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kobeniの日記

仕事・育児・伏し目がちなメガネ男子などについて考えています

ブログをお引っ越ししました/「個人的には」という言い回し


こんにちは、kobeniです。はてなダイアリーでブログを始めて、そろそろ4年目になりますが、はてなブログにお引っ越しをしました。ダイアリーにもまだアクセスできる状態ですが、過去ログもこちらに移動しました。今後はこちらで書いていきますので、どうぞよろしくお願いします!(今すぐサイドバーの「読者になる」ボタンを押しましょう…押すのです……)
ヘッダや記事体裁のデザインは、またもbandicootさんにお願いしてしまいました。かわいいし読みやすいから、PCで読んでほしい!ヘッダは時々、着せ替えしたりする予定です、うふふ。


毎年、年末にブログを振り返ると、「更新頻度が低すぎるorz」と落ち込むのですが、今年は、過去ログもたまってきたことだし、自力で薄い本でも出したいなぁ…と夢想しています。はてなブログは過去ログを辿りにくい(なぜ「記事一覧ページ」がなくなってしまったんだろう)ので、余計にそんな風に思います。自力薄い本発行について、なにかアドバイスとかリクエスト(?)とかあれば、お気軽にブクマやTwitterのメンションでください。新しい記事とかも載せたいなあ。

 

 

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 (特に深い意味はありませんが猫が見ています)


さて、ブログのお引っ越し告知だけでは退屈なので、もうひとつ小話でも。

最近、Twitterなどで発言する時に、しょっちゅう「個人的には」とつけて書いてるなあ、私…と気になっていました。なぜこんなに「個人的には」を多用してしまうのか?ちょっと考えてみたくなりました。
Twitter上で「個人的には」で検索すると、たくさんツイートが出てきます(自分のや友達のも含まれていて、ちょっと笑ってしまいました)
どういう時に使われているかというと、例えば…

● 他が好きという人もいるだろうが、自分はこれが好き(別の好みに対する配慮)
● いろんな意見があるだろうが、自分はこう思う(別の意見に対する配慮)
● 他の人は違う思いを抱いているかもしれないが、自分はこう思う(関係者・組織・団体・ファンなどなんらか所属に共通点を持った他者に対する配慮)


などでしょうか。

自分以外の人の、異なる好み・感想や意見に対して、「あくまで他者を否定するわけではないが、自分はこう思う」と述べたい時に使われているように思います。「押しつけてるわけではありませんからね、これが全体の総意・結論ではないですよ」といったニュアンスでしょうか。「多数派の意見に比べ、私のはちょっと変である事は自覚している」みたいなニュアンスもあるかも。
自分の好み・感想や意見を述べたいけれど、それによって、「違った人を傷つけることがあってはよくない」…という配慮と取れます。あるいは「違っているがために、私の発言を見てムッとした人や傷ついた人から、無用な反論をもらいたくないのです」という予防線、とも言えるかもしれませんね。意見が割れやすいナイーブな問題ほど、婉曲表現として使いたくなります。

私の場合、リアルで会話する時に、「個人的には」なんて言い回しを多用していたという記憶がなく(普通に「私は●●が好き、●●だと思う」と言っていたような気がする)、どう考えてもブログやTwitter上に何かを書く上で使い始めたし、「個人的には」を使う時はそこがオンラインであるから、ということを強く意識しているような気がします。まあ、それだけかつては厚顔無恥だった、とも言えるのですが。

ブログで何か文章を書く時も「〜です」「〜だ」と言いきるのではなく「〜だと思います」と書きたい時が頻繁にあります。私のブログは、エッセイ的な文章が多く、社説のように論じて説得したい記事が稀だからでしょうか。「〜と思います」というのは、せいぜい私の主観であって根拠は薄いけどね、ということを意図している気がします。
(私はあまり論文を書いたことがないのですが、論文を書く時などは「思う」や「思います」はあまり使用してはいけないのではないでしょうか?イメージですが論文として文章を展開していく時には、主張を断定的に述べて、その論拠を提示していく形なのかなと。ジャンルにも依るのかな?)

主観に反論するのは難しいことです。だって、意見は色々あっていいし、好みも、もちろん色々あっていいはずだから。本来すべての嗜好や主張は「個人的なもの」であるはずなんですよね。ただ、つけないとなんだか声高に言っているように見えたり、断定的に述べている・押し付けているように見えるのか?それがイヤでつい「個人的には」をつけるのでしょうか。
ツイートという、140文字制限があるこそ、「ちょっと思った」程度のことを書きたくなる。そこまで深く考えて論拠を長々と述べるつもりもない。そこで、予防線を張りたくなるのかもしれません。
強く球を投げればそれだけ、言葉が届く時のインパクトも強いわけですが、そうなると相手も、受けたインパクトと同じくらいの強さで反論を返してくる可能性がありますからね。ちょっと、オブラートに包みたくなりますよね。

SNSでみんな、何かしら書きこみに反論されたり、自分とはまったく異なる考えを目にする機会が増え、他者の存在を強く意識するようになった結果かもしれません。私もブログで記事を書く時は、数パターン「これを読んだらこのように腹が立つ人や悲しむ人がいるかもしれない」と想像してます。けれど、想像したからといって書くのを止めることはありません。当然、共感したり発見したり、「よく言ってくれた」と思ってくれる人もいる、と信じて発言しているからです。

…しかし、一方で、最近のSNSは、みんなひと通り「無用なぶつかりあい」を経験した後だからか、似た人同士集まるツールになってきているような気がします。もはや「個人的には」をつけずに発言しても、よっぽどの有名人でない限り、真っ向からの反論はそんなに来ないのではないか?昔に比べ、勇気を出してハキハキ発言しても、あまり反論が来なくなってしまって、ちょっと拍子抜けすることもあります。


文章において、予防線を張りすぎると主張が不明瞭になりかねないので、もう少し「個人的には」を減らしてみようかなあ。なんて思っています。まあ、おそらく今後も使ってしまうでしょうけどね、個人的には。