kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

おふくろの○○

お正月休みに、録画してあったドラマ「ゴーイングマイホーム」をまとめて観ました。去年の後半はなにかとバタバタしており、5話あたりからリアルタイムで観られなかったので、休み中に最終回までまとめて観ました。
ドラマの中に、郷土料理の「すいとん汁」が出てきます。それを見て「そういえば小さい頃、お母さんがすいとん汁をつくってくれたことあったなー」と思い出しました。
ドラマの中に出てきたすいとんは、ちいさくてまんまるくて美味しそうだったのだけれど、私の記憶にあるすいとんは、なんだかもっと巨大なかたまりで、これすいとんじゃなくて鬼まんじゅうじゃないの、という感じのものでした。しかも「あんまり美味しくなかったなー」という。
けれど、それはけして嫌な思い出ではなく、やはり懐かしい「おふくろの味」のひとつなのでした。


私の母は料理が苦手な人で、炊事に関して「ホントはやりたくないけど仕方なくやってる」感を常に漂わせていました。味噌汁のお腕から、だしパックがまるごと出てきたこともあったし、出された里芋が煮えておらず口の中が「イタイイタイ!」となったこともありました。そのくせ彼女は自然食品や流行り物の調理器具が好きで、なぜか我が家はご飯がデフォルト「胚芽米」だったのでした。近所の幼なじみの家で白いご飯(ふつうの白米です)を食べたら、すごく美味しくてビックリしたものです。実家には一度しか使われていないであろう、パン焼き器や栗原はるみグッズ的なものが少なからずありました。そういえば、「ゴーイングマイホーム」で山口智子さんが演じた沙江も私と似たような境遇で、母親の料理が下手なのが辛く、その反動で自分はフードスタイリストになったのだ。と述べるエピソードがありました。私はそこまで反面教師にしてはいないものの、やっぱり料理はもう少し上手くなりたいし、上手い方がいいだろう、とはいつも思っています。
子供との生活と料理はとても縁が深いものです。食事は毎日のことだし、食卓は家族がコミュニケーションを取るのに最も適した場だと言えます。だから、「おふくろの味」があるに越したことはないし、料理が好きで、子供に美味しくつくってあげられるのはとっても良いことだと思っています。
一方で、私がすいとんのことを懐かしく思い出すように、たとえそんなに美味しくなかったとしても、それはそれでひとつの思い出になるものです。そして、子供に残す「おふくろの○○」というのは、必ずしも料理でなくてもいい、という風にも思います。
うちの母の場合、料理はからっきしでしたが、「この家、本の雪崩がおきたら死ぬな」というくらい読書をする(そしてあまりキチンとしまわない)人で、私のための絵本や童話全集もたくさん揃っていました。また、四季の行事ごとをキチンとやってくれた思い出があります。七草をちゃんと食べるとか、ゆず湯・しょうぶ湯に入るとか、そういうことです。また、実家ではよくリビングや玄関に花を飾っており、私もその影響で花を飾る習慣ができました。




もうボロくなっているのですが、子供の頃読んでもらってた絵本を今は息子に読んでます


「おふくろの○○」は、もっともっと些細なことでもいいんだと思います。「剥きにくい蜜柑をひたすら剥いてくれた」とか、「夜中に『うさぎさんの大冒険』を即興で話してくれた」とか、そういうのでいいんです。考えてみれば、お母さんにも一人ひとり個性があるわけで、その人らしい「おふくろの○○」を子供にしてあげるのが一番ですよね。「おふくろの熱唱」でも「おふくろのまどマギ論」でも「おふくろのiPhoneアプリ」でも、なんでもいいんじゃないかなと思います。
料理が嫌いな母は、その時間があるなら本を読んでいたい、とひたすら読書していたのですが、料理の時間をあまり割いてもらえなかったから、私が不幸だったかというと、必ずしもそうでもない気もします。彼女が本で蓄えた知識は、私に「気の利いた人生のアドバイスをする」という形で返ってきました。私は母に、「早く結婚して孫の顔を見せて」的な、ある種大人のテンプレっぽい小言を言われた経験は一度もなく、問いかければもうちょっと変化球が飛んでくることが多かったです。色々と理屈っぽく考えがちな思春期に、彼女に議論をふっかけても必ず負けるので、こちらもふっかけがいがありました。


その人(父、母)の何が、結果的に子供にとって、良き「おふくろの○○」になるのかは、意外と後になってみないと、わかんないものなんですねえ。


ただ、当たり前かもしれませんが、おふくろの側としても、「子供が喜んでいるのかどうか」はいちおう、観察しなければなりません。子供が「趣味じゃない」と言っているのに、やたら自分の好きなタイプの洋服をつくって着せる、とか。下手すると「ニシンのパイ」的な悲劇を生むことになってしまいます。いくら自分が好きだからといって、毎度オカンアートみたいなものを自己満足的に渡されては、子供もイヤになってしまうのではないか…と思います。

まあでも、子供がまたおふくろぐらいの年になってくると、ちょっとくらいダサくても、親がくれた服を着て会いに行く。くらいのことはできるようになりますけどね。親心を着る、という感じでね。


「ゴーイングマイホーム」で、プロの料理人である沙江の料理が「おふくろの味」になった、つまり沙江が「おふくろの味」のなんたるかを悟ったのは、ドラマも終盤の頃だった…と思います(沙江には一人娘がいます)。ベタな話ですが、「ホーム」をつくるのも、「おふくろの○○」をつくるのも、形式や体裁ではなく、気持ちがどこへどのように向かうかが大事。ということなのでしょう。それにしても(低すぎる視聴率とは裏腹に)色々と心に残る台詞のある良いドラマだったので、未見の方はぜひ、今後DVDなどで観てみてください。