kobeniの日記

仕事・育児・伏し目がちなメガネ男子などについて考えています

刹那、そして永遠のスーパー

 

小沢健二の「さよならなんて云えないよ」の歌詞に、「本当はわかってる 二度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れてゆくと」という一節がある。この曲自体は、北風が冷たい季節に真っ青な空の下、大好きな友人や恋人たちと海に続く道をドライブするという、幸せに満ちたものだ。けれど歌詞には「静かに心は離れてゆく」(それぞれの旅立ちが近いという意味かもしれないし、愛もいつか終わるという意味かもしれないし、忘れてしまうという意味かもしれないし…)という、悲しい予感があえて織り込まれている。小沢健二の曲はそういう風に、いつも生と死の匂いがする。生の裏にべったりと死がくっついているというか、表裏一体で切り離せない形で提示されるというか。いずれ終わるからこそこの瞬間が奇跡に思える、一瞬の花火のようなものを目に焼きつけておきたい、という気持ちに満ち満ちている。私は彼の曲のそういうところが昔から好きだった。

いつからか、どんな楽しい時間を過ごしていても、いや、楽しい時間を過ごしているからこそ、「こんな風に思えるのは今だけなんだろうな」とか、「いずれ私は今の気持ちを忘れてしまうんだろうな」ということをほぼ反射的に感じるようになってしまった。癖(くせ)、みたいなものである。子育てをしていると、その思いはより強くなる。産まれたばかりの子供たちは、おそらくこの世界の何より誰より生の真っただ中にいる。側にいると、「ああ、全身新しい細胞に包まれているな」と感じる。彼らが死を知らない、その中に死という概念がまだ明確に存在しないせいもあるかもしれない。起きている時も寝ている時も全力で生きているように見える。彼らの生命がまぶしすぎるからか、私は「この人もいずれ私の元を去って行くんだな」とか、「一年前のこの子がどんなだったか、もう正確に思い出せないな」ということを、いつもいつも思ってしまう。それだけ「今」が輝いているんだ、という風に考えることもできるのだけれど。

 


儚さを感じるものは色々あって、たとえば女同士の友情とか。夫とはいずれ死別したり、子供たちも自立していくから、やっぱり最後は友達だ。というような話はその通りだと思う。けれど女同士の場合、人生の中でくっついたり離れたりが頻繁で、その予感が常にあるせいか、やはりなんとなく切ない。特に10代の頃というのは、いつも別れの予感の中でバカ騒ぎをしていたような気がする。離れたくないけれど束縛はできない、というようなことを、どこかで感じていたのかもしれない。

 


そろそろ蕾がふくらむ頃になるけれど、桜も儚いものの筆頭だ。よく、「花は、いずれ枯れるから美しい」なんて言うが、本当にそうなのだろうか?確かにアートフラワーや造花って、ずっと飾ってあってもなぜか存在感が消えていく感じがある。病院なんかによくあるけれど、初めて訪れた時に「キレイな花だな」と思って、しばらく経って再訪して「まだ咲いてる。なんだ、造花か」と思った瞬間から、もうその花の存在を意識すらしなくなる…ようなところがある。

桜は、散り時まで本当に綺麗だ。もし桜が年中咲きっぱなしの花だったら、日本でここまで愛されなかったのではないだろうか。おそらく景色の中で、だんだんと存在感が消えてしまうだろう。日本人は、桜が咲いている期間の短さを身に沁みて知っている。あんなに豪華に咲くのに、あっという間に散ってしまい、そしてまた一年も待たなければならないのだ。桜の季節は一日くらい、お花見のための国民的休暇があってもいいのではないか、と思うくらいだ。

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一方で、「まるで永遠」と錯覚してしまうように演出された場所、というのも素晴らしいと思うことがある。たとえばスーパー。辛いことや悲しいことがあると、人は「早く日常に戻りたい」と思うものだけれど、その「日常」の最たるものがスーパーだ、と常々思っている。今日も昨日と同じように新鮮な食材が並び、知っているような知らないような他人がわさわさホクホクと買い物をしている。そして極めつけはあの独特の音楽。スーパー独自のテーマ曲もそうだし、ヒット曲をサックスでアレンジした謎のムードミュージックなど、「これは昨日も今日も明日も明後日も十年後も百年後もずっとかかっているに違いない」という安心感を与えてくれる。日常ってすばらしい。スーパーこそ遺跡にすべきだ。そうすると街中遺跡だらけになっちゃって大変か。




忘れるとか、別れるとか、そういったことの予感は、別に悲しいものでも虚しいものでもないと思っている。それは静かに覚悟を迫る類であって、繰り返しになるが、そういった想いが逆に「今」の美しさ、素晴らしさを引き立てる。というだけのことだ。
一度きりの人生だし、思いっきり「今」を生きていたいのはもちろんだけど、どこかのタイミングから、ひたすら「思い出」の中に生きるのもいいかもな、なんて思っている。あの時見た景色は綺麗だったな、あの人と食べたご飯が美味しかったな、あの頃が私の人生のハイライトだったな……。
とにかく忘れっぽい私なので、撮りっぱなしでデータのままになっている写真を本にしたりなど、「今」を形にする作業も、ヒマを見つけてやらなくちゃな。と思っている。こうしてブログに文章を書くのも、今の気持ちを忘れたくないからかもしれませんね。