒミカリィが絡み合っていたり、ソニア・パークが、当時10代の吉川ひなのを蜷川美花ばりに強烈にスタイリングしたり、おしゃれスナップに毎号ヒロミックス(当時まだ素人)がいたり、そういうのがフツウに載っていた。私はど田舎に住んでいたので、毎号、非常に刺激を受けていた。並行してオリーブも読んでいたけど、どちらの雑誌にも時々、「こんなオトナになりたい」という、職業をとりあげた特集とか、リセエンヌ(海外の学生の暮らしを紹介する)特集とか、服だけではない【生き方】に多少は関係のあるような情報が載っていた、ような気がする。
非常に多感な時代にそういう経験をしているので、私はその後も長らく、雑誌の提案する「ライフスタイル」=生き方だと思っていた。ファッションと生き方というのは、ファッションが自己表現の一部である以上、密接に関係があるのだと思っていた。

ファッション誌が読めなくなってきたのは、やはりインターネットが盛り上がってきた頃かもしれない。キューティーを卒業してminiを読んだり、Ginzaを読んだりkunelを読んだり色々してみたけど、自分にしっくりくる雑誌が見つからないまま、もう何年も経っている気がする。それには、個人的なこと社会的なこと、おそらく両方の理由があると思う。ただそのうちの一つに、「どの雑誌も、私がどう生きればいいのかについて、全く触れてくれない」という気持ちがあったことは確かだ。







女性誌はもうずいぶん前に、「自分たちはモノを売っているんです」と開き直ったんだろうな。というか、最初からモノしか売ってなかったのかもな。カラス族とか呼ばれてた人達には、生き方にもそれなりに共通した価値観があるのかと思っていたけど、それは私の勘違いだったのかな。




■キューティとオリーブの呪いが解けない



上記ひとつめの記事で、どうしても一つだけひっかかるところがあった。



【雑誌を定期的に買うというより読みたいときに買う傾向が強まる中、読者に近い目線で作られている雑誌が売れている】

という風に書いてある。これは本当に、インターネットの登場による情報の氾濫など、社会的な要因だけが原因なのだろうか?

少なくとも私が女性誌を買わなくなった理由は単純で、「毎月読みたいと思うほど面白くなくなったから」だ。ファッションと生き方が結びついていて、かつ創り手が「手が届きそうで届かない憧れ感」を演出して読み手の半歩先を行っている、そんな雑誌が好きだったのに、見つからないからだ。ほとんど全ての女性誌が、自分に向けて創られてないと感じているし、服靴カバンコスメ通販外食が、毎月変わらず載っているラインナップに、ハズレはないのかもしれないが、私にとっては、心を揺さぶられるアタリもない。




これだけ雑誌が不況な中で、売上を上げ続けることは凄いと思う。半歩先を行こうとして、「パーティーなんか誰が行くんだよ」みたいな、10歩ななめ上を行ってしまってる女性誌もある気がする。それなら、「徹底して読者に近い目線」の方が、ずっとずっとマシなのかもしれない。



ただ、サブカルチャーがメインカルチャーになったことで、離れていく人間もいるのだ。そもそも、みんなが、みんなと同じ女子になりたくて、同じ生き方をしたい訳じゃない。

「あの人みたいになりたい」とか、「ああいう生き方カッコいい」とか。「今月の●●見た?」とか、そういうのを同世代の友達とできないっていうのは、今さらながら寂しい。そういうとこ女子女子してるよなあ、私。って思うが。
企業の「目的」っていうのは「売れること」じゃないと思うから、いまの宝島が、宝島がずっと目指してきた姿なら、これはこれで良いと思うんだけど。ノンノではなくキューティを読んでた私としては、どうもセンチメンタルにならざるを得ないなあ。やっぱり。










最後に、きょうtwitterで拾った名言を載せて、遠い目するのは終わりにします。思い出が美しいのは過去だから。






「売れてるものが良いものだったら 世界一うまいラーメンはカップラーメンだ 」
by甲本ヒロトブルーハーツ