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kobeniの日記

仕事・育児・伏し目がちなメガネ男子などについて考えています

宇多田ヒカルさんの「Fantôme」と、母のこと

 6年間の「人間活動」を終えて、戻ってきた宇多田ヒカルさんの新しいアルバム「Fantôme」を聴きました。私はもともと彼女の熱心なファン、というわけではないのですが、このアルバムに関しては、とても素晴らしいと思いましたし、強く心を揺さぶられました。

それは、「花束を君に」という曲だけでなく、他にも、明らかにお母様の死が影響を与えているなという曲があったためです。私は、2013年に母を亡くしており、曲のいくつかが「ほんとうによくわかる」と思いました。

もうひとつ共通点があり、母親の死と前後するようにお子さんが生まれていることです。母を看取る時に、私のお腹の中には次男がいました。宇多田さんは「SONGS」(NHKの歌番組、2016年9月放映)という番組で、「母の死後、もし子どもが産まれていなかったら、また歌おうという気になれなかったかもしれない」というような趣旨のことを言っていました。死と生の両方を一気に味わう時間というのはあまりにも濃密で、凡人の私ですら詩が書けそうだったのに、宇多田さんのような才能の持ち主だと、これは歌をつくるしかないな、という心持ちになったことでしょう。「歌」「音楽」「詩」というような、なにかしらの表現に昇華することで、感情を自分の心から切り離し、起きていることを少し客観的に見つめられるようになります。曲をつくることにも、そういう効果があったのではと思います。

 

あくまで私の解釈なので、勘違いも含まれるかもしれませんが、心に残ったいくつかの歌詞について、感想や、個人的な母との思い出などを書こうと思います。

 

 

「花束を君に」

 

朝ドラ「とと姉ちゃん」の主題歌だったので、ご存知の方も多い曲だと思います。「薄化粧」「花束を贈る」というのはそれぞれ、死化粧(亡くなったのが女性だと、葬儀屋さんとか病院の看護師さんがやってくれたりする)と、棺に入れるお花(葬儀場で位牌のまわりに飾ってあるお花は、最後に棺にめいっぱい入れるので)のことだと思います。つまりこれは、お葬式の日のことを歌った歌ですね。曲調が、静かだけど明るく、弦楽器が伴奏していたりもするので、セレモニー感があるというか、教会で聴くレクイエムみたいだなと思いました。

 

 毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く
 ただ楽しいことばかりだったら
 愛なんて知らずに済んだのにな

 

 抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に

 

自分のことばっかりな20代を終えて、ようやく親が老いてきていることや、職場に先輩より後輩の方が多い、などに気づくのが30代。そんな最中に母親を亡くして、「まだちっとも親孝行していないのに。してもらうばっかりで、私は母親のために何をしてあげられたんだろう……」当時の私は、そんなことばかり思っていました。

しかし、そうやって悲しみに暮れつつも赤ちゃんを育てていると、赤ちゃんに感じる気持ちは「いてくれるだけで嬉しい」だったりしました。私もこうして、母のことを「私がいるだけで幸せ」にしていた時期があったのだろう。赤ちゃんは、いつの時代も赤ちゃんだから、それは確信できました。「知らずに親孝行してたんだ」と、ちょっとだけ自分を許せたりしました。夜泣きがあったり授乳があったり、育児は毎日大変で、それでまた当時の母の苦労に思いを馳せたりする。でも…きっと、無条件に愛されていただろう。

なんとなくそんなことを、ここの歌詞から感じました。

 

一方で「どうしてこんなに早く逝ってしまうの。友達の親はまだ全然、元気なのに。私だって『おかあさん』に甘えたいような辛い時も、まだまだあるのに」という気持ちもありました。抱きしめてよ、という歌詞は明らかに娘の立場から言っています。

亡くなってしまうと、もう二度と、触ることができないので、「抱きしめる」でも「抱きしめられる」でも、どっちでもいいからしておけば良かったな。子どもの頃ならしていたんだけど。大人になると、手をつなぐことすらしなくなるもんな。今でもそれは、小さな後悔として残っています。

 

 世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ

 

ほんとうに笑顔が素敵なお母様だったんだろうなと思います。私の母は、闘病生活の終わりの頃は、どんどん笑わなくなっていきました。長電話して爆笑していた母の姿が懐かしいです。「イヒヒヒ」とか、変な笑い方していましたけどね。

 

 

 

「真夏の通り雨」

 

 

「花束を君に」は、ちょっと無理してでも笑顔で見送りたいのだ、というような曲なのですが、実際に葬儀の直後にそこまで気持ちに整理がつくかというと、けっこう難しい気がする。私は割と、むしゃくしゃした顔(?)で遺影を運んでいました。しかも、宇多田さんの場合は、家族がゆっくりと覚悟を決める時間もなく、とつぜん失ったという感じだったかもしれません。

だから、もしかして時系列でいうと、強い喪失感を感じるこの歌の方が、先につくられていたかもしれない、と思いました。「真夏の通り雨→花束を君に→道」の順番で。まあ、つくられた順番なんか、どうでもいいことなのですが。

 

 夢の途中で目を覚まし 瞼閉じても眠れない

 思い出たちがふいに私を 乱暴に掴んで離さない

 

恋人と別れてしばらくの間もそうかもしれませんが、「何を見てもあの人を思い出す」という時期がある。SONGSで彼女もそう言っていました。「見るもののすべてに母を見てしまう頃があった」と。たとえば「一度だけ待ち合わせしたベンチ」とか、「好物だった安いチョコレート」とか、そういうものを目にするだけでいちいち心をかき乱されてしまう。

私がいちばん辛かったのは「母の日」かもしれません。プレゼントを贈り忘れるとか、かろうじて贈ったとかでなく、「贈る相手がこの世にいなくなった」母の日は、初めての体験です。やっぱり、寂しかったですね。だから、仏壇みたいなものって必要なんだなと思いました。亡くなってても贈り物したい相手っているから。

時事ネタで他愛もない話ができるとか、そんなことが幸せなんだと知りました。今だったらきっと私、「真田丸」の話とかするんだろうと思います。大事な人と真田丸の話とか、しておいた方がいいですよ。皆さんも(?)。

「自由になる自由がある」という歌詞がありますが、ニコニコしたり、考えずにいたりすることに罪悪感を持つ日々ってあると思う。「早く、平穏な日常に戻りたい」と思う一方で、「日常に戻ったら、母のことを忘れてしまうんじゃないか。それは、可哀想なことなんじゃないか」とも思ってしまう。

大切な人の死をなかなか咀嚼できない、どうやって悲しみを癒したらいいのか、癒していいのかもわからない。そんな風に「自分で自分の気持ちの自由を縛る」時というのが、確かにあると思いました。

この曲がアルバムの中で影のような存在で、他の曲に光が見える。悲しい曲だけど、それでも聴いていると癒されてきます。

 

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「道」

 

この曲がアルバムの一曲目にあるのはとても象徴的で、力強さとか、彼女が生きていく上での覚悟を感じます。「真夏の通り雨」は、過去へ引き戻されるような心情を歌っているのに対し、この曲は未来のことを歌っています。

 

 消えない星が私の胸に輝き出す

 悲しい歌もいつか懐かしい歌になる

 

時間が経って、私もやっと、母が「いない」とはどういうことなのか、分かってきました。ありきたりな言葉ですが、「心の中にいる限り、その人は生きている」は本当のことなのだと思います。

母がいない世界に自分はピンピンして生きている、という事実に、最初は驚きと、ちょっとした恐怖(パラレルワールドに生きているような恐怖?)も感じましたが、一方で、子どもたちが日に日に大きくなっていく姿を見ると、「まあ、交代していくのは自然の摂理か」とも思えるようになりました。

 

 人生の岐路に立つ標識は

 在りゃせぬ

 

「物事には事実と解釈があるだけ」とはよく言いますが、誰かの死は単なる事実で、それをどう捉えて生きていくかは、遺された人次第です。この歌をつくった時点で宇多田さんは既に「母親の死に泣き暮らして後悔ばかりして立ち止まっている、そんなのは嫌だな」と思えていたのかもしれません。小さな赤ちゃんの、はじまったばかりの人生が、涙色ばかりに彩られていたら、さすがに悲しいですもんね。

赤ちゃんにはほとんど過去がなく、ただ未来だけがある。忘れていた「未来を楽しみにする気持ち」が、帰ってきたのかもしれません。

 

 私の心の中にあなたがいる

 いつ如何なる時も

 一人で歩まねばならぬ道でも

 あなたの声が聞こえる

 

「こんな時、母ならどうするかな」「なんて言うだろう」と、私は今もときどき思います。なにかをきっかけに母を思い出すのも、辛いことではなくなりました。ずっと考え続けていることだけが「忘れない」じゃない。「いる」ということは、目に見えるかどうか、はあまり関係がないんだ。ということも知りました。

心の中に、見える景色の一つひとつに、母の「気配(Fantôme)」を感じる。

自分が死んでからも、遠くにときどき光る星のように、子どもの心を守ることができるとしたら、それは親冥利に尽きるなあと思ったりします。まあ、私がそこまで、良いお母さんになれているか? という問題はありますけれど。

 

「真夏の通り雨」に「勝てぬ戦に息切らし」という歌詞があります。私も、母には一生敵わないとよく思います。彼女はいつも周囲に人が集まり、頼られていました。意志が強く、自分で自分の人生を切り開く力がある人でした。一方で、母は教員だったのですが、通信制の高校に、自らの希望で長く勤務していました。その方が子育てしやすかったのに加え、「通信制には本当にいろんな生徒がいる。止むを得ず、社会的に『弱い立場』に置かれてしまう人もたくさんいる場所だから」という理由を聞いたことがあります。だから母は、自分が強くても、弱い人、望んでいないのに弱い立場に置かれてしまった人の気持ちも、よくわかる人でした。そんな母に私は「お前は正論に過ぎる」とたしなめられたこともあります。

仕事人であることも、いち母親であることにも、誇りを持っていた母でした。母に反発して選んだような物事もたくさんあったのに、振り返ってみると、結局は母の真似をしているだけのような気もします。

 

 

確かにわかることは、宇多田さんにとってお母様はほんとうに偉大で、たくさんのものを彼女に教えてくれ、もはや「自分の一部」のような存在だということです。「もし同い年だったら、私たちはきっと仲良くなれただろう」そんな母親を持てたのはとても幸福なことだと思います。早くして亡くしてしまったとはいえ、宇多田さんとお母様の関係はこれから先もずっと、代えが効かない、唯一無二のものであり続けるのでしょう。

亡くなってしまったことで、その存在はどんどん大きなものになっていくだろうな、とも思います。でも別に、「超える」必要もないですよね。宇多田さんはお母様が生きた時代の「次の時代」、唯一無二の今を生きているんだから。

 

 

 

ちなみにFantômeには他にもたくさん良い曲があって、いろんな人のいろんなシチュエーションのいろんな気持ちが浮かんでくる。切ないだけじゃなくて、キュートなのもエロいのもある…気がする。ちなみに復帰後の、以前よりまろやかに、よりハスキーになった歌声が、大人っぽくて私は好きです。もともと、「明るい歌を歌っても切なく聞こえる」と言われたりするらしいですが、優しさや余裕と、憂いを両方とも感じる声で、あー、歳とるっていいなあ。と思ったのでした。

 

ご本人のサイトの「ヒカルパイセンに聞け!」という質問コーナーで、「どうして歌手になったんですか?」という質問に「家業を継いだんだぜ。」と答えていた宇多田さん、なんという可愛らしい天才かよ。と思います。ちなみに別の質問に、こんな回答がありました。

 

 

ヒカルパイセンにとって、芸術とは?何だと思いますか?

 

経験は人それぞれで、どんなにそっくりな体験をしたとしても二人の人間が同じ経験をすることはあり得ない。
けど俺が感じるどんな感情も、人類初めての感情なわけがない。それが疎外感や孤独だったとしても、沢山の先人が同じ気持ちを味わったはず。今だって意外に身近なところで誰かが同じことを感じてるかもしれない。きっと誰かがもう、その気持ちを詩にしてる。小説にしてる。踊りにしてる。絵にしてる。歌にしてる。
それが俺にとっての芸術。

 

 

これを読んで、そっか。私も、迷うけど、ちょっと辛いけど、感想を書いてみようか。と思ったのでした。

 

 

母とのことを文章にするきっかけを与えてくれて、ありがとうという気持ちです。

いちファンとして、宇多田さんの未来がとっても楽しみです。

 

 

 

 

 

<リンク集>

 

いま、radikoで、配信後にもラジオが聴ける「シェアラジオ」の特別番組として、宇多田さんの番組をやっています。本人の解説つきで新曲が聴けるのでオススメです。17日で終わってしまうようです。最後にお母様の曲もかかりますよ。

radikoのアプリをDLすると、聴けるようになります)

shareradio.jp

曲の歌詞の一部は、こちらの公式HPで見られます。

宇多田ヒカル 「Fantôme」歌詞特設ページ

 

音楽性のすばらしさについては、このレビューなども。

気配がもたらす孤独と熱狂—インディーバンド的宇多田ヒカル「Fantôme」論 by bed 山口 - LIVEAGE

 

 

Fantôme

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