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kobeniの日記

仕事・育児・伏し目がちなメガネ男子などについて考えています

「誰に」、「何を」、「どう伝えるのか」。


こんばんはkobeniです。from Tokyoです。
私は、きょうも自宅待機をしていました。
家の近所の桜のつぼみが、かなりパンパンというか、
もうすぐ咲くぞ…!というような、気合いに満ちた感じになっていたので、
開花宣言もうすぐか?とか思っています。




さて。
昨今、「広告」のお仕事というのは、非常に地味な存在になっていて、
成長めざましいITベンチャーのお仕事なんかに比べると、
なんていうか「ちょっとダサい」みたいな(笑)存在になっていますよね。


そんなんなのですが、私は、いちおう広告業界の端っこで、広告の仕事を10年以上やってきました。ブログの記事を書くときも、そこで教わってきたことに、かなり助けられつつ、やっています。


広告業界の人間が、新人の頃から、繰り返し、ひたすら叩き込まれることがあります。
それは、広告をつくる、つまり、誰かに情報を伝える(主には、「これを買ってください」ということを伝える)時に



「誰に」「何を」「どう伝えるのか」
さらに「それを言うことによって、相手をどういう気持ちにさせたいのか」
ということを、正確に考える。ということです。


よく、「広告って、センスで作っているんでしょ?」と言われますが
それは大きな間違いで、
上記のような点からすると、かなり論理的に、そして、最終的には「人間力」とでも言えるような、イマジネーションを使って、表現をするものだと思います。


いま、この国は混乱した状況の中で
ものすごい量の情報が、TVやwebに流れていると思います。
さまざまな理由で、平時とは違うため、皆が情報に触れすぎてしまっている。
そんな状態だと思います。


そこで、ここ数日、各種報道を観ていて、感じるのですが
この「誰に」「何を」「どう伝えるか」という、メッセージの基本を、プロの彼らでも、かなり意識できてない(簡単に言えば、マスコミの人達もテンパっている)と思います。
いま、この国では、その人の居場所や、置かれている状況によって、ほしい情報、伝わってきてほしいメッセージというのは、かなり異なると思います。
それは全国放送で言う必要があるのか?都心の新聞に載せる必要があるのか?この情報「のみ」を伝えることで、いったい、誰にどう思って、どう行動してもらいたいのか?…というような、メッセージの「内容」、「順番」、そして「言い方」みたいなものの扱い方が、ちょっと雑かもなあ、と感じています。




例えば、「文字」の話です。
この数日で、あまりに過激な「文字」を、我々は目にしすぎています。
そういう過激な文字のほとんどは、「平凡な日常」がある前提で、「多少の誇張を含む、ちいさな刺激」として、必要とされているものです。
「最悪」「深刻」「悲惨」といった文字を使う時、いま一度、本当にその言い方が適切な表現なのか、もうちょっと、考えてほしいなあ…
という風に、思います。




…と、そのような、マスコミ批判こそ、「この場所で」繰り広げることには、あまり意味がありません。
彼らはきっと、東京のTV局や編集部で、繰り返される余震の中で、緊張した状態で、寝ずに報道を続けています。彼らもまた、平時とは違うのです。
そんな中、このブログを彼らが目にすることは…まず、ないでしょう!




どちらかというと、ここからの話が、本題と言えるかもしれません。
「誰に」「何を」「どう伝えるのか」
さらに「それを言うことによって、相手をどういう気持ちにさせたいのか」を、
考えて発信する。ということを
いま、プロ集団である「マスコミ」ですら、できていないのだから
しろうとである「個人」は言わずもがな、です。


私たち個人は今、twitterやブログで、「思ったことを、思った瞬間に」、発言できる状態にある。その部分だけは、良くも悪くも、平時と同じなんだな。
私はここ数日、そういう風に、webを眺めています。


今のような、人々の気分が、多かれ少なかれ、ナーバスになっている時には、平時より少し多めに、
「誰に」「何を」「どう伝えるのか」
さらに「それを言うことによって、相手をどういう気持ちにさせたいのか」
ということを、一呼吸おいて考えてから、発信すると良いのかもしれません。


もちろん、あまり考えこまずに、気持ちのままに発信したり、RTしたりできる点は、twitterやブログの良いところでもあります。そこでしか、ネガティブな気持ちや、混乱した気持ちを述べることができない場合、むしろ、述べた方がいい、という場合もあるでしょう。


誰かの行動を、たしなめるためにこの文章を書いているわけでは、ありません。ただ、「こういう状態なんだな」と、一歩引いて見ることが、皆さんの、なにかの一助になれば。と思って、書いています。




「誰に」「何を」「どう伝えるか」。それを言うことで、「どう思ってもらいたいのか」。


もしかすると今は、情報を「受け取る」側も、こういった想像力を、いつにも増して、働かせると良いのかもしれません。そうすれば、気持ちを落ち着かせることのできるシーンも、あるかもしれませんね。


そんな風にして、誰かのためを想って、考えた上で書かれたメッセージは
きっと、目指された目的どおりに、伝わっていくと思います。





PS

今日は、珍しく広告の話を書いたのですが
長きにわたり広告業界をリードされてきた、糸井重里さんが
ここ数日、「きょうのダーリン」で書かれている文章が、とても良いので
皆さんにもお伝えしておきたいと思います。

具体的な専門家の見解でも、ジャーナリストの事実報道とも違うのですが、
「心持ち(こころもち)」というようなことが、書かれています。
メタ視点でも、回顧でもなく、「いま」の、「心持ち」です。
私たちが、必要としているものの一つではないでしょうか。

考え抜かれた上でのポジティブ、とも言える文章に、
最近の私は、毎日、励まされています。




 そういう、なんにつけても素人のぼくが、
 よく『光の射す方向を見よう』と言い続けているのは、
 他に方法があると思えないからです。
 『希望はない』『あれもこれもまちがっている』
 ということは、いくらでも言えると思います。
 正直に言って、塀によりかかったらそのまま倒れた、
 なんて感じのことだって、けっこうありますからね。


3/18「今日のダーリン」より。トップページで、毎日更新されています。
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