kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

大人の、みらい

 

ある日、とつぜん、パクチーが食べられるようになった。

 

それまではパクチーが本当に苦手で、「なんでこんなカメムシみたいな味のする物を食べる人がいるんだ、カメムシ食べたことないけど」と思っていた。私にとってパクチー=苦手な食べ物だったし、どうも万人受する食べ物ではないようなので、まあ仕方ないかと思っていた。初めて口にした時以来、おそらく10年くらい食べていなかった。

それがつい最近、とある飲み会で、薬味として出てきたパクチーをぐうぜん食べた。薬味だったのでちょっと油断していたのもある。切り刻まれていたのでパセリか何かと勘違いしていたものあった。ぐうぜん口に入ってきたそれは、薬味は薬味なのだが主役を食うぐらいの存在感で、「あれ……? なんか美味しいぞ??」と思ったのだった。どうもある種の「肉(や魚)」と一緒に食べると、臭みや脂っこさを消してくれてすごく美味しくなるようだ。その日から、とつぜん私はパクチニストになった。これまで敬遠気味だったアジア系料理の店にも、頻繁に足を運んで「パクチー増量」とか頼んでホクホクしている。こんなにパクチーが美味しいなら、たぶんカメムシも美味しいだろうな、カメムシ食べたことないけど。

 

 

ところで、さいきん、自分の体がもろに「中年」に近づいてきていると感じることがある。

若い頃はよく、顔ににきびができて悩んでいた。30を超えてから、にきびはできなくなったのだけど、40が近づくにつれて、いわゆる「しみ・しわ・たるみ」が私の顔にも現れてはじめていると気づいた。ママ友との間でも、「年齢化粧品って何を使えばいいんだろう」という会話になることがある。

ファンデーションをのせると、どうもほっぺの毛穴が目立つ。それで、ほお骨のあたりの皮膚を指で「きゅっ」と上げると、毛穴もしわも見えなくなる。あ、なるほど、これが「たるみ」か…! 悲しき物理の法則。

前日に呑んだお酒がなかなか抜けないし、風邪なども治りにくくなったような気がする。真夜中まで働いて、豚骨ラーメン食べて翌日を迎えても、体調も体重も平気だったころが懐かしい。

 

 

20代のころ、仕事のアポイントの合間に喫茶店で休憩することがあった。昼間の喫茶店の隣席で、延々しゃべっている「おばさん」たちの会話に聞き耳を立てると、たいてい病気の話か親戚の話(あるいは、病気の親戚の話)しかしていない。私は、いつもそれを冷ややかな気持ちで聴いていた。ロックじゃねえな。こんな話ばかりするおばさんにはなるまい。

だがしかし、私がさいきん友達と喫茶店で盛りあがった話題といえば、「30代で突如がんになって、妻と子供を残し亡くなった人がいるらしい」とか「もし義理の両親が倒れたら、介護の手はあるのか」などである。

 

Don’t trust over 30. 神よ私は年月を経て、どれだけ退屈な大人に成り下がってしまったのだろう。

 

 

 

体が老いていくということは、それだけで自己肯定感を下げるのではないか、と思うことがある。もう70近い父は、「歩いていると、人にどんどん追い抜かれるんだよね」とぼやいていた。街中で、周囲より歩くスピードが遅いというだけで、自分は周囲より「劣っている」と感じてしまう時があるんじゃないだろうか。

女性のタレントさんが、歳をとっただけで「劣化した」などと言われているのを聞くこともある。私は特段美人でもないので、劣化したところでそんなに人生に影響はないのだが、それでもやっぱり、若い女の子がボロボロのジーンズにすっぴんでも本当にきれいだなと感じる時、羨ましいなと思う。

 

誰もが平等に歳をとるのだし、それはけしてあらがえない、避けられないことなのに。

 

 

小学一年生の長男が時々、「ママはさー、もっと大人になったら何になるの?」と聞いてくる。今ですら何者かになった感は全然ないのだけど、これから先、なにかになれるのかな。歳をとることに対して、そういう期待を持ってもいいのだろうか? 仕事では相変わらず「成長しろ、成長しろ」と言われるけど、私って、まだ成長する余地あるのかな……?

 

 

もし、「歳をとったから、パクチーが食べられるようになった」のだとしたら、それは私にとって、とても嬉しいことだ。そういえばほかにも、山椒とかミョウガとか、ほろ苦い「薬味系」が、どれも美味しく感じるようになった。苦いお酒の代表格であるビールだって、美味しいと感じるようになったのは比較的最近のような気がする。

若い頃はわからなかった魅力が、わかるようになった物事がある。真っ先に思いつくのがお歳暮のハムだ。CMを見る度に「なんでハムなんか贈るの、いらんよ」とか思っていたが、ハムいますごく欲しい。日持ちするし、子どもも食べるし、自分もおつまみに食べたい。ちゃんとしたのを買うとけっこう高いので、なかなか自分では買わないし。ハムを贈る大人の嗜み、ちょっとわかってきたみたい。

あといわゆる「60年代の曲」みたいなやつ、最近はカッコ良く感じるようになった。(10代の頃は、単純に「ゆっくりだな〜!」と思っていたような気がする。いや、テンポが)素朴な音なのにカッコよい、というのはどういうことなのか。エバーグリーンな曲の魅力も、ちょっとわかってきたみたい。

それから、映画で涙を流したりするようになった。最近だとベイマックスでぼろぼろ泣いた。子ども向けのどストレートなメッセージが、胸に響くようになるなんて、まったくもってロックじゃない。けれどもこれこそ、世の中の酸いも甘いも知った大人になった証拠ではないのか。

 

 

 

 

人間の舌には、ある年齢にならないと開かない「味蕾」があるのだ、と聞いたことがある。その歳になってはじめて、「美味しい」と感じられるようになる、そういう「味」が存在する、ということらしい。私の舌にある味蕾が、ある日とつぜん、パクチーの刺激で目を覚ましたのだろうか。

 

歳をとると失うことばかり、だなんて寂しい。私は、まだまだ自分の中に、これから咲く蕾がたくさんあると思いたい。若い頃に戻りたい、と願ったって、どうせ叶わないのだから、少しでも未来に期待していたい。子どもの成長が見られるじゃないかって? そういうことじゃない。私は、私のことでワクワクしていたいのだ。

 

 

 

会社の先輩が、50歳のお誕生日に

「若い人たちは知らないかもしれないけど、人生は、40代、50代と、どんどん面白くなるんですよ」と言っていた。

そういうことを言ってくれる大人に、もっと会いたいなと思う。

未来の私は、そういう大人になれているだろうか。

 

 

 

 

 

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 書いてから気づいたんですけど、この記事で、ブログがちょうど100記事目になるようです。嬉しい!これからの未来の「kobeniの日記」もどうぞ宜しくお願いします。

 

 

 

 


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