kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

あるのに、見えない家事育児 〜「家事労働ハラスメント」を読みました〜


ワークライフバランス・カフェの活動で知り合った方に薦めて頂いて、「家事労働ハラスメント」という本を読みました。この本は、本来は癒しの営みであるはずの家事(育児、介護等)を、「単純労働」と咎めたり、あるいは「母親にしかできない神聖な仕事」などと極端に持ち上げることで、その実態を労務管理や社会政策において無いものとし、不当な分配がされた結果、生きづらさが生まれたり、社会にひずみが生じている…ということが書かれています。
「ひずみ」について書かれているだけあって、読み進めるのが辛い系の本ではありますが、とても勉強になりました。いくつか印象に残った&考えたことを、煩雑ではありますが共有したいと思います。引用部分は青の斜体で記します。
(仕事と育児の両立をめぐる問題について書きますので、そもそも共働き自体に関心がないとか、そういう選択自体に嫌悪感がある方、私はしんどい家事育児を一人で切り抜けてきたので他の人も必ずそうあるべき的な方などは、そっ閉じでお願いいたします←トピシュさん風)


■ 家事や育児や介護を「やりたくない」んじゃない、「偏ると辛い」んだ


この本の良いところはまず、家事育児介護などの、主に家庭内で行われる労働を、「本来は癒しの営みであったはず」という風に定義してくれているところです。たとえば「孤育て」とか「介護疲れによる虐待」とか、「産後クライシス」もそうかもしれません。昨今、家事育児介護労働の負担感の実態を表現する単語がいろいろ出てきていますよね。私は、隠されているよりは明るみに出てきた方がいいと思っているのですが、一方でこれらにまつわる話を聞いて、「えっ、家庭を持つってそんなに大変なの…」と、ひたすらどん引きしている若者もいるんじゃないか?と、ちょっと危惧してました。
家事育児介護って、それ自体が「ただただしんどい」ということじゃなくて、「特定の人に過度に偏るとしんどい」ということなんですよ。本来は家事労働って、誰しも生きるために必要な営みだし、喜びでもあると思うんです。けれどその実態が「正しく測られない」ことによって「適正に分配されない」と、喜びではなく苦痛になりうる。ということなんだと思います。
「単純労働(だから大した労力ではない)」と咎めるのも、「母親でなければできない神聖な仕事(だから母親以外の人が担うことは不可能)」と極端に持ち上げるのも、「正しく測らない」という点においては同じことですよね。この指摘は非常に目からうろこでしたし、皆さんに共有したいなと思った点でした。
以前から、仕事と育児の両立がしんどい、という話に対して「日本でもベビーシッターに頼めるようになるといいよねー」というような反応を見るにつけ、なんかちょっと違うんだよね…別に私は、やりたくないから誰かに丸投げしたいわけじゃないんだよ…とモヤモヤしていたので、この「偏よるとしんどいんだ」という指摘は、非常に理解の助けになりました(ベビーシッターに頼むこと自体をNOだと言っているわけではありませんので、あしからず)。


■  家事労働を「個人の努力」で見えなくしつづけることの限界

「女性活用」が、声高に叫ばれるようになりました。つまりは女性も家庭外で働いた方がいいと。では、これまで主に女性が担っていた家事労働を、誰がやるのか。そこで「男性の育児参加」という考え方は、ここ数年でかなり浸透してきたと思います。その現状についての下記のような指摘が、印象に残りました。


労働時間の短縮が進まず、保育や介護サービスの整備も遅れ続ける中で、女性の労働力を引き出すために残るリソースは、夫の育児参加だ。(略)だが、政策要求も活発だった1980年代から90年代の男性の育児時間要求とは異なり、現代の「イクメン」は、個人の甲斐性と能力頼みだ。(第四章 P.143)

たとえば、夫が「早く帰宅して、働く妻の負担を軽減したい」と、イクメンを目指そうとした時に、その方法論は、現状だと「自力で仕事のあり方を見直し、早く帰宅できるよう変える」とか「少しでもブラックでない企業へ転職する」とかで、言ってみれば「個人の努力」なのですよね。
妻としては、まず個人の努力に期待したい。それは分かる。理解ある企業の努力も、してもらえるのは喜ばしいことだと思う。でも、そもそもサービス残業の規制とか、労働者が働く時間をフレキシブルに選べる仕組みとか、休息時間(次の労働までの間を連続●時間空けなければならないという制度)とか、そういった「政策」をナシに全員イクメンになれ、早く帰宅して育児を担えというのは、実は無理があるのではないかと思いました。できる人や職場はできるけど、できない人や職場は永遠にできないんじゃないか。それでいいんだろうか…という。


契約社員や派遣社員という非正規のフルタイム労働者の増加からもわかるように、日本の正社員は、実はフルタイムで働けることが条件ではない。会社が必要なときに何時間でも働けるという高い拘束を受け入れる人たちが『正社員』だ。(第一章 P.33)


↑これもなんだか、知ってた…知ってたけどあらためて言われると「がーん」という衝撃がありますね。親になること、「イクメン」になることに、気持ちがついてこない人もいると思うし、そういう点の方が対処は分かりやすい。けど、気持ちはあっても帰れない人は辛いだろうなと最近、思います。

妻の側も、保育所はだんだん整いつつあるけれど、夫が不在がちで、祖父母にも頼れないという人はざらに居て(うちもそうだ)、そういう場合に家事育児負担はどこにも分担されない。妻が、仕事に加えて「個人の努力」でなんとかすることになっちゃう。(ルンバや食洗機に分担…っていう意見もありそうだけど、そいつらのボタンを押すのは誰!てことになるからね)
「個人の努力」で、家事育児を自分の手元から、なかったことにできる妻というのは、高い給与が保証された、責任のある立場につき、子育てを保育園+シッターあるいは祖父母、専業の夫などに一任できる、一部のワーキングマザーだけですよね。でも最近は、普通の妻、母親が、家計を担うために仕事に出たいと考えているんですよね…。政府も、普通の女性を活用したいんだと思うんですけどね。


働く裏側には、必ず、家事や育児、介護の労働がついてくる。そうした等身大の制度設計の重要性を直視し、労働時間設計、税制、少子化対策、「女性の活躍」促進策といったあらゆる政策の中に組み込んでいくことができるかどうか。私たちのこれからは、家事労働という、一件地味な営みをめぐる公正な分配政策、家事労働ハラスメントの乗り越えにかかっている。(終章 P.232)

この本の言いたいことは、これに尽きるのかなと思います。なんだか、仕事とプライベートを指す「オンとオフ」という言葉のおかしみを考えてしまいますね。ある意味、「オンとオフ」は「オフとオン」だろ、みたいな。


■ 他の国もいろいろ試行錯誤してる

「じゃあどうすればいいんだ!」という気持ちになってきますが、他の国はどうしたのか。そもそも「家事労働の再分配」は、1980年代からの産業構造の激変の中で、多くの国が直面してきた問題のようです。日本と同じように専業主婦大国だったが、パート正社員(日本のパートとは色々と概念が違う)というような形を普及させて質の良い短時間労働を整備し、男性の家庭時間を確保し、男女両方の完全雇用を目指したオランダとか。育児や介護の公的サービスを増やし、女性もフルタイムで働いて納税し、それをまた公的サービスに帰して循環させるという方法をとったスウェーデンとか。他国でこの「家事労働の再分配」がどのように行われたか、という例もかなり詳しく載っています。「家族ごとにベビーシッターやナニー」というような形をとっている国もありますが、それはそれで難しさがあるよ、ということも書かれています。


そんなオランダから学べることは、まず、外で働くか家庭内だけで働くかを問わず、家事労働を担う人々を横の関係で結ぶネットワークを強めることだ。家事の担い手とされてきた女性が意思決定の場にほとんど参加してない日本では、仕事と家庭を両立できる労働時間が必要な人々がばらばらに切り離され、自分たちに必要なものを意識することさえまれだからだ。(終章 P.228)


「夫がひとりで世帯収入を稼いで、妻が家事育児介護を一手に引き受ける、そういうモデルケースしか許されない世の中はもう生きづらい。それをなんとかしたい」という人や組織は、いろんな方面にあるような気がします。私みたいに両立に悩んでいる人もそうだし、シングルマザー/ファーザーもそうだし、ワーキングプアなどの貧困問題に取り組んでいる人もそうかな。でもみんなバラバラに活動しているので、同じ方向に向かっていきたいのにまとまりがない、みたいなことはあるのかなと思いました。

 


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時にはこういう本を読んで「あれ!なんか今すごい生きづらいんだけど、なにこれ!やっぱこれ社会問題だよね!」というような、マクロ視点とでも言えるものを持つことは大事かなと思います。以前にブログに書いた「迷走する両立支援」もそうだったのですが、著者が「(あなたの生きづらさは)あなたのせいじゃない。なぜなら…」と言ってくれる本というのは、読み手は救われた気持ちになりますし、今すぐにどうこうできなくても、なぜ大変なのか?という現状の理解にはなります。
そして、つらつらと厳しい現実を書いてきましたが、なんとなく「いずれ良いバランスに落ち着くだろう」と思いました。この本のおかげで、ここからどういう過程を経て何が変われば、両立がうまくまわるようになるのか、なんとな〜く、イメージがついたからです。今は過渡期なので、渦中にいる人はしんどいかもしれないけど、だからこそ、一人ひとりの考えてることや言動に、けっこう影響力がある……意味がある!!時かなとも思いました。力強く言ってみた。

 

家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの (岩波新書)

家事労働ハラスメント――生きづらさの根にあるもの (岩波新書)

 

 



 

2月に、ワークライフバランス・カフェの交流会(というか基本はただのオフ会)があります。もし興味のある方がいたら、ぜひいらしてください。お疲れ気味のイクメンの方もぜひ、どうぞ。この本の感想なども、いろんな立場の方々と意見交換してみたいなと思います。

ワークライフバランス・カフェ「リアルcafe」〜参加者のみなさん・スタッフ交流会〜 : ATND